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日本の死因第一位「中絶される子どもの数」、キスについて [人生・生き方・生活・人間関係]

こんな記事を見つけた。
http://honz.jp/articles/-/41472

以下転載
・・・
意外と知らない日本の死因第一位って?元看護師で元風俗嬢の異色漫画家がその目で見た妊娠・出産のリアル『透明なゆりかご』

ドラマやテレビで流れる『妊娠・出産=幸せ』というステレオタイプな物語に物申したいというメッセージが込められている。とてもおとなしそうな女の子が中絶しにきていたり、高校生の女の子が自宅で産んでしまった子を産婦人科医院の前に捨てて行ったりと、子を宿した女性が悩み苦しむ描写が生々しい。それでいて、彼女の画のタッチがそうさせているのか、重苦しい話題なのに淡々と物語は進んでいく。

96年に「援助交際」、97年に「失楽園」がそれぞれ流行語大賞として選ばれているなど、社会的に「性への解放」のような気運が高まっていたのかもしれない。

・・・
転載終わり。

今は世間は『恋愛しろ』と言い、『若者がセックスしない』『草食化、絶食化』と嘆き、騒ぐけど、じゃあ90年代って今と違ったのか?・・・そういや「不倫も文化」ということで、不倫もののドラマとか小説とかも流行っていたっけ。

この漫画のセリフで印象に残ったのは「逃げた男は帰ってこない」「女が妊娠したと伝えたとたん、連絡つかなくなる」・・・こう言う人、割といるんだろうな・・・

※前にも書いたけど、「出産って気持ち悪い」と平気で口にして言う男性(今なら許されない発言だろうな)、わりといた気がする。

一方で、ミツグ君とかアッシー君とか、男性もバブルの華やかな女性たちから見下されていたり、けっこう「不健全な時代」だったようにも思う。
少なくとも、昔は恋愛至上主義の名のもとに、なんとなく許されていた感じもするこれらの行為は、今はかなり非難され、軽蔑される。もち、やっている人は減らないだろうけれど。

うん、バブル時代や90年代後半と較べて、今の方が、人々の考えは健全になってきたと思う。

ああ、そういえばその時代・・・左派メディア全盛で、日本を過度に悪く仕立てた時代とも重なるな・・・一方を悪者にし、偏った見方をし、マスメディアが価値観を決め、人々を洗脳し、縛っていく・・・やっぱり昔の方が不健全だった気がする^^;

今はいろんな価値観や考え方がネットで見ることができ、だんだんテレビなどのマスメディアの力が弱まり、人々を操ることが昔ほどには容易くなくなり・・・

ネットでは、暴力的な言葉も散見されるし、問題も多くあるだろうけれど、マスメディアの情報操作・印象操作が難しくなったことで、全体的にみれば健全な方向へ向かっているのでは、と思った。
少なくとも、マスメディアに携わる一部の者の価値観による洗脳からは多少、逃れられるようになったのでは、と。

・・・・・・・・・・・
余談その2

もういっちょ、恋愛関連で、気になった記事を紹介。
http://healthpress.jp/2015/06/post-1811.html

以下転載
・・・
○キス10秒で8000万個のバクテリアを交換する!?

 キスを求めたくなる理由の有力な説は、「自分の子孫を残すのに適切な相手かどうかを見極めるため」というもの。キスをする目的は、相手の情報を収集だ。

 口内に存在するバクテリア(細菌)を交換し、相手が自分の持っていない免疫のバリアを持っているか、また健康状態や生理学的相性が合うかどうかがわかるという。

 免疫学的には「同じ免疫のバリア」を持っている者より、自分にないバリアを持つ個体と生殖する方が、子孫が生き残っていく可能性は何倍も高い。結果的に、自分のDNAを後世に残せることになる。

 つまりキスによって、異なる免疫の個体を発見するための"値踏み"をしているのだ。では、どんなキスでそれを判断しているのだろう。

 スロバキアのNatalia Kamodyova博士の実験によれば、約10秒間のディープキスは約8000万個のバクテリアを交換するという。これによって相手が「生物学的」に適切かどうかを本能的に判断する「下調べ」が可能となる。


○テストステロンは最強の媚薬!?

 また、男性が女性よりも"熱烈なキス"をしたがるとしたら、それには理由がある。男性は、濃厚な口づけをすると「男性ホルモン(テストステロン)」をより多く分泌する。テストステロンを多く渡すことで、相手が発情する効果を狙っているという。

 テストステロンには、「攻撃的になる」「キレやすくなる」という欠点がある一方で、性欲を高める効果がある。テストステロンは、気分を一気に盛り上がっていく可能性を大いに秘めているのだ。

 実は女性も、生理の一週間前くらいからテストステロンが分泌される。その作用によって生理前に「イライラ」しやすくなることが判明している。一方で性欲は亢進するので、「一夜の過ち」を犯してしまいやすい時期でもあるのだ。


○美男美女、実はもっとも「普通の顔」

 話を戻そう。生物学的に適切な相手かという下調べには、「見た目」にも表れる。外見で好ましく感じるのは、自分の生理学的な難点をカバーするため、もしくは「平均的なバランスの良さ」を気に入ったということらしい。

 英グラスゴー大学の実験心理学者であるLisa DeBruineが率いるFace Researchは、ネットに設置した「face-averaging tool (顔平均化ツール)」を使って41カ国以上の人々の顔写真を収集し、その「平均顔」を作成した。

 その結果、合成された顔はいずれも美男・美女。しかも「特徴のない平均的な顔」になった。これは良くも悪しくも、「DNAに偏りのない」相手を好ましく思うように私たちの本能がプログラムされていることによる。

 たとえば、背の高い男性が背の低い女性を、スリムな人がぽっちゃりした人を......というのは「自分に欠けている部分を補いたい」という生物として本能かもしれない。

・・・
転載終わり。

やっぱり生物は基本的に「平均的なバランスの良さ」を好ましく思うものなのだな。(で、あとは自分に欠けているものを補ってくれるような相手に惹かれるのだろう)

前回の記事で触れたけど、発達障害って「脳のバランスが偏っていること」を言うのかしら、と思ったりしている(ハヤシの個人的推測)
偏りが激しいほど、それが障害として、社会生活を送る上で、非常に厄介なことになる。
ほんのちょっとだけ偏っている場合なら、個性、才能として、社会に認められることもあるのかもしれない。

※外見について。欧米人は「左右の歪み」を気にするらしい。歪んでいると『悪魔的な容貌』と捉え、嫌うらしい。

恋愛するにも、やはり生物的に『子孫を残す』『生き残れるいい遺伝子を残したい』『相手の遺伝子との組み合わせ』『補完しあう』『バランスのいいものが好まれる』ということが、インプットされていて、影響を受けるのかもしれない。

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児童養護施設と発達障害について [人生・生き方・生活・人間関係]

児童養護施設・・・やはり親の虐待による要保護児童が増えていることから、少子化で児童人口は減少しているに関わらず、施設で暮らす子どもの数は横ばい、微増だという。

施設で暮らす子どもの数は約3万人。
親から虐待を受けた児童は54パーセント。

で、そのうち入所して問題を起こす児童は25パーセント。
問題を起こす・・・粗暴な言動、暴力、破壊行為、対人関係不調、多動、過度の甘え・愛着障害など。

そのうち発達障害児は虐待を受けやすいことから、わりと発達障害児がいるという。
精神的障害を抱えていることから、施設の職員や指導員ではなかなか対処が難しいことも多いようだ。

職員による入所児童虐待は、よくマスメディアで取り上げられて、問題にされるけど、多くは児童同士のいじめ、年上の子による年下の子への虐待や、児童による職員への暴力のほうがずっと多く、深刻だという。女性職員など恐怖を感じることもあるようだ。しかし正当防衛にせよ、職員が児童へ何かしらの暴力を振るえば、世間で大問題になる。

グループホームや小舎は、一人勤務が多く、職員への暴力が起きやすいらしい。常に2人以上職員がいるところでは、暴力件数が激減するという。

そして入所児童は、やはり学校でも問題を起こすことが多い。
教員も、こういった児童の指導に手を焼くらしく、一部の小中学校では「入所児童の受け入れは、1学年3人まで」「これ以上、子どもを入所させないでほしい」と入学制限をしているところもある。
(児童養護施設はその校区にある学校へ、入所児童を通学させることになる)

