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弱者のほうがお得? [社会・ニュース]

生活保護のことなど、世間のニュースを話題にしているが・・・

「弱者のほうが=弱者を装ったほうがお得である」と考える人が増えても仕方ないようにも思った。

本当の弱者は、生活保護を「うまく申請」することもできず、取りこぼされてしまうケースも多々あるだろう。
法の不備を見つけ、抜け穴を見つけ、あの手この手で生活保護の権利を【勝ち取る人】のほうが、ずっと強者であるようにも思う。

どう考えても、国民年金を納めるよりも、納めずに老後は生活保護に頼ったほうがお得・・・

というか、国民年金(月額6300円、40年間満額納めていなければ、さらに下回る。医療費や介護費は普通にかかり、健康保険料や介護保険料を納めなくてはいけない)と生活保護(単身世帯で9万円~15万円、医療費や介護費用無料、健康保険料も介護保険料も免除。ほか、いろいろ免除、手当てが付く。そういったことを考えていけば年収300~400万円クラスに匹敵するという話もある)では、あまりに【不公平】すぎる差がある。
社会システムの不備といっていいのではないだろうか。

生活保護を受けている若い方は、自分を養う力さえないのだから、本来、出産(子どもを持つこと)も禁じて良いはずなのに、それは「人権侵害」であり、「子どもをもつ権利」を主張する。
そして、子どもの扶養手当が上乗せされ、生活保護受給費は増える。
でも、それも「当然の権利」らしい。

生活保護受給者は、それだけ多くの支援を公から受けているのだから、自由は制限され、厳しく監督(監視)されても仕方ないとも思うのだが、こういうことをいうと「人権侵害。弱者への差別発言」を捉えられてしまうのかもしれない。

が、国民年金よりはるかに多くの支援を受け、義務を免除されているのに、一般の人と同じ権利が主張できるというのは解せない。

義務は免除、権利は主張できるのだから、弱者を装ったほうが得だし、なんとかその【お得な権利】を勝ち取りたいと思う人がいて当然である。

なので、今、世間を騒がせている「一般人よりも高収入を得ているお笑い芸人、芸能人の親が生活保護に頼っているケース」はあっても不思議ではないことなのかもしれない。
お笑い芸人らは、有名人だから話題になったが、氷山の一角かもしれない。高収入の子どもの親が生活保護を受けているケースはきっとたくさんあるのだろう。

ケースワーカーには調査権がないことから、また調査をする人が人手不足であることから、不正受給はなくならないだろう。

性善説に基づいた社会システムは、不公平な社会システムとなるかもしれない。
不公平は人々の不満を生む。「性悪説に基づいた厳しい社会制度」にしなければ、結局は、ほんとうの弱者である生活保護受給者も「白い目で見られる」ことになるかもしれない。

生活保護制度は、国民の血税によって助けられているのだから、生活保護受給者は自由が制限され、不正受給は厳しく罰され、不正受給がないように厳しい調査や監視体制がとられて当然の気がするのだが。


本当の弱者「障害者」についても、もう少し考えてみよう・・・(ここで「弱者」という言葉さえ差別発言と捉えかねないかもしれない。しかし、公(国民の血税)から特別な支援を受けたり、求めたりする立場であれば、弱者と言われても仕方ないと思う。特別な支援を求めるのは弱者だからこその権利だからだ)

そして、弱者の強者(というか一般人、健常者)に対する攻撃=いじめも、あるような気がする。
「自分は弱者側の立場であること」を武器?に、何かと「傷ついた」といい「差別発言だ」と攻撃をする人がいるからだ。

というか「差別発言」に敏感すぎる気がする。前のほうの日記「改めて、発達障害について」http://kayashi.blog.so-net.ne.jp/2012-06-03にも書いたが・・・

以前の記事http://kayashi.blog.so-net.ne.jp/2012-01-04http://kayashi.blog.so-net.ne.jp/2012-01-11-1に対する「怒りの批判感想」が送られてきたことがあった。発達障害者への配慮が足りず、差別発言であり、傷つけている、ということでだ。

あの程度の内容が、それほど相手を怒らせるほど(・・・ちなみに、その相手の方のメッセージは、私の感覚ではちょっとびっくりするような失礼な物言いであった。いかにして「差別発言?をした私ハヤシを凹ませるか」が透けて見える内容であり、相手の怒りは相当のもののように思われた)の内容とは思わなかった。

私の場合、自分の身内に発達障害者がいて、現実的の厳しさも知っているために、自分の思ったことを書いたに過ぎない。発達障害は精神障害へのリスクも高い。どう考えても・・・発達障害はならないですむのならば、ならないほうが良い、発達障害はマイナス面が多い、と正直に思う。

また発達障害のみでは、そう簡単に特別な支援を公から受けられない。発達障害の上に明確な知的障害や精神障害が加わらないと難しい。かなり厳しい状態である。

だからといって、6・2パーセントという高い率で生まれてくる発達障害(ただし線引きは難しい。グレーゾーン、軽いを含めれば、もっともっといるだろう)、ほかの障害者同様の支援を受けられるようにするには、あまりに国の財政が厳しいだろう。支援を充実させるには、税を重くするしかない。
障害者側は、一般の人たちの血税に頼ることを自覚しなくてはいけないのかもしれない。

