So-net無料ブログ作成
検索選択
本・テレビ番組・ドラマ・映画・マンガ・アニメ ブログトップ
前の5件 | -

3日あれば大丈夫という、今日の鳥越っち [本・テレビ番組・ドラマ・映画・マンガ・アニメ]

追記。
バンキシャにて
「(五輪予算)どこに無駄があるのか、具体的にどこを無くすのか?」という質問に対して鳥越っちったら「わからない」とビックリポンっなお返事をされたとのこと。
3日の勉強じゃやっぱり無理だったのでは。どこに無駄があるのか、わからない残念な鳥越っちだったようじゃ。。

・・・・
この頃、鳥越っちが気になる。今日は何をやらかすんだろう?と興味シンシン。
そして、でましたっ、まさかの鳥越っち発言。

https://twitter.com/shuntorigoe/status/757067341616123905
※ツイッターは鳥越氏本人がやっているわけではないけれど、スタッフ(なんか板橋区の議員だとか?)が鳥越氏の発言をこうやって送っているらしい。

以下転載。
【「急に出馬を決めたので、当初は確かに都政の知識が十分ではなかったが、私は51年現場でやってきた人間だ。3日あれば大丈夫だ。もう他の候補に負けないくらいの政策を出している。介護中小企業保育の問題などを中心に取り組む」】

な、なんですと~っ?
びっくりぽん。

介護離職、認証保育所を知らなかった鳥越っち・・・3日のお勉強では無理なんじゃないのか?
つうか51年ジャーナリズムの現場にいて、都の全国最低の出生率や介護離職の意味を知らなかったとは。突っ込みどころ満載なそんな鳥越っちが気になる今日この頃。もちろん投票はしないけど。
どこから出てくるその自信。不思議な鳥越っち。お仲間も不思議な方ばかりだからかなあ。

鳥越っちがこんなキャラだったとは・・・まさかのムンバイっ。


nice!(0)  トラックバック(0) 

民進党・有田議員の弟>図書館戦争の良化隊のようなことをやっている? [本・テレビ番組・ドラマ・映画・マンガ・アニメ]

有田議員の弟氏のツイート。
https://twitter.com/ka1206/status/750095356457725952
転載。
【日常使う書店の方からの百田尚樹さんの本の取り扱いについてお返事抜粋ー

テレビやその他の媒体で見かける発言は気持ちのよいものではないので、著書を売る事に抵抗を感じてもおります。
本日文芸担当者と相談いたしまして、とりいそぎ平積みをやめ、1冊だけ棚に残す形にさせていただきました。】

対する百田尚樹氏のツイート。
https://twitter.com/hyakutanaoki/status/750148389547888640
転載。
【驚くべきツィート!!
こんな書店が実在するとは!
有田和生氏というのは、有田芳生氏の弟さんらしいが、参議院議員の有田氏は、一種の言論封殺とも言えるこの行為に対して、何もコメントしないのか。】

転載終わり。

作家の人間性など書店の方が気にするのか??? いや商売は別だろう。だから最初は平積みにして売っていたのだろう。
が、国会議員がバックについているから書店の人も、有田議員の弟に反感持たれないようにするしかなかったのかもと穿った見方をしてしまう。

ただ固定客がいるそうだから、その手の人たちのために商売しているのであれば、その手の人に嫌われないように、顧客が不愉快にならないように商売するというのなら理解できる。

それでもだ、最初は平積みにして売っていたのだから、それを見た有田氏弟が指摘し、書店側は有田氏が気に入るように、百田氏の本を下げたのだろう。

いや、やっぱり図書館戦争の良化隊を思い出してしまった。もち有田氏弟個人がやっていることだから、そんなに影響力があるわけじゃないけれど。やはり、やっていることは気持ち悪い。だって作家の人間性を問題にしているんだもの。本の中身じゃないんだもの。(本の中身がヘイトだとか差別的だとか言うならまだしも)

本の中身ではなく作家の人間性で、本を犯せないように圧力を加えるって、良化隊より酷い?
nice!(0)  トラックバック(0) 

嫌いな性格づけしたキャラを描くのは難しい?(別冊図書館戦争2を読んで)ネタバレ注意 [本・テレビ番組・ドラマ・映画・マンガ・アニメ]

7月3日追記。
6月29日追記。
ふと思った。(とはいっても、私は読書家というほどではないので、何となくそう思ったということで)