施設の児童が学校で問題を起こすと「登校をさせないで」「施設の職員がついてきてくれ」「ほかの施設に移して」と言われることもあるという。

学校側にしてみれば、ほかの生徒の安全が確保できない、ほかの生徒の権利が守られない、という理由もあるだろう。

入所児童にも権利はあるけれど、ほかの子どもにも権利があり、ほかの多くの子どもにガマンさせる、と言うのも難しい。
教師は、その問題児童にかかりっきりになり、ほかの多くの子どもに目が行き届かなくなったり、放っておかれることにもなる。

・・・・・・というような本を読んだ。
入所児童に、親から虐待された児童が多いことは予想していたけど、発達障害児がわりといる、というところに、少なからずショックを受けた。

けど、よくよく考えてみれば、「やはりそうか」と厳しすぎる現実を思う。

うちも近親者に「発達障害」がいることから、発達障害について、正直に忌憚なく思ったことを意見しあうことが多い。
そのことについて語ってみる。

以下、発達障害に対する差別発言では? 問題発言では? というようなことも書くが、しかし身近に発達障害を抱える者の意見や考えとして、また私自身も少なからずその気があるのだろう、ということでご容赦を。

医師など、ほか専門の人の意見を聞くと、発達障害はやはり「性質=遺伝的なもの」も大いに関係するらしい。

言われてみるに、親族に「もしや発達障害では」というようなものがちらほらいる。程度の差はあるにしても。
で、やはり「コミュニケーション能力」が、「ない」あるいは「低い」ように思う。空気を読む力もない。
なので、若い世代は、結婚できていない。仕事もできない。けど「本物の障害者」ではないので、公的支援がさほど受けられない。
精神障害になってから、本物の障害者として支援を受けられる。

もっと上の世代になると、結婚できている。が、それはお見合い結婚で、周りがさっさと決めてくれ、本人はさほど努力をしなくても結婚できていた時代だからである。

が、恋愛結婚が主流となった時代、コミュニケ-ション能力が劣っていれば、結婚までこぎつけるのは、かなり厳しいだろう。
でも、それでいいのだと思う。(私の親族も同じ意見だ)
つまり、発達障害の気があるのであれば、子孫を残さないほうがいい、発達障害の性質を引き継いでしまうのは、やっぱり不幸だからだ。

もちろん、発達障害といってもいろいろあるし、社会的に成功している者もいる。
作家でいえば市川拓司氏、漫画家でいえばさかもと未明氏など(それぞれ本人が「自分は発達障害だ」と告白している。私から見れば「う~ん・・・」であるが、ごくごく軽いのまで発達障害とするのであれば、そうなのだろう。定義を広げれば、2割から3割は発達障害だと思う。そして当然、私も発達障害に入ると思う)

いじめられっこのほとんども軽度を含め発達障害であることが多いのでは、と思う。

ごくごく軽度というのは、おとなしい、人見知りをする、人間関係を築くのが苦手、コミュニケーションをとるのが苦手、おしゃべりが苦手、反対におしゃべりだけど空気が読めないので、ひんしゅくを買うなど。

人とつきあうのが苦手なので、一人でいるほうがいい、よって、一人でコツコツ作業したり、考えたりすることが得意。大勢の人間の中にいることが苦手。
大勢の人間の中にいると、虐めの標的にされたり、あるいは仲間外れにされたりすることが多いので。
どこかのグループに入って、身を守らないといけなくなるし、大勢の中での独りぼっちは、なかなかキツイものがある。
なので、場合によっては「ひきこもり」になることも。

研究者、芸術家、作家、オタクなど、もしかしたら軽度発達障害(知能は普通)が多いかもしれない。
軽度発達障害は、いじめられることも多く、あるいは今のスクールカーストでは最下層に属し、劣等感は増幅され、ますます他人が苦手となるだろう。

さらに親からの虐待が加われば、精神的に問題が出てくるのは当たり前かもしれない。性格も歪むだろう。

親からすれば、軽度発達障害の子どもは、イライラするだろう。
私も子どもの時は『もたもたしている、鈍くさい子ども』であった。頭も悪かったと思う。もちろん、虐められっこだ^^;

小学校低学年では、パンツを脱がされたり、唾吐きかけられたり、と、まあ、そういうこともあった。
上の世代の親としてみれば、情けなく、「なぜやり返すことができないのだ?」「虐められる方も悪い」という思いが強かったらしく、虐められた上に、親からも叱られるという感じで、ま、子どもの時は「いかにして身を守るか」に汲々していたように思う。

なので、私はとてもずるく、嫌な人間でもあった。
他の子と比較され、けなされて育ったので(褒められたことなど皆無だ)、劣等感と自己嫌悪にまみれ、性格もひねくれ、歪んでいたと思う。(今は「なるほど、そういうことだったのか」と醒めた思いだ^^;・・・ちなみに大人になってから、多少、認められることがあっても、劣等感から抜け出すのはなかなか難しい。もちろん、他者から認められればうれしいが、素直にそれを表に出すことはなく、「いやいや、そのうちダメになるだろう」と予防線を張り、案の定、ダメになり「ほうら、やっぱりね」と、最初から自分に期待しないようにするのだ^^;)

私の近親者にいる発達障害者は、もっと劣等感が強い。なのでますます人から嫌われ、本人はますます被害妄想が強くなり、やがて精神がやられてしまうのだ。

親の立場からすれば、子どもの出来が悪い、のはイライラしたことだろう。

そして、そう育児というのは本当に大変だ。
子どもに夢を持つな、というほうが酷かもしれない。
で、努力でなんとかなる、と信じていた世代だ。

自身が、貧しく、勉強したくても、勉強をさせてもらえなかった世代、進学したくてもさせてもらえなかった世代になる。なので、自分ができなかったことを、子どもに託したくなるのは、人間として当然のことだ。

発達障害という概念もない時代だ。
知的障害でない限り、努力によって、望むものが勝ち取れる、と信じられていた世代でもある。

まあ、うちはイライラだけですんだが、中にはつい手がでてしまい、それが虐待にまで行ってしまうケースもあっただろう。

周囲からも「甘やかしているから、そうなるんだ」と言う者もいたりして、親はますます厳しくなるケースもあっただろう。

そう、発達障害児は親をイライラさせる。
発達障害の概念が知れ渡った今の時代だと、逆に親は落ち込むかもしれない。そして知的障害者ほどには手厚い支援を受けられないため、絶望感に陥る。
登校拒否、いじめ、ニート、就職できない、など、あらゆる問題を心配することになり、生き地獄を味わうことになる。(親族はそう言っている。私もそう思う)

親が子どもに対し、そういうことを思うのは、倫理的に許されない、だろうけど、親も人間である。
「産まなきゃよかった」と思うのも仕方ない。
子どもにしてみても、親からそういうふうに思われるのは悲惨だろう。

で、児童養護施設に、そういう発達障害児が多いと聞き、「ああ、やっぱりね」と暗い気分になってしまったのだ。

劣等感は皆、それぞれあると思うが、軽度発達障害、もしくは発達障害の要素をいくつか持っている人(たぶん、私はここに入ると思う)の劣等感は、かなりのものだと想像する。

で、脳のバランスが悪いらしい=偏っているので、精神病になるリスクも高いという。(医者の話)

脳のバランスが悪い、うまくいけば、それは「天才」「突出した才能」につながり、ひとつことにこだわりをもち、それを追究し、脇目もふらずエネルギーを注ぐことができる=努力し続けることができる=それが苦にならない、むしろ、それをやらないと気が済まない、やらずにいられない、ということで、社会的に成功者になることもある。
(アスペルガーに似ているかも)