弱者側の自分は、ちょっとでも差別発言だと思ったら、攻撃する権利があるように勘違いをしている人がいるようにも思う。
相手を黙らせるには、いかに自分(またはその家族)が立場の弱い人間であるか、いかに大変であるかをアピールすればいいのだ。
そして「(恵まれているあなたなんかに)分かりもしないくせに」という言葉を添えれば良い。

ちなみに、怒りのメッセージの主も、最初は、私の身内に精神障害を患う重い発達障害者がいることを知らなかった。知ってからは、相手の態度は変わった。
しかし、私の身内に障害者がいるからといって、私の書いた記事が許せる、と思うのも、おかしなことである。

書き手側に障害者がいるかいないか=書き手側も弱者の立場であるかどうかで、記事への感想が変わる、ということはどういうことなのか。もし、私の身内に障害者がいなかった場合のみ、私の書いた記事が許せないのだとしたら、健常者への逆差別だと思う。

弱者側の自分は社会に支援を求める側の人間であること、義務の免除を求める側の人間であることを自覚しなくてはいけないと思う。
支援を求めることを、当然の権利だと考えてしまっては、やがては支援するほうの人たち(義務を果たし納税している国民)から反感をもたれるかもしれない。

でも、社会的支援を多く受けていて、かつ義務は免除されている弱者の方は、義務を果たしている強者(というか一般人)に、感謝の気持ちを忘れてはいけないのでは、とも思う。腰を低くして当然なのでは、とも思う。その支援は、一般の人たちの血税に支えられているのだから。普通は、義務を果たしてから、権利や自由が保障されるのであるから。

弱者の権利や自由があまりに手厚く保障され、一般の人との間に「格差」があり、不公平であるなら、一般の人の不満も出てくるのも当然な気がする。
結局は、弱者の首をしめることに、つながっていくのかもしれない。
そして、弱者であったほうが(=弱者を装ったほうが)得だ、という考えを広めてしまうことになるかもしれない。

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未婚率上昇 [人生・生き方・生活・人間関係]

生涯未婚率が上昇・・・時事通信社より転載

【政府は5日午前の閣議で、2012年版「子ども・子育て白書」を決定した。2010年時点で、50歳までに一度も結婚したことのない「生涯未婚率」は05年比で男性は約4.2ポイント増の20.14%、女性は約3.4ポイント増の10.61%と、いずれも過去最高となった。1980年と比べると、男性は約7倍、女性は約2倍それぞれ増加した。

また、18~34歳の未婚男女を対象に結婚の意思を聞いたところ、「いずれするつもり」が男女とも8割以上なのに対し、「一生するつもりはない」は男性が9.4%、女性は6.8%だった。ただ、87年以降の過去5回の調査をみると、男女とも「するつもりはない」は緩やかな増加傾向にあり、独身志向もうかがわれる結果となった】

転載終わり。

さてさて・・・
高嶋政伸さんと美元さんの離婚裁判のことが話題になっている。

高嶋さん側からすれば、もう修復は不可能、美元さんは高嶋さんにとって精神的な苦痛、ストレスのもとになっているようだ。

だが、テレビでの弁護士コメンテーターは「離婚したい理由としては弱い。確固たる原因がなければ、美元さんが離婚することを望んでいないので、離婚の判決は出せない可能性が高い」というような発言をしていた。

それほど「離婚」というのはハードルが高いらしい。
弁護士は「結婚とは契約。そう簡単に解消できるものではない」という。

そんな発言を聞くと、やはり結婚は慎重に吟味して行われるべき契約行為なのだな、と思ってしまった。

世間は「なかなか結婚しない若者」を嘆くが、結婚がそれほど重いものであれば仕方ないことかもしれない。
精神的苦痛があっても、高嶋さんが訴える内容程度であれば、そう簡単に解消できるようなものではないのだから。

(それなのに、別れた子どもへの扶養義務は、実際に行われなくても、とくに罰則もなく、強制力がないため、別れた子どもの養育費を支払わない人がかなりいるという。夫婦間よりも親子間の責任をもっと重くしたほうがいいのでは、と個人的に思う)

いつぞや、勝間さんが「離婚へのハードルを下げ、もう少し気軽に結婚できるようにしたほうがいい」と発言していた気がするが、「なるほど、たしかに」と思ってしまった。
(もちろん、子どもがいて別れる場合、別れた子どもへの養育義務の責任を重くしてからでないと、それはそれで問題が出てくるだろうが)

高嶋さんの場合(配偶者の美元さんが頑なに離婚に応じない)は、レアケースかもしれないが・・・あそこまででなくても、離婚は大変らしい。
「離婚にかなりのエネルギーを要する」となると、結婚に慎重になさざるを得ないだろう。

結婚生活は、やはり人生の重大事。
結婚は、やすらぎを与えてくれるかもしれない一方、多大な精神的苦痛やストレスがかかることもあるかもしれない。自分の努力も大事だが、相手によるところも大きいだろう。