男性作家は、主要キャラとして「容姿が劣る女性」という設定でお話を作らない気がする。端役、雑魚キャラとしてなら登場するけれど。
つまりそういう女性キャラを最初から出さない。そんなキャラは主要キャラにするほど興味持てないし、考えたくもないのかもしれない^^;(ちなみに男性キャラならありうる。主役級もあったりする)
主役級の女性は美人。悪役も美人だ。美人しか出さない^^;

で、女性作家も美人好きだけど、たまに主要キャラに容姿が劣る女性を出したりしている。(もち、ケースとしては少ないけど)
で「容姿がさえないキャラ・ブスキャラ」を、なぜか性格を強気にしたり、もしくは共感を得られない嫌われるような行為をさせる。性格も全く魅力なし。
そこに共通するのは遠慮のない蔑視だ。遠慮なく笑いものにしたり、もしくは救いなく不幸に陥れ、誰からも愛されない話にしたりすることがけっこうある? 
(でも今のところ「恋愛小説」(椰月美智子)か「図書館戦争別冊2」(有川浩)しか知らないのだが)

容姿の冴えない女性キャラを全くいいとこなしで、読者に100パーセント共感できないように描写している・・・女性作家の方もけっこうブスに厳しいのかもしれない^^;

ただ朝比奈あすか氏の「自画像」は良かった。こちらも容姿が冴えない女キャラが主役級で2人ほど登場するが、きちんと劣等感や、周囲から見下されいじめられる描写があり、心理描写も丁寧。なので共感できる部分もある。少なくとも、全くいいところなし、という描き方はしていない。

やっぱり、キャラをいかに丁寧に描くか、だよなあ。
逆に、丁寧に描く気がどうしても起きなければ、最初から登場させないほうがいいのかも。
というか作者が嫌いなタイプの人間を物語上に登場させると、そういう描き方(いいところ全くなし、100パーセント魅力なし)になるのかもしれない。

・・・
6月26日
遅まきながら、図書館戦争シリーズ(有川浩)を読んだ。
ああ、こういう話だったのね。このノリ、キャラでひっぱる話、漫画みたいな物語はけっこう好きなので、おもしろく読んだ。
それでも、「別冊2」だけ、ひっかかった点があったので、感想を記してみようと思う。

以下ネタバレ注意。

で、その「ひっかかり」は、椰月美智子氏の「恋愛小説」と同じだ。
図書館戦争別冊2に登場する『水島さん』が、『ジェロニモさん』(「恋愛小説」に出てくる気持ち悪い描写をされたオタク女子)とリンクした。
まさに『恋愛小説』読んでジェロニモさんがかわいそうになってしまったのと同じ。水島さんがかわいそうになってしまった。

物語上では、水島さんとジェロニモさんも、救いなく、全く魅力もなく、もちろん主人公らと和解することなく、気持ち悪く、読者からも共感を得られない描き方をされている。
作者の「キャラへの愛」が全く感じられない。悪キャラにしても、いちおう物語において主要人物なのにだ。(ジェロニモさんにおいては、悪キャラというより、ただ気持ち悪くウザいだけの笑いものキャラ)

水島さんやジェロニモさんとリンクした性質を持つワシは、やっぱり嫌な気分になった。

水島さんは真面目だけが取柄で目立たない地味キャラで「すみません」が口癖な卑屈なところがあるつまらないキャラ。当然、魅力もなく、皆から引かれている、友だちが少ない。

ジェロニモさんは、我が道を行く空気を読まないオタク女子。デブスでおしゃれに疎く、センスが悪い。で、皆から陰で軽く見られている=馬鹿にされている。
(神の視点で、皆から親しまれていると説明があるが、その後、ジェロニモさんは気安い、それはジェロニモさんに嫌われてもいい、彼女は皆にとってどうでもいい人間だからだというような記述がある)

ああ、そういえば水島さんも空気読めない系、結果、相手を本当の意味で気遣えない。
やはり空気や相手の気持ちを読めない者はダメなのか・・・

そう、どちらも、現在の「いじめられっこ」の性質(人から疎まれる性質)を持つ。

が、なぜか強気な時は強気(ジェロニモに限ってはずっと強気)。
なので作者もその強気となった疎まれキャラを物語上で悪しざまな描写をする。

それが、私には,いじめているように見えた。作者は物語の世界においては神さまだからだ。で、キャラを生んだ親ともいえる。

神様であり親でもある作者は、その疎まれキャラに一切の幸せを与えず、読者からもひとつも共感を得られない描き方をし、みじめ、痛いキャラで終わる。いいところがひとつもなく描かれる。物語上、主要キャラなのにだ。