けど、そこまでいかない場合、ただの落ちこぼれとなることも、けっこうあるようだ。

最悪、犯罪者にもなる。脳のバランスが悪い=破滅型人生を辿ることもあるだろう。

私個人の感想だが、やはりバランスがいい方が生きやすいし、さほど劣等感を抱えずに済み、幸福になれる気がする。
発達障害は程度の差はあれ、悲劇を生むことが多いと思う。周囲を不幸にさせることも多い。
これが発達障害を身近に見てきた者の感想だ。優生思想、差別だ、と思う人もいるかもしれないが、それが現実だ。いや、たまに思う。冷たくて黒い現実があるなあ、と。とはいえ、そればかりでもない。発達障害という概念もなく、単に親のしつけが悪いと言われていた昔よりも、情報がいきわたり、ある程度正確に分析できるようになった今の方がずっとましで、良い時代になったと思う。

そういえば、テレビで「夫が軽度発達障害(軽度なので、仕事はできる、よって結婚もできたのだろう)で、妻が苦しんでいる」「どうしたらいいか」というテーマの番組を見たことがある。
ケースによっては、『接し方、やり方』でなんとかなる、うまくいく場合もあるようだ。
で、子どもも発達障害であるケースも、少なくないようだ。

とはいっても、発達障害もピンからキリまで。軽度を含めれば、かなりの数になるのだろう。
昔なら「変わり者」と言われていた人も「発達障害」に入るらしい。

そんなわけで、私は「バランスのいい人」にあこがれるが^^;

バランスのいい人というのは・・・過度な劣等感を抱いておらず(いわゆる自分の血を引いた子孫を残したいと素直に思える程度)、自己肯定もしているので、自信もある。(過度な自信家でもないので、人からも信頼されている)、いじめもいじめられもしない。そういったことに縁がない。性格が基本的にいいので、友だちも多い。彼氏彼女もできやすいだろう。話しやすい。親しみやすい。プライドも高すぎず低すぎず。基本的にポジティブ。明るく社交的。礼儀正しく、誠実。(不誠実だと結局、人は離れていく)

それらは「脳のつくり(ホルモン分泌も含め)のバランスがいい」ということでもあるのだろう。

脳のバランスが良ければ、おそらく外見上のバランスもいいのではとも思う。さすれば、外見において、過度なコンプレックスも抱いていない、と言える。

反対に過度なコンプレックスを抱いている人の中には、けっこう意地悪な人もいたりする。コンプレックスが他者への虐めへと誘うのだろう。もち、虐められる人も多いだろうけれど。

ただ発達障害の場合は、虐められるケースのほうが圧倒的に多い気はするが。
過度なコンプレックスを抱えながら生きていくというのは、やはりキツイだろう。

逆に、コンプレックスをバネに、エネルギーにできる人(=ポジティブに捉えられる人)というのは、バランスのいい人である・・・という気がする。
(コンプレックスを持ってない人間などいないだろう)

おっと発達障害について語ると長くなるので。とりあえずこのへんで。

児童養護施設に話をもどす。

もちろん施設には、発達障害ではなく、普通の子どもたちも大勢いる。

「普通の子どもたち」が施設でどのように暮らし、どのように巣立っていったか、という本も読むので、こちらを静也と理沙の物語の参考にすることになる。

ただ、発達障害の子は親の保護もなく、18歳で施設を追い出された後、どうするんだろうと思ってしまった。自立は難しい気がする。
何だかうすら寒いものを感じる。

けれど、どうしても育児が辛くて、虐待したり、まして心中を考えるよりは、児童養護施設に預けたほうがいいとは思っている。
「育児が辛ければ児童養護施設に」というのは語弊があるが、ハードルは低い方がいいとは思う。

下重暁子氏の「家族という病」ではないけれど、「結婚=子どもをもつ=幸せ」とは限らず、幸せになるのも、努力はもちろんだが、運も大きいとつくづく感じる。
運が悪ければ、地獄のような苦しみや不幸になることもあり得るので、結婚するなら・・・やはり「結婚しないと不幸になりそうだから」「周りが結婚しているから」「世間体」「親を安心させるため」という理由ではなく、「好きな人がいて一緒になりたいから」「どうしても家族がほしいから、子が障害者でもかまわない」という理由でするのが一番だなと思う。

女性であれば「自分の子どもをもちたい」というのと同等に「相手となる男性の性質を引き継いだ子どもを産みたい=それだけその男性が大好き」と思えるかどうか。
さすれば、たとえ障害を抱えた子が産まれても、耐えられるのでは、と。
(男性の方も、ね。中には子どもが障害だということで、家庭から逃げる人もけっこういるらしいから。けど本当に好きな人と結婚したのであれば、責任感も生まれ、なんとか助け合っていこうとするだろう。ならば、たとえ発達障害児が生まれても、なんとかなるのかもしれない)

普通の子どもが生まれても、育児は相当に大変である。

世間は「恋愛(=結婚)しない人が増えた」と嘆くが、いやいや、結婚は本当に好きな人ができて一緒になりたいと思った人(=その好きになった人との間にどんな子どもが生まれようが、責任もって最後まで面倒見る覚悟がある人)がするべきだと・・・と、この「児童養護施設に、親からの虐待(育児放棄も含める)によって入所してくる発達障害児」のことを知り、つくづく考えさせられたのだった。


「発達障害」関連相談↓・・・内容を読むと、現実の厳しさをヒシヒシと感じる。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10115568495;_ylt=A3xTwse525BVSlAAKXsbGvR7?pos=1&ccode=ofv(発達障害児の育児に疲れた)
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1454751744;_ylt=A3xTwsJc3JBVXwwAqReW.vN7?pos=2&ccode=ofv(夫が、発達障害だと知り、子に遺伝する確率が高いので離婚したい)
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1082143505;_ylt=A7dP5XOS3ZBVzlcAzwoY.vN7?pos=1&ccode=ofv(夫が自閉症きみ、娘が発達障害。もうひとり子どもを作るかどうか迷う。また発達障害だったら心配。障害のある娘を残すのも心配)※これについては・・・障害のある兄弟姉妹の面倒をみさせるために、新たに子どもを作る事に疑問を感じるが・・・

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結婚、不倫、浮気、家庭的・・・いろんなカップル(弘兼憲史・柴門ふみ、山口智子・唐沢寿明、本村洋・弥生) [人生・生き方・生活・人間関係]

http://lite-ra.com/2015/06/post-1207.html
リテラより転載。

育児を一切せずゴルフに浮気!『島耕作』弘兼憲史の“家庭放棄”を妻の柴門ふみが暴露!

「婦人公論」(中央公論新社)2015年6月23日号に掲載された柴門ふみの「浮気よりも許せなかったのは家族の無関心」という衝撃的タイトルがついたインタビュー。

「私は夫の本性を見抜くことができないまま結婚し、やがて『こんなはずではなかった』という苛立ちを覚えるようになったのです」

 いきなりこんな告白からはじまるこの記事には、夫・弘兼への長年の鬱憤、そして仰天のエピソードがこれでもか、とばかりに明かされている。

 まずは新婚時代。子どもが欲しいと切望する柴門に対し、弘兼はそれをこう拒否したという。

「自分に似た人間が存在するなんて気持ち悪い」

 しかし、柴門はそれを受け流し、「子どもができれば変わるはず」と気軽に考えていた。そして25歳の時に長女を出産。しかし夫の生活は変わるどころか、家庭に存在さえしない"不在夫"であり続けた。

「今もそうですが、夫が仕事を休むのはお正月の3日間だけ。残りの362日は休みなしで働き、家族と過ごす時間はほぼありません」

 幼い長女と長男と直接話をしたことはほとんどなく、ドライブもたったの1度。「それでいてゴルフには行くし、夜の銀座にも足しげく通って」いたという。

 息子とのキャッチボールなど、父親らしいことをしてほしいと柴門がいっても、弘兼は「俺は親に遊んでもらったことがないから」と一言。それどころか、夫婦でどこかに出かけるという話になったときに、弘兼は「子どもは置いてこいよ」と言い放ったという。

 当時は、弘兼だけでなく柴門も売れっこ漫画家として多忙を極めた時代だ。『東京ラブストーリー』『家族の食卓』(小学館)などのヒット作を連発し、柴門の方が売れっこだった。それでも、家庭のことはすべて柴門まかせ。

 その後も弘兼の態度は全く変わらなかった。家庭内でトラブルがあっても、逃げ回り、自分の両親の介護にも、息子の進路相談にも無関心。いくら団塊、昭和世代といっても、あまりに極端な弘兼の態度。鈍感というより、どこかおかしいのではないかと心配になるほどだ。

しかも、たび重なる浮気もあった。だが、あるとき証拠を突きつけると、弘兼は浮気を認めこう言い放ったという。

「俺はモテるんだから仕方ない」

 育児もせず、家庭サービスもせず、自分の遊びと浮気だけはする。浮気が発覚しても開き直る。

 なぜ、これまで離婚しなかったのか、と不思議になるくらいだが、しかし、これまで柴門が離婚を決意できなかったのは、弘兼の「何があっても離婚だけは絶対しない」というこれまた身勝手な態度によるものだったらしい。

「幾度浮気を繰り返そうと、それは家庭とは別のことと考えているらしい。夫が大事なのは、自分自身と仕事。それを投げ出してまで、何かにのめり込みことはしないのです」

 うーん。たしかに、弘兼は憲法改正、原発推進論者で、政治的にはかなりのタカ派だが、家族や女性に対してもここまで保守的だったとは...。『島耕作』シリーズや最近の『黄昏流星群』シリーズの登場人物に、フェミニストっぽい台詞をいわせたりしているのは、ただのポーズだったということか。

 そういえば、先頃も安倍政権が掲げた「女性の活用」に対し、弘兼は「SAPIO」(小学館) 15年2月号で「育児に熱心な男は出世しない」「イクメン部下は仕事から外す」「子供の行事よりも仕事を優先させよ」などと持論を展開。炎上騒動を起こしている。

「男はバリバリと仕事をし、女をとっかえひっかえ」。弘兼の根底にあるのは、単なる67歳のオヤジのメンタリティ、その政治姿勢同様の"男権主義"だったということらしい。

 しかし、2人の子どもも独立した今、妻・柴門はとうとう反撃に出た。メディアでここまで暴露したということは、2人はやはり、このまま離婚に突き進むのだろうか。

 だが、インタビューを読むと、柴門はどうも離婚を決意したわけではないらしい。柴門は時が経つにつれこう思うようになったと告白している。

「夫に悪気はない。だから私が何かに傷つき、苛立っているのかわからないのだ、と思いましたね」

さらに弘兼はいい人だと持ち上げ、4年前から既に半別居状態で、それがいい距離感を生んだと現在の心境を振り返っている。

 いやはや。長年、"男根主義"に支配されたことで、感覚が麻痺してしまったのか、あるいは諦めの境地なのか。ここまで暴露しても結婚生活を継続する。夫婦というのはつくづく不思議というほかない。

(本田コッペ)

・・・・・・・・・
転載終わり。


そうか、やっぱりな、という印象^^;けど浮気のことは知らなかった。

柴門さんの世代の女性は「男性はバリバリ仕事をすべし」という考えの人も多く、夫に家事育児の協力をさほど期待していない世代だと思う。少なくとも今ほどではない。
ある程度、夫が家庭を顧みないのも仕方ない、と許してしまえる世代。

弘兼さん側からすると、「オレの面倒は見なくていいよ。だから仕事してもいいよ=家庭のことは任せる。オレは文句言わない=勝手にやってくれ、俺は手伝わないけど」的な考え方なのかもな。

もっと上の世代になると、「家族に迷惑を掛けないなら、仕事していいよ=家庭のこともちゃんとやれ、オレに迷惑かけるな」になるから、その世代よりはマシだろうと思っているかも。

若い世代は、弘兼さんに対し「じゃあ、なぜ結婚したの? 家庭もったの? 子ども作ったの?」と思ってしまう。

けど、昔は「結婚し子どもをもつことは当たり前」であり、そこに「なぜ?」は存在しないのだ。

ただ、今の時代は、結婚しない生き方、子どもを持たない生き方も「あり」なので、弘兼さんのように「家庭よりも仕事最優先な生き方をしたい人、家族よりも自分の自由を最優先したい人」は「結婚するべきではない、子どもをもつべきではない」「結婚し子どもをもつなら、家庭と家族を優先すべき」と言われてしまうのだ。

そこで、前の記事で話題にした「天国からのラブレター」の本村洋さんと弥生さん夫婦を思い出す。

※犯罪事件に巻き込まれたこと、本に載ってしまった友人らのプライバシーの問題は、ここでは無視する。あくまでも、21歳で子どもを産み、学生結婚した本村さん夫婦の生活、あり様について、思ったことを綴ります。

それでも、21歳で学生結婚と言うのは、めずらしい。
世間では平均初婚年齢が30歳近くまで上がり、とくに男性は「20代の時は自由でいたい、遊びたい」だろう。女性だって、わりとそう考える人は多い。

本村さんみたいな若い時(20歳くらいで)から『家庭志向』『結婚を考えている』男性って、少ないだろうな、と。
だって、つきあっているときから(18歳~21歳)、結婚、子どもの話をしていたのだから。弥生さんも嬉しかったようだ。
(いろんな考えの女性がいるだろうけど、そんな若い時から、結婚や子供の話をする彼氏は重いと感じる人もわりといるだろう)

そして、本村さんカップルは、生まれてもいないのに、子どもの名前を考え、手紙の中で、その名前を呼んでいたりしていたのだ。
なので、この二人、本当に相性が良く、真剣につきあっていたのだろう。(そのかわり、本村さんは中原さんに対しては、自分を慰めるための体のいい道具に扱ってしまったのだけど)

だって、結婚の話どころか、「つきあおう」という言葉も「責任が生じるからあいまいにしておきたい」「言質をとられるのは嫌だから、あやふやにしておきたい」として、言いたくない・言わない男性もけっこういるようだ。

「性的関係をもちたいけど、彼女ではなく、遊び。いつでも切れるようにしておきたい」場合は、そういった言葉はあまり言わないようにしているのだろう。やっぱり人間、ウソを言うのは気が引ける。もち、その場限りの言葉=ウソを平気で言える人もいるだろうけれど。

ま、性格もあるだろう。
遠慮から、そういった「はっきりしたこと」は言わないようにしている人もいるかもしれない。照れもあるし、言わなくても察しているはず、伝わっているはず、と言う人もいるだろう。

ちなみに・・・本村さんって、実はけっこうな情熱家・激情家なのかもな。
あとのほうの本村さんの姿を見れば、冷静で理性的な人という印象だけど、思い起こせば、最初の頃は「犯人をこの手で殺す」とテレビカメラの前で言っていたし・・・
弥生さんに告白してすぐ、自分からキスしたんだもんなあ。その時、まだ交際していた彼女=中原さんが寝ている前で。
告白してOKとれたからって、すぐにキスする男性って、そう多くはないのでは、と。

「愛している」とか「好き」とか、いちいち言葉で言うのも、かえって軽い感じがする、と思っていたけど、
本村さんも弥生さんも「あなたが一番」「あなたにふさわしい私になる」「幸せにしてあげたい」と言葉に出し、相手に伝えていることについて「偉いな」と思い直してもいる。

もち、ウソが平気で言える人、口だけの人っているし、言葉だけなら何でも言えるけれど、
上記に示した「責任とりたくない、言質とられたくない、いつでも逃げられるようあいまいにしておいたい」という人間は、あまり言葉で表現しないものなのかもしれない。

そういう人に較べたら、本村さんカップルは誠実な絆で結ばれていたのだな、と思う。
あの手紙の甘さに「バカップル」と評した人もいたけれど、本村さんカップルは有言実行したのだ。

21歳で結婚し、彼女に子どもを産ませる決心ができる男子大学生って、どれくらいいるだろうか?
ま、普通は『堕ろす』ことを選択し、結婚はまだまだ先、という選択をするだろう。

21歳で結婚し、子どもができてしまったので、本村さんも弥生さんも、結婚してからは、今時の若い人たちの遊びもせず、経済的にも時間的にも「自由があまりない生活」をし、家庭を大事にしていたようだ。