この「図書館戦争別冊2」では、仕事能力ともいまひとつで地味で卑屈な人間、友だちも少なくコミュ障といっていいかもしれない水島さんは柴崎を陥れる犯罪を犯す。全く「いいところなし」のキャラ。

一方、柴崎は手塚と結ばれ、幸せを手に入れ、皆から祝福される。

なお、ここで主人公として登場する手塚と柴崎は、容姿も頭も良く、仕事もできて、皆からも注目の的で、異性から憧れられモテまくるキャラだ。
つまり完全な勝ち組キャラ。

そんな勝ち組キャラが、水島さんに投げつける言葉が、いじめっ子のような感じ。
卑屈なのでイラつくのは分かるけど。

さすがにこれはないな、と思ったのが、手塚(男)の水島さんに対する言葉。
「あんた、気持ち悪い」

男が、女に言う言葉としては、かなりキツイ。(しかも水島さんは手塚が好き。ちなみにこの時、手塚は水島さんが犯人だと知らない)
もち、作者は、そうされるようなキャラに水島さんを仕立てていったわけだけど。

『恋愛小説』のジェロニモさん(女)も、主人公から散々気持ち悪がられたっけ。

いじめられっこ性質を持つ者にとっては、おそらくキツイ話だと思う。どうしたって水島さんに己をリンクさせてしまう部分があるだろうから。

そして水島さんは全くいいことなし、嫌われキャラでみじめに終わる。勝ち組キャラの手塚と柴崎がくっつくための、雑な描写しかされてない単なる「当て馬キャラ」「捨てキャラ」だ。

特別な能力もなく、地味でおとなしく、コミュ障害で友達少ない、真面目だけが取柄で仕事ができず(要領が悪いのだろう)、皆から引かれている、そしてそんな性質を持つにいたる過程は描かれていないので、誰からも共感得られず、単なる卑怯な犯罪者で終わる、いいところがひとつもなしで、反省もしない、従って和解もない、読者からも「いい気味だ」と思われる嫌われキャラ。
悪役の魅力もなし。

そう、悪役は悪役なりの魅力がある物語もたくさんある。
性格はともかく頭がいいとか、特殊な能力があるとか、容姿はいいとか、部下を引っ張りリーダーシップが取れているとか、悪を行うに至る理由が愛する誰かのためとか、あるいは自分が犯した罪を反省する、あるいはそれに至る不幸な生い立ちがあるなど、わずかでも読者の共感を得られるよう、作者は普通、そういう悪役を作る。主要キャラなのだから。

魅力がひとつもない負けキャラで、読者からの共感が全く得られない無残な結末を迎える悪役がいたとしたら、その性格や性質をもつ人間が、おそらく作者は嫌いなのだ。だから悪しざまな描写をする。

図書館戦争の水島さんでいえば、容姿も地味でおとなしく、頭がさほどよくなく、卑屈なのでイラつかせる・・・作者の有川浩氏はそんな女性が大嫌いなのだろう、と推測してしまった^^;
だから誰からも共感されない全くいいところなしという雑な描写になるのかも。その性格が形成されるにいたった理由も描写しない。単なる負け組要素満載なちんけな嫌われキャラ。

水島さんは、神であり親でもある作者から、そういう扱いを受けたキャラだ。

それがよく表れた水島さんについて最後に書かれた一文がある。

「図書館戦争別冊2」より転載
【地味で目立たない水島のスキャンダルに寮は一時期湧き上がったが、本人が懲戒免職を受けているうえ、地味で目立たない分だけ出てくる話題も乏しく、すぐに鎮静化した】

転載終わり。
【地味で目立たない】を2回繰り返し、水島さんがいかに「ちんけな悪役」だったかが表されている。

なので水島さんがかわいそうに思えてしまった。
地味で目立たないって、そんなに見下されることかしら。

というわけで、私からすれば、作者という神から愛され世間でいう勝ち組要素を持つ手塚と柴崎の強者っぷりに、いじめっ子に見えてしまった。(もちろん彼らは物語上では被害者なのだけど)