と、ここまで書いて・・・なんだか、弘兼さんより、本村さんの方が家庭人として、かっこいい、尊敬できる、と思ってしまった。(手紙を公開したことや、中原さんのことは置いておく。中原さんの件は、まだ18歳のときだし、手紙の書籍化による公開は、あんな事件がなければ、なかったことだろう)

いや、弘兼さんは仕事の上では妥協しないカッコいい生き方しているし、尊敬できる人なのだろうけど・・・
で、収入という点では、弘兼さんのほうがずっと上なんだろうけれど・・・

そして、稼いでくれさえすれば、家庭のことは顧みなくてもいい、という女性もいるだろうし・・・
本村さんだって、長年の結婚生活では、どうなっていたか分からないし、弥生さんとは7か月しか暮らしていないのだし・・・後々、会社員として忙しくなれば、家庭を顧みないダンナさんいなっていた可能性だってあるのだけど。

柴門さんもすごいよなあ。あれだけ稼げるのだから、離婚しても経済的には困らない。けど離婚は考えていない。浮気も許す、古風な考えの持ち主なのだろう。

あの世代の女性は『男はバリバリ仕事してほしい』と思っているのだから、それはそれでいいのだと思う。

もっと下の世代=バブル世代が、二重基準にはまってしまい、理想と現実はかい離し、結婚しなかった、できなかった人が増えた世代かもしれない。

要するに、『バリバリ仕事している男性がカッコいい』と思いつつも、でも『家庭も大事にしてほしい』『私も仕事しているし、家事分担してほしい』とも思ってもいて、
「バリバリ仕事するけど、家庭も顧みてくれるような男性(家事育児も手伝ってくれそうな男性)」を求めてしまった人も、けっこういるのでは、と。
もちろん「そんな奴はいない」。

「バリバリ仕事男」に惹かれるが、そういう男性は「弥生さんのような家庭的な女性」を好むので、「家事育児を分担してほしい」という女性とは結婚しないだろう。それこそ弘兼さんのように「仕事していいけど、オレは家事育児分担できないから。オレは仕事あるから。家庭のことはよろしく」という感じになるのだろう。

バブル世代の女性も、やはり弥生さんみたいな専業主婦か、もしくは仕事を続けるにしても柴門さんのように男性に家事育児を期待せず、両親に頼ったりして、なんとかやっていける環境にある人でないと、結婚は厳しかっただろう。

そんなワシの理想は「山口智子・唐沢寿明夫妻」かなあ。子どもいないけど、いないからこそ、余裕があって、山口さんも若々しいのだと思う。
子どものいる人から見たら、山口さんの言動・・・50歳になるのに、未だに「ダッコ~」と甘え、手をつなぎたがる・・・は若いと言うより、幼稚に見えるかもしれないが。
けど、ドラマでの山口さんは「姐御肌役」が多かったので、「幼稚」には見えないのだ。外見の要素を大きいかもしれない。スラッと背が高く、かわいいというよりも「かっこいい」から。

もし、山口智子さんの外見が、弥生さんのような感じだったら、「幼稚」に見えるのかもしれない。いや、50歳いの弥生さん風も「ダッコ~」は似合う気もするが。

で、ハヤシのような者がやったら、単に「気持ち悪い」「頭のおかしな人」だろうな^^;(もち、ワシはやらないが。仮に10代だとしてもやらない)
けど、あの『若々しさ』と『余裕』は憧れる。

ところで、弥生さんのような女性は、一般男性からは好かれる要素をたくさん持っている気がする。

かわいく甘えてくれるし、甘えるだけじゃなく、尽くしてもくれる。外見も童顔で、かわいくて、やわらかい感じ。つまり、ギスギスしたところが全くない。そこそこ質素で、でも地味ではない。子どもも空きそうだし、安心して家庭を任せられるタイプ。かわいいけど、母性もありそうなタイプ。
一般男性から見れば理想の女性像かも?(いや、あの手紙の内容・・・友だちの愚痴とか、エッチネタとか・・・心を許しているから書けた、とも言えるし・・・幻滅する男性もいるのかな?)

オタク世界の中では「ツンデレ女子」はまだまだ人気だろうけど、現実に、あんなツンツンした女子は引かれるだろう。どんなに美人でカワイイ顔をしていても、「何様?」と男性からも相当叩かれると思う。「デレ」に入る前に嫌われる。

ま、けど弥生さんタイプ、同性の女性からは嫌われそうな気も・・・

理想はやはり山口智子か。カッコいい要素があるので、同性からも割と好かれる。けど、甘えることができるし、決してギスギスしてないし、話しかけやすいので、男性にも受けがいい。意外にも「デレ」がある。


※しかし本村さんは今現在、再婚されている。もち、弥生さんが亡くなって13年も経ち、加害者は死刑判決を受け、区切りがついたのだから、幸せにあってほしいと思う。そう、加害者が死刑判決を受け、けじめがついたことで、本村さんは新しい一歩が踏み出せたのだ。もし、犯人が無期懲役(少年の場合、7,8年で出所できることもある)だったら、本村さんは闇を抱えながら、けじめをつけることもできず、ずっと苦しんだままだっただろう。死刑判決はそういうことでも「とても意味があった」と思う。

子どもを持つんであれば、男であれ女であれ、やはり自分のことより家庭優先できる人でないと厳しいだろうな。んで、それが辛いと思わない人。

いやあ、それにしても・・・自然な出会いで(=いわゆる「恋愛をしなければいけない」ということで、結婚を目標にがんばって「出会いの場」へ参加し、そう高い理想も言ってられないので、「ここいらで手を打っておかねば」と妥協して彼女彼氏を見つけるというのではなく)、妥協という要素なく、お互い相思相愛になり、結婚する、という王道人生を行っている人って、どのくらいいるんだろうか。

※バブル世代は、恋愛結婚を王道とし、見合い結婚を負け組と見る向きがあり、結婚式の披露宴でも、本当は「見合い」なのに、「紹介されて知り合い恋愛結婚」ということにしていたカップルも多い。まあ、見合いで知り合い、そこで恋愛感情を抱いたのだから、恋愛結婚だ、とも言えるんだろうけど。

今はほんと、そこそこ自由な価値観が認められつつあり、そこは昔よりは良くなったな、と思う^^;いかに世間が「恋愛しよう」と騒いでも、昔ほど、世間の価値観からの影響力強くない。

※オタクが世間から悪の標的にされたのは、この「恋愛にあまり積極的ではない人が多いから」だろう。なので「恋愛弱者」と見下し、バカにする空気を作っていったのだと思う。んで、学校ではカースト最下層にされ、いじめ問題にも影響していったと思う。


恋愛しない人が増えたと世間はさわぐが、「恋愛しない」というよりも、「恋愛をするためにがんばってがんばって彼女彼氏を見つけるというような努力することはしない。自然の出会いにまかせる。出会わなければ、それで仕方ない」ということなのだろう。
学校や仕事先、趣味の場で自然に出会い、相思相愛になれば、それが「恋愛」なのだろう。(片思いは恋愛していることにはならないらしい)

がんばってがんばって相手を見つけて、なんとかおつきあいにこぎつける、というのは、すごく大変で疲れそうだし、そういった活動が楽しい、と思える人でないと厳しいだろう。
で、その先が「結婚」であり、そこまでお付き合いを持続させるエネルギーはない、恋愛を最優先にはできない、と思う人が、「恋愛は別にしなくてもいい」という「恋愛に後ろ向き」に入るのだろうが、当然そういう人もけっこういるだろう。

恋愛するために、好きになれそうな人を見つける努力はしないけど、まず好きな人と出会い、幸運にも相思相愛であれば、自然に恋愛することになるのだ。
『自然派』がわりといるのかもしれない。

それに恋愛をしようとがんばったのに成果がないこともあるし、仕事や趣味も大事にしている人にとって、そんな恋愛はあまりにエネルギーがかかりすぎ、負担だろう。

それに、がんばってでも、おつきあいを持続させたいような相手と出会う確率は、まあ、もしかしたら奇跡のようなものかもしれない。

仕事や趣味や友達とのつきあいよりも優先できるような相手、あるいは仕事や趣味と両立できて、無理なくバランスよくおつきあいができる相手と相思相愛になるって、人生のなかで一度あればいいほうだろう。それが結婚に至り、さらにその後の長い長い生活を破たんさせずに、一緒にやっていけたとしたら、奇跡の中の奇跡だろう。

それにはお互いの努力もいるのだけど、その努力が嫌にならず持続できる、努力が報われる、ということも、ひょっとして「運のひとつ」かもしれない。

本村さんと弥生さん、山口智子さんと唐沢寿明さんは、そういったことでは幸運な人たちだったのかもしれない。
(本村さんと弥生さんについては、犯罪に巻き込まれ、悲惨な結果になった件は全くの別問題ということで、語っている)

ところで、弘兼さん関連、育児イクメン関連では、こんな記事もあった。
・・・・・・・・・

https://news.careerconnection.jp/?p=6827
転載

「イクメン批判」弘兼氏を新橋のサラリーマン擁護 「金もらっている以上、責任ある」
「そんな奴に仕事任せられるかっていうと任せないよね…。1しか力がないのに、育児に0.3費やされたら、もう0.7じゃないですか。そいつには任せないよ」(50代男性)
「突然子どもが熱出したりとか、時間の割り込みの連続なんですよね。表面上は『行って来い』と言っても、内心は『困ったな』と思います」(40代男性)
「仕事してお金もらっている以上、責任があるから、何ヶ月も育児のために休むとか、我々の世代からすると難しいかなと」(50代男性)

「弘兼さんの世代は高度成長。男性はバリバリやって女性は(専業)主婦だったので、ああいう意見がストレートに出てくる。だが今は不況で共稼ぎ。僕も管理職だが『イクメン』と言われた時に、分からなくて戸惑っているのが現場の気分だと思う」

欧米では「エグゼクティブ」と「スタッフ」の責任の重さが明確に分かれているといわれる。普通のスタッフは、プライベートの時間を仕事に侵食されることはないが、エグゼクティブは高額な報酬と引き換えに、家事や育児のアウトソーシングサービスを使いながらも仕事をすべてに最優先せざるをえない。

日本のサラリーマンは、米国の「スタッフ」並みの待遇で、「エグゼクティブ」並みの貢献度を求められていることに、ネット民は敏感に反応しているのかもしれない。

・・・・・・・
https://news.careerconnection.jp/?p=12385
転載

「育児休暇」の呼称に子育て世代が反発 「休めないのになんで?」「育児休業と正しく呼んで」父親や母親が育児に専念するために、会社に申請して取得する「育児休業」。仕事をしている同僚からすると「休めていいな」と思うかもしれないが、実際には睡眠もままならない24時間体制の「子育てブラック労働」であることも少なくない。

特に現役の子育て世代の中には、メディアが安易に「育児休暇」といった呼称を使うことに不満を抱く人たちがいるようだ。あるツイッターユーザーは、この言葉に「何とかならないもんかと以前から思ってる」と違和感を表した。
「24時間仕事状態になるようなもん」と共感の声

「あー実際休暇でもなんでもないもんな。24時間仕事状態になるようなもんだし」
「確かに、『休暇』とかいう名前付けるから、休暇どころか休みなく家事育児してるのに、お前は休みだろ!!なんてことを言われるのかも」

ある女性は育児休業から復職後に、一歳半までの「がっつり育児の日々」よりも「出勤して休憩もある方がずっと休む時間が多いと思ったな」と振り返っている。

・・・・・・・・・・
転載終わり。

子育てがついに「ブラック」呼ばわり・・・いや、それだけ大変ということで、これはますます少子化に拍車がかかるだろうな、と。
昔はその大変さをあまり覚悟することなく、子どもを作ってしまい、産んだからには責任もって育てないとならないわけで・・・そんな感じで女性がヒーフー言いながらも、なんとかまわっていったのだろう。そこには「みんなもやっているのだから」と、自分を納得させて、がんばりにがんばっていたのだろう。

大変さは子どもにもよるのだろうし、一般的に男児の方が大変だと聞く。
※弥生さんのところは女児で、大人しかったそうだから、大変とはいえ、育児で本村さんに愚痴をこぼすほどではなかったのかもしれない。

ま、肉体的キツさに加え、精神的辛さもかなりのものがあるようである。
なので夫のサポートはかなり重要だろうな、と。
夫のサポートが得られない場合、実家の両親のサポートがないとやっていけないだろう。(夫の両親はやはり気兼ねがあり、気安く頼むことができず、精神的に負担であろう)

ちなみに、弘兼さんと柴門さんという漫画家夫婦の話題に因んで・・・
こちらは破たんしてしまった漫画家夫婦、[「海猿」の佐藤秀峰さんと佐藤智美さんのメルマガ記事をリンク。
http://ch.nicovideo.jp/shuhosato/blomaga/ar302327

浮気はいいけれど、相手の女性を妊娠させてしまったら・・・柴門さんなら、どうするだろう? さすがに離婚?

けど、家庭を顧みず、本来、家庭に向けるべきエネルギーをほかの女性に向けていたのだとしたら、やはりその時点で「この人と家庭を一緒に築くべき相手ではなかった」と、今の若い女性なら思うだろうな。経済力がなければ、我慢して、夫のことはあきらめて、お金さえ家庭にいれてくれればいいと考える女性もいるだろうけれど。(とくに子どもがいたら、ね)
それどころか「亭主元気で留守がいい」というし^^;

浮気するのに、やはりそれなりの時間とお金を相手の女性にかけるだろうから、奥さんとしては、その時間とお金を家族にかけてほしかったと思うし、裏切られた気分になるだろう。

ま、柴門さん世代は『裏切られた』と思うよりも、『仕方ない』『男とはそういうもの』と割り切っているのかもしれないが。

相手が信用できなくなったら、終わりだよなあ。(信頼ではなく、信用ね)
それは配偶者のみならず、彼氏彼女、友だちにおいてもそうだけど。

恋愛をずっとしたい人は、結婚には向かないかもしれない。どうしたって、配偶者にずっと恋愛感情を抱き続けるって、無理だもの。
あるいは、お互い、浮気をすることを認めるか。もしくは柴門さん世代のように「浮気は仕方ない」と割り切っている人と結婚するか、だな^^;

・・・・・・・・・
余談その1 出産トラブル

直腸膣ろう、とか・・・なんだかいろいろある。
http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa2001504.html
http://ameblo.jp/pandacopanda-diary/entry-11178477593.html


やっぱ、こういったこと、パパも知るべきだな・・・本当にママは大変だ。

「出産は皆がやっていること」と、軽く考えている人は、家庭を顧みなくなるのかも。
というか、子どもを持つとき、「これだけの負担が母体にかかる」と思いやり、家庭優先に生きていけるのか、真剣に考えて、結婚するかどうかも決めたほうがいいのかもしれない。

ましてや、こういった出産トラブルや出産そのものを「気持ち悪い」「もう妻を女として見れない」「知りたくない」と言う人は、結婚には不向きかも。というか子どもを持つのは不向きかも。そんなパパだと知らずに運悪く結婚してしまったママも、生まれてくる子どももかわいそうな気がする。
(バブル世代の男性で少数ながら、こういう人がいた)

・・・・・・・・・
余談その2 産後クライシス

http://synodos.jp/newbook/6405/2

転載。
・・・・・
身体的危機ですと、とにかく陣痛はひたすら痛くてたまりませんし、しかも生み終わってもずーっと痛いんですね。体力もなかなか回復しなくて、私は出産後に普段なら20分程度で行ける1キロほどの道のりを1時間以上かけてゼエゼエ言いながら歩きました。母乳が詰まると胸は腫れるし、乳首も痛い。朝から晩まで赤ちゃんに手をかけなくてはいけないのでひたすら体力が削がれます。

精神的にも不安になります。ちゃんと育児ができるか不安になりますし、泣いている赤ちゃんがどうして欲しいと思っているのかわからない。私は辛い物が大好きなのですが、辛い物を食べると母乳が不味くなるのか、赤ちゃんがおっぱいを飲んでくれない。すぐにペッと吐きだされてしまう。自分の時間なんてとうてい持てませんから、すべての時間を赤ちゃんにあわせて過ごさなくてはいけません。