結局、勝ち組は幸せになり――そういえば、なぜか皆(郁、堂上、柴崎、手塚、小牧、毬江)容姿はいいという設定だ。それだけに水島さんの目立たない地味容姿という設定がかわいそうにも思う――負け組は勝ち組にちょっかいを出して不幸になる、そんな話にも思えてきた。
(水島さんは手塚が好きで、柴崎に対して歪んだ思いを抱き、あのような犯罪を行ってしまった)

一番印象に残った場面は・・・柴崎が、水島さんをうざがる描写にドキッとした。学生時代、地味で鈍くさくトロかった私も、きらびやかな女子やしっかり女子から、ああ思われていたんだろうなと痛い気分^^;


続きを読む


nice!(0)  トラックバック(0) 

「Aではない君へ」と「母親やめてもいいですか」と「家族という病」 [本・テレビ番組・ドラマ・映画・マンガ・アニメ]

6月5日追記

「Aではない君へ」(殺人を犯した子どもと真剣に向き合う親の話)を紹介したが、これとはまったく真逆の作品に興味をもった。

「母親やめてもいいですか」

内容は発達障害の子どもを愛することができず、育児がしんどくて、結局、離婚をし、夫が子どもを引き取ることになり、子どもから逃げた(母親であることから逃げた)実録・エッセイコミックだ。
きれいごとなし、実録ものであってフィクションではない、世間から非難を浴びるであろうに、この作者はすごいなと思うと共に、このコミックの内容を知ったら子どもは傷つくかもな、と思ったり・・・
アマゾンのレビューは賛否両論。
で、レビューを見て、なぜ「家族という病」が売れているのか分かった気がした^^;
「A~」「母親やめても」・・・やはり親になるには、男も女も相当の覚悟が問われるなと思った。
覚悟がない人は親になってはいけないのかもしれない。そのかわり、覚悟を持ち、子育てしている人はもっと尊敬されていい。当たり前のことではなく、偉いことなのだとつくづく思う。

・・・・・・
5月23日
薬丸岳氏の「Aではない君へ」、読ませられた。これぞ人間ドラマ。リアリティもある。
こういった小説を読むと、大事なのはどんでんがえしでもなく、トリックでもなく、いかに人間(キャラ)をご都合主義なく、きれいごともなく、ウソっぽくなく、きちんと描くか、だよなと思った。

この物語は少年犯罪と加害者側の家族の、親のあり方を描いている。

主人公・加害者側である父親は、離婚をし、のちに殺人を犯す息子は母親に引き取られ、自信はやりがいのある仕事にまい進し、新しくできた恋人恋愛中で、というような、幸せな暮らしをしていたのだけど・・・殺人犯した息子のために、立ち直っていこうとするお話なのだけど・・・

息子は妻に引き取られたものの、放置していたというわけでもなく、ただ、いじめられている息子の様子に気が付かなかっただけであり、父親としては子どものことを愛している普通のお父さんである。
ただ、自分がやりたい仕事や恋人のことにも夢中になってしまっただけである。

子どものいじめに気付かない忙しい親御さんは多いだろうし、干渉しすぎても、それはそれでうまくいかないこともある。

親はここまで子どものことに心を砕き、気遣い、見守り、目を離さず、子どものためにほかのことはあきらめ、子どもが最優先であり、子ども以外のことに夢中になってはいけない(=ほかのことに夢中になれば、やはり子どもへかけるエネルギーは減ってしまう)、しかし過干渉もだめであり、とにかく子どものことを一番に考え、子ども中心に生きなくてはいけないのか、と親の大変さを痛感させられる話である。

主人公・父親は、子どもの犯罪で、親は左遷され、でも食べていかなくてはならないので、仕事はただ最低限の生活をするためお金を得るためのものとなり、恋人とも別れ、今までの生活がすべて「なし」になる。
けど、それは「子どもにきちんと向き合えず、子どもが発するSOSに気付かなかった自分=親の責任」となり、罪を犯した子どものために生きる=それが親の生きる道、ということで・・・
いやあ、しんどそうだ。
で、これを、しんどい、自分にはできない、自信がない、責任取れない、という人は子どもをもってはいけないのかもしれない? ならば、少子化はごく当然の現象かもしれないと思ってしまった。あまりに「子ども」はリスクが高い。もち犯罪者になるのは、ごくごくわずかだろうけれど。犯罪者にまでならなくとも、職を得て自立できるのかなど、親の心配事は尽きないだろう。
現実社会でも、子どもの犯罪で家族が破壊されることもあるだろう。