そして、いつになったら仕事に戻れるんだろうという社会的な不安もあります。育休が終わって仕事ちゃんと戻れるのか。保育園に入ることはできるのか、子育てをしながら働くことはできるのだろうかという不安。しかもいまは少子化ですから、同じくらいの赤ちゃんを育てている方が近所にいないので、相談することもなかなかできない。友達に子どもがいなければ、話題もすれ違って友達とも疎遠になってしまいます。

そんなたくさんの不安の中で、夫がほろ酔いで上機嫌に帰ってきたら……。たいしたことじゃないとお思いなのでしょうが、いろいろなものが積み重なっている妻の怒りが爆発してしまうのも仕方ないと思います。妻の怒りが爆発しなくても、夫からしたら、なぜかわからないけど不機嫌な妻がいる家には帰りたくなくなってしまって、つい仕事帰りに一杯飲みに行ってしまう。これってお互いにとっても不幸なことですよね。

・・・・・
転載終わり

そこで、リョーコさんのひとことを紹介。

以下転載。
【子育ては、計画段階では子供の意向が流動的で先を見通したプラニングをしづらく、実行段階では途中で遮られ変更を余儀なくされることが多いし、達成感を得ようにも子育ての成果が出るリードタイムも長い。仕事と違いコントロール可能範囲が狭い辛さを、配偶者の方も理解してあげて欲しい】



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別れ方(愛之助さんと熊切さんの話題) [人生・生き方・生活・人間関係]

愛之助さんと熊切りさんの「別れ問題」について♪

いろんな人の意見、聞いていると・・・どうやら私は『男性脳』というか『男性的思考』なんだなと改めて思った。

電話で別れ話、「あり」か「なし」かといえば、とりあえず「あり」。何年付き合おうが、同棲していようが(相手が出て行った段階で「別れ」の意思表示しているよね?)

もち、それは失礼な態度かもしれない。

が、相手は所詮、その程度の人間性、もしくは「その程度にしか思われていなかった」「軽く扱われた」ということで、そこで踏ん切りつけたほうがいいのでは、と。

もし恋愛のゴールが結婚なんだとすれば、そういう相手と結婚せずにすんだ、ということでラッキーと思うしかない。

相手は「会ってする別れ話」も面倒くさかったのだ(ま、話しづらいよね。できれば、すったもんだは避けたいだろうし、フェードアウトして平和的にお別れしたいだろう)、そんな相手と一緒になって、その先、一緒に人生を歩む方が不幸だと思う。

一緒になったところで、何かトラブルが起きた場合、おそらく相手は逃げるだろう。一緒に解決しようなどとは思わない。浮気も不倫もしまくりだろう。
穏やかな家庭生活を築けるとは思えない。


んで、別れるについて。

男性はどちらかというと「完全に縁を切りたくなく、できればお友だちで、もしかしたら復活の可能性も・・・なので別れ話はしたくない」という人が意外と多いようだ。

女性はその反対だという。完全に縁を切りたいと。

ワシはせっかくの縁なんだから、完全に縁を切るのももったいないし、お友だちでいいじゃんか、と思う。(男性的思考のようだ)

もち、ほんとうに嫌な奴で縁を切りたい場合もあるだろうけど、
「嫌いじゃないけど、もっと他に好きな人ができたので、あなたとはお友だちとしておつきあいいただければ嬉しい」「あなたを最優先にする気持ちはないだけで、嫌いじゃないのだ。お友だちとしてならOK」という男性の気持ち、よく分かるし、ワシもそうだ。
嫌いじゃないんだから、お友だちでもいいじゃんか、なぜいかんのだ? と。
もち、相手が「自分が一番じゃないのなら完全に別れたい、二度と関わりたくない、友だち関係なんて成立しない」というのなら仕方ないとは思うが。

その代わり、男性側も、女性が「あなたのこと嫌いじゃないけど、ほかに好きな人ができたので、今後はお友だちとして♪」と言われた時、それを受け入れないと不公平だよな^^;

ま、相手にとっての1番になる、って結構、大変。
自分、そんなできた人間じゃないし、相手を縛るのは気が引ける。
っていうか、皆、自信、あるんだなあ。
ただ結婚となると、第一優先してもらわないと困るので、そこがネック。
だから自信のない人は結婚に向かないね。

それに相手に対し、恋愛ならいいけど、結婚にはちょっと、って男女共にあるだろう。

まあ、そんないざこざを見ていたら、「パラレル~」 http://ncode.syosetu.com/n2006cl/ またはhttp://www.pixiv.net/series.php?id=486383(および「プライオリティ」 http://ncode.syosetu.com/n1557cj/
)の静也と理沙は相思相愛、恋愛からスムーズに結婚まで行き、その後もうまくやって行っている様子なので、恵まれたカップルだよなあ、と思ったのでした。(いや、作者がそうしているのだけど)

でも、この二人、その後、不倫とか浮気とかあり得るかしら???

ところで、男性側の結婚には及び腰な理由、分かる気がする。
仕事を続ける女性が結婚に及び腰なのと一緒。
「イクメンっていうけど、オレ、家事育児の分担、自信ない。仕事するだけで手一杯。家庭内コミュニケ―ション?・・・疲れる・・・奥さんの、興味もてない話題に何でつきあわないといけないの? 休日くらい自由でいたい・・・」などなど。

なので恋愛と結婚は別って、男性側にもあるわけで、「オレを疲れさせない奥さんがいい」という男性の気持ちも理解できる。女性側もそうなんだろうから、お互い様だね。


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コミュ力と友だちがいないことについて [人生・生き方・生活・人間関係]

女性の視点から見て、彼氏に「同性のお友達がいない、もしくは少ない」というのは、わりとネックになりそうな気がする。
「友だちがいないのは、人間的にちょっとおかしいのでは、性格に難があるからなのでは」と警戒心が働き、「同性の友だちの数」を気にする人もいるんだとか。
要するに、同性の友人から好かれている=人間的に安心、人間ができている、という判断材料にするようだ。

友だちいないと、なんだか「人間失格」みたいな・・・あるいは「犯罪者予備軍」「問題人物」にされそうな・・・
友だちいないと(少ないと)、肩身狭くて、コンプレックスにさいなまれそう。悪ければ、いじめの標的にされる。

そして反対に「お友だちが多い=コミュ力高い=人気者=人間関係スムーズ=できた人間=よって人脈が広い、お仕事ができる」と。
私もそう思いがちだった。

そこで・・・「なるほど、そういう見方があるか」と思った漫画家・須賀原氏の発言を紹介。

https://twitter.com/tebasakitoriri/status/608820371500834818
転載

【「コミュ力」って一般には、友達が多いとか異性によくモテるとか会社で部下・上司にウケが良いとか営業トークがうまくて成績が良いとかそんな感じの能力なのかな。でも家に帰ると親と険悪だったり妻(夫)と仲悪かったり子供に嫌われてたりしないのかな。だって外ヅラにはエネルギー使うでしょ】

【コミュ力って要するに外で猫をかぶって社交辞令のやり取りが出来るかどうかってことのような気がします。自分に興味のないこと(お天気とか、話題のスポットとかそういう当たり障りのないこと)にもソツなくついていける人のことですよね】(ほかの人のコメント)

【その程度の能力だと家庭ではすぐに底が知れますよね】

転載終わり。

ああ、たしかに・・・友だち多い男性って、それだけ「おつきあいにエネルギーかけている」ということで、そういう男性を夫に持った奥さんは、わりと不満を持っていそうだ。

だって、「おつきあい」を優先するってことで、家庭のことより「お友達とのおつきあい」が上位になっている場合がけっこうありそう。
家事育児分担よりも、「外の人とのおつきあい」である。
時間もお金も、そっちにまわされてしまう。

でも、本当のコミュ力って、家庭の中でこそ問われるのかもしれない、とふと思ってしまった。

家庭の中でも、話し合いで妥協点を見つけ、お互い、不満を募らせないよう、うまくやっていく力って、必要だよなあ。これこそが本当のコミュ力かも。

なので、「パラレル~」の静也君=「プライオリティ」のセイヤ君は、家庭では奥さんである理沙ちん=リサちんと上手くやっていっているので、案外、コミュ力あるのかもしれない・・・いや、上手くやっていくには相性もあるだろうけど。
そしてこの場合、お友だちがいないからこそ、上手くいっているのかもしれない。
何しろ、静也君=セイヤ君はお仕事終わったら早々に帰るし、休日も家にいる。
なので家事もやってくれるし、エネルギーを家庭に、奥さんに注いでくれるのだ。
ま、そんな旦那さん(いつもいつも家にいる)をうざいと言う奥さんもいるかもしれないけど。家庭放置、家庭をほとんど顧みないよりはいいかも?