古くは、幼女を殺害した宮崎勤事件、少し前になるが同級生を殺害した女子高生、ともに加害者の父親は自殺した。残った加害者側家族も逃げるような暮らしを一生続けることになるのだろう。
(もちろん被害者遺族の苦しみも一生続くのだろう)

この物語を読んで、家族万歳、家族って素晴らしいという気持ちにはなれなかった。で、ふと下重暁子氏の「家族という病」を思ってしまった。
子ども優先の生活ができない人は、他にやりたいことがある人は、子どもはもたないほうがいいかもしれないと。
子どもを犯罪者にすることなく「家族って素晴らしい」「家族が一番」と思えるように育てている人というのはほんとうにすごいことなのだなと。子どもを頼りにできる親、あるいは子供に夢や希望を持てる親は本当に幸せかもしれない。
と、昨今の犯罪事件のニュース触れるたびに思ってしまった。
今回も、アイドルの女性を、めった刺しして重体にさせた27歳の男がいるが・・・加害者側の家族はこれからどうするのだろうか。やはり親や家族は責められるんだろうな。もちろん被害者側も本当に気の毒なのだけど。
ほかにも千葉大にまで行って、中学生を拉致監禁したりした男、女性に乱暴をした東大生の男など・・・私はつい加害者側の家族のことを思ってしまう。
よほどの人格者であり、コミュニケーション能力が高く、子どもを導いていける人(子供に何かあったらきちんと気づき、正しい対処をし、過干渉でも過保護でもなく正しい距離をとり、正しい愛情でもって育てられる人)でないと、子育ては無理なのではと考えてしまうのであった。

で、私のようにネガティブへ引っ張られる人も^^;
加害者側の家族を思うということは、自分のどこかに「縁がある」ということかもしれない。加害者側家族を自分とは遠い別の世界の存在、別人種と切って捨てられないのだ。

愛情に正しい、正しくないがあるのか、とも思うが、世にいう過干渉は『正しくない愛情』なのだろう。きっと「それは親の支配欲」「本当に子どものためを思っているわけじゃない」と切って捨てられる。けど、その親にしてみれば「愛している」と思って、全エネルギーを子どもにかけているのだろう。

改めて、子どもをもつことの責任、子どもに対する向き合い方って本当に難しいのだなと思った。この世で一番難しいことなのではと。
なので、それをこなしている人は本当に偉いのである。子どもの資質もあるだろうけれど。
犯罪者の中には、やはり育ちではなく、その子どもがもって生まれた性質(サイコパス的なもの、性的嗜好など)もあると思う。

子育てを「人間として当たり前」「皆がやっていること」と片づけられないのでは、とつくづく思う。
子どもをもつことは、ものすごい覚悟がいることなのだろう。なので子どもをあえて持たない人が増え、それが半分になっても驚かない。
「親はなくても子は育つ」「なんとかなる」と気楽に思えない現代である。

が、子どもをもたなくてもいい時代ともいえる。それはそれで幸せだと思う。子どもを持たなくてはいけないと圧力があった時代に較べたら。
多様で自由な生き方を良しとする。ここは私は左派(朝日新聞)と考えが合うのだけど^^;
結婚し子供を持たなくてはいけない(持つ努力をしなくてはいけない)、それこそ人間として正しい生き方だ、社会のために子どもを増やせ、とする保守の人たちとは合わない。

nice!(0)  トラックバック(0) 

家族という病2>不倫は純愛? [本・テレビ番組・ドラマ・映画・マンガ・アニメ]

追記


下重さんの本の内容と反対のことを書いた本のよう。
いやあ、これもねえ・・・「家庭ほど安らぐ場所はなく、夫婦ほど支え合える関係はない」という煽り文句に、いやいや、そういう人もいるだろうけど、そうじゃない人もたくさんいるだろう。だから下重さんの本がベストセラーになるのだ、と思った^^;
で、下重さんほど売れてなさそうだし。
従来の古い価値観の内容の本みたい。こっちの価値観も息苦しそう。