ま、一方で、家庭は奥さんにすべてお任せ、その代わり、ダンナさんは家庭のことに口出ししない、というやり方で上手くいっているご夫婦もいるけれど。
こちらはコミュ力というより相性になるのかな。

まあ、とにかく、主人公として「お友だちがいないって、どうよ?」と思っていたけど、必ずしも「同性の友だちがいない=コミュ力がない=人間性に難がある、劣る=お仕事もできない」という図式が当てはまるとは限らないようだ。

むしろ「お友だちが多いダンナさん」も、いろいろ問題があるかもしれない。
で、外ではコミュ力あり、仕事も上手くいっているのに、家庭の中では奥さんや子供とまるでコミュ力がなく、疎外感を感じている男性も意外と多いのでは、と。

そんなことを思ったのでした。
・・・・・・・・・・・
余談

うむ、ようやく「日の丸街宣女子問題」「有田氏VS富田氏」から離れたか、と思ったそこのあなた。

しかし、まだまだ気になる。
そんな中、こういうサイトの記事を目にしてしまい、いろいろ考えさせられたので、感じたことを書いておく。

https://note.mu/mig_21ssmt/n/n9b423eec5fb5

在特会元会長の桜井氏(有田氏とカウンターが一番敵視している人物)が、日比谷公会堂で講演会をするそうだ。
で、こんなことが書かれていた。

以下、転載。

【「それに伴って在特会も初めてデモに参加する方たちを呼び込もうというより、安心して出てくださいということで、私たち全力で守ります」

「そして日之丸街宣少女にあった妨害が本当にあるのか、そして私たちが死ね・殺せと怒鳴っているのか、肌で感じていただきたいなと思っております」

「いわゆる反ヘイトのグループの人達って、レイシストって私たち呼ばれてますけど、そういう人達とちょっとでも共感すると仲間はずれにしたりとかね、総攻撃してくるでしょう。仲間内でですよ。これ左翼特有らしいんですけど、すぐねぇハブられるんですよ」】

転載終わり。

今、在特会って「殺せ」などの『問題発言』(プラカードに書くことも含め)してないのか?
仮にヘイトスピーチ規制法ができた場合、過去の発言は問題にはならないはずだ。(問題にすれば事後法で裁くことと同じになり、現代の民主主義国ではありえない)
発言にさえ気をつければ、そのまま在特会は存続できるってことになる。

※けど、どういった発言がヘイトとなるのか、単なる悪口も許されない? じゃあ、どこから悪口になる? 在日外国人のみ、悪口を言ってはいけない? なんだかおかしい。やっぱりヘイトの定義づけは難しい気がする。

悪口と言えば、「ゴキブリ発言」は有田氏もしたのだし。「キモオタ死ね」はヘイトにならないのか。などなど。
そう、有田氏側も悪口は普通に発しているよね?

そしてもし、現在、在特会が過激な発言(殺せなど)なく、在日や韓国、北朝鮮への批判、政治的発言で集会やデモを行っているんだとしたら、ヘイトとは呼べない。仮に、これをやってはいけない、となると、それこそ憲法違反になる。

んで、気になったのはこの箇所。

【反ヘイトのグループの人達って、レイシストって私たち呼ばれてますけど、そういう人達とちょっとでも共感すると仲間はずれにしたりとかね、総攻撃してくるでしょう。仲間内でですよ。これ左翼特有らしいんですけど、すぐねぇハブられるんですよ】

共感、歩み寄りこそ、解決への第一歩になるのに、カウンター側はそういったことは認めない?

って、これはあくまでも「在特会側の一方的な広告」なので、カウンター側の反論なしに鵜呑みにしようとは思わないけど。

カウンター側も在特会に対し、ただの悪口ではなく、些細なあげ足取りではない説得力のある反論、証拠(昔の画像や動画ではなく、今現在の在特会のデモの様子)を持ってこないと、なかなか信用を得られないだろう。
ただ「信じるな」「騙されるな」「相手はレイシスト」「こちらは正当だ」と訴えるだけじゃ、説得力に欠ける。

もしも、今現在の在特会が暴言も吐かず、なんら問題ないとするならば、「やり方を変えた今現在の在特会と関係を持つ人たち」をレイシストと呼ぶのは乱暴かもしれない。

そして、どの程度の悪口からヘイトになるのか? 『殺せ』は誰でも問題だと思う、が、「出ていけ」だと、沖縄では在日米兵が言われているし、「死ね」はカウンターも言っているし、有田氏は「キモオタ死ね」のイラストをアップした。(デモであればプラカードということになる)・・・

「在日死ね」はダメで、「オタク死ね」はOKというのも、納得できない。「オタクは趣味だから、変えられるでしょ、死ねと言われたくなければオタクをやめればいい」とは乱暴な理屈だ。

というわけで、歩み寄ることできず、話し合いで解決も不可能、相手と同じような振る舞いをし、挑発しあい、大人の対応ができなかった有田氏含む一部左派・・・

左派って「歩み寄ろう、話し合いで解決しよう、挑発にのるな、大人の対応をしよう」って外交については言うけれど・・・それがいかに実現が難しく、場合によっては不可能なことか、こういったことでも身に染みたはずだと思うのだけど・・・
だって、こんな小さな団体相手に、日本人相手に、歩み寄り=交渉ができないのだから。

有田議員が蓮池透氏から「何もしない政治家」と言われたワケが分かる気がした。在特会やネトウヨ相手にこうなんだから、北朝鮮相手に何かできるはずもなく、結局、何もしなかった・・・んだろうな。

(ネトウヨと十把一絡げにして申し訳ない。いろんな人がいることは百も承知。ここでいう「ネトウヨ」とは世間が思っている「粗暴な言葉を吐く人」ということで。私も粗暴で感情的な言葉を吐く人は左派であろうが右派であろうが苦手だ)

・・・・・・・・・
やっぱり疑わしい有田氏。印象操作している? (証拠があるようだ・・・)

https://twitter.com/ikaryakuchan/status/608865799516725248
転載。

有田芳生議員
【法務委員会が終りました。1月から5月末までに行われたヘイトスピーチデモは20件。昨年同時期には60件だったと警察庁が答弁しました。法務省の「ヘイトスピーチ、許さない。」を改ざんしたものはネット上で8件、削除要請し、ほぼ凍結されたと人権擁護局が答弁しました】

他の人の発言
【参考人は「ヘイトスピーチデモは20件」とは答えていませんよ。「右派系市民グループのデモ」と答弁しています】

https://twitter.com/ikaryakuchan/status/608886234627178496
【有田芳生センセイは右系のデモ全部に「ヘイトスピーチデモ」というレッテル貼り。
ヘイトスピーチデモと発言しているのは有田さんだけです】

転載終わり。

ヘイトスピーチは拡大解釈され、そのうえでヘイトスピーチ規制法が通れば、右派系のデモが標的になるだろう。
ヘイトの定義があいまいだ。悪口=ヘイトでもないのだ。しかし有田氏を見ていると、在日コリアンへの悪口のみ「ヘイト」にされる危険性がある気もする。そして「批判」もしづらくなるだろう。「言論の自由や表現の自由も脅かされかねない・・・非常に問題のある法案だ。

※富田氏が作成した「ヘイトスピーチ規制法」への懸念、反対理由が描かれたチラシ
http://at9-bloods.but.jp/DL/hatepanf.pdf

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