というか、安らげる・支え合える配偶者を見つけて結婚できればもうけもの、幸運、ということで。
逆にいうと、そういう人が見つからなかった場合、結婚しないほうがいいということかもしれない。
あるいは結婚してみて、そうでなかった場合、離婚してやり直した方がいいのかも。
ただし、子どもは産んでみて、ダメだったら、やり直し・・・なんてことはできないので、そこは覚悟がいるのかも。
不幸になる場合も大いにありえるということで、下重さんの本が売れているのだろう。

ただ、下重さんも、子どもはいらないけど結婚はした方がいいという考えのようだけど。
(結婚したほうがいいというのであれば、子どもはもったほうがいい、と言われるのは仕方ないのでは、とも思う。こういった人って、自分の生き方は正しい、考えは正しいと思いたがる一方、他の生き方を批判し、認めたくないのかなあ。他を認めたくないってことは、それだけ余裕がないということなのかもしれない。金美麗さんも下重さんも、どっちもどっちに思える^^;)

ま、本は売れた方が勝ちということで。話題になるように、過激に演出しているのだろう。(アマゾンで同じような内容の本が並んでいるけど、「おとなしそう」・・・これだと話題にならず売れない)

・・・・・
不倫報道が続いた中、朝日新聞で「家族という病2」(下重暁子氏)の広告がでかでかとあって、その中に第三章「不倫と家族」のなかの「不倫こそ純愛である」に、失笑した。

じゃあ、乙武氏の不倫も、宮崎元議員の不倫も、ゲスの川谷氏の不倫も、あと桂三枝なども、あれは純愛なのか???
純愛なら、なぜその愛を貫かない?

今の配偶者との関係を清算し、莫大な慰謝料を払って、不倫相手と一緒になればいいではないか。
そもそも不倫相手の方もそこまで覚悟しているのか?

ゲスの川谷氏も、ベッキーとの愛を貫けばいいのに、貫くほどのエネルギーはないみたい?

下重さんの本を読んでいないので、こういったことを書くのは間違っているかもしれないけど、
この広告内容を見る限り、一応下重さんは不倫を純愛と捉えていると見ていいんだよね?

いやあ、不倫は遊びでしょ。ちょっとした刺激、遊び。そう捉えている人の方が多いのでは?
覚悟をもって不倫している人って、あまりいないのでは?

家庭を捨てる覚悟もなく、相手の人生を背負う覚悟もなく、単に浮気して楽しむことの、どこが純愛?
というか愛って何だろう???

もちろん、不倫相手に本気な人もいるだろう。、離婚をし、不倫相手と一緒になる人もたまにいる。
「赤毛のアン」の翻訳者。村岡花子氏も、そうだ。
NHKのドラマでは、相手の男性に子どもがいない設定になっていたが、実際はいたそうだ。

相手の男性=村岡氏に病弱の妻と、小さな子どもがいたが、村岡氏は花子さんと真剣な恋愛=不倫をしていたが、村岡さんの妻は死に、村岡さんは花子さんと結婚。しかし、その亡くなった妻と自分の子どもは引き取らなかった。子どもは最初は親戚に預けられ、後に教会に預けられ、震災で亡くなった。

さて、村岡さんと花子さんは純愛だったかもしれないが、前の奥さんの子どもを犠牲にしてでの純愛ということになる。

子どもは父親である村岡さんに捨てられ、最後は教会に預けられ、震災で亡くなってしまったのだ。(たしか9歳だったかな)

村岡氏と花子さんの純愛。でも、捨てられた子どもの視点で見れば身勝手で残酷なものだよな、と。

不倫の果てに結ばれた村岡さん夫婦は、子どもを引き取るほどの覚悟はなかったようだ。
覚悟がない愛は純愛とは言わない気がする。

というか、子どもを犠牲にしても、純愛と呼ぶのだろうか。ならば純愛は決して美しくないよな。
で、下重さんも、旦那さんがもし浮気したら、それを純愛と認めるということなのだな。(というか、自分の不倫は純愛なのかな?)

てか、なぜ下重さん、結婚したんだろう??? 不倫を純愛とするならば。

※本を読んでないので、本当に「不倫こそ純愛である」と言っているのかは、確認してないです。新聞の広告の目次、項目にそう書いてあったので、そう捉えてます。

続きを読む


nice!(0)  トラックバック(0) 
前の5件 | - 本・テレビ番組・ドラマ・映画・マンガ・アニメ ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。