さて、その「結婚」にいたるまでには、今の時代、交際というものがあるのであるが・・・

しかし、生涯未婚率が上昇したことで、ますます世間は「若者(18~35歳)の恋愛事情」に興味をもつようになるのかもしれない。

18歳から35歳までの未婚の人の約半数がつきあっている異性がおらず、さらに4分の一の人が「特に異性との交際を望んでいない」という公の機関が行った調査結果について、未だに新聞で何度か話題になったりしているのを見る・・・どうやら世間にとっては「未婚者に交際している異性が特にいない」ことが一大事のようである。

たしかに、私の周囲には未婚者が多い。男性も女性もだ。
40代は独身者がわりと多い。
結婚していても、子どもがいない、という人も多い。
離婚者も多い。

「結婚して二人の子どもを持つ」というスタイルが崩れつつあるのが、40代からかもしれない。もっと上の世代は、このスタイルが大半だ。

で、私の周囲に未婚者、または結婚していても子どもがいない人が多いのは、たぶん「音楽(ピアノ)をやっているから」だろう(笑)

男性の場合は、音楽を仕事にしていると、不安定で低収入なので、未婚、または子どもはなし、という生き方を選択してしまう。とても家族を養っていけないからだ。

でも、それが不幸とは言えないのだ。
好きな仕事をしているので、幸せそうである。

女性の場合は「グランドピアノが置けて、練習できる(音を出せる)環境」を望むとなると、それを許してくれる結婚相手を求めてしまったりするだろう。
自力でお金を稼ぎ、誰にも頼らずに、自分で環境を整備しろ、というには、あまりに音楽での仕事は低収入で厳しい。

これから、経済力のある相手と結婚するという時代ではなくなり、自力でなんとかしろという時代になっていけば、お金がかかるけど就職には不利な音大へ行く人も少なくなるだろう。
今の社会では「それだけお金をかけてもらったのに、稼ぐことが出来ない不良債権人間」扱いされかねない。

クラシック音楽は「投資した分、取り返すことが難しい、経済的リターンが少ない、費用対効果を考えれば、おすすめできない分野」とされている。

ただ、音楽の道へ進んだからといって、不幸になる確率が高くなるかかどうかは分からないが。
好きなことが勉強できるというのは、やはり幸せなことではないかと個人的には思う。

趣味としてピアノを楽しんでいる人も、仕事以外の時間は「ピアノを練習したい」と思う人が多い。ピアノの練習は、やはり時間をとられる。
演奏をするとなると、お金もとられる。良い先生につけば、レッスン料もかかるし、ピアノのメンテナンスもお金をかけようと思えば、いくらでもかかる。

そういったエネルギー(時間とお金)を趣味(ピアノ)につぎ込むことになれば・・・たとえば、異性との出会いを求め、異性とつきあう時間やお金が足りなくなるし、結婚すれば自由な時間も減ってしまい、子どもがいれば、自分にかけられるお金や時間もますます減ってしまう、と考え、そういったことに消極的になる人もいるだろう。

が、趣味が充実しているので、不幸とも言えないのだ。

エネルギー(時間とお金)は仕事や趣味にかけている、最優先にしている、という人が増えている気がする。
もちろん、余ったエネルギーで婚活や恋活をする人もいるだろうし、あるいは婚活や恋活を最優先する生き方を選択する人も多い。
運がよければ、それほどの努力をしなくても(エネルギーをかけなくても)、恋愛や結婚が成就する人もいるだろう。

ただ、将来、歳をとったときのことを考えて、今を犠牲にしてでも、我慢してでも、結婚する努力をする=異性とのお付き合いを最優先し、多大なる努力をする、という考えの人は少なくなってきているかもしれない。
ましてや、社会(お国)のために、結婚し子どもを育てる、という感覚はないだろう。

そういえば、独身で家族を持たず、好きな仕事をし、自由に生きているある音楽家が「自分はある意味、反社会的な生き方をしているかもしれない」と発言していた。

まだ、こういう生き方は少数派である。
多くは、家族を養うために辛い仕事をしているのだろう。
子どもを産み育てることこそが、今社会から求められている社会貢献、義務と考えれば、家族も持たず自由に生きていることを「自分の生き方は反社会的だ」と思うのかもしれない。
少数派は、まだまだ肩身が狭いのだ。

ただ、こういう発言もあった。
「大多数の人と同じ生き方をしている人は、自分は正しく、社会的で常識のある人間だと思い込み、視野が狭くなり、狭量になってしまうことがある。少数派に属する人を下に見る傾向がある。少数派を常識を知らない世間知らずだと思ってしまう。反対に、少数派は自分はマイノリティということがわかっている分、世間の標準から外れている自分を世間知らずだ、と省みている分、肩身を狭く感じている分、視野が広い」と。

もちろん、結婚したくて=家族を持ちたくて仕方ないのに、異性とのお付き合いに多大なる努力をしているのに、なかなかできない、という人もいるだろう。
コミュニケーションが苦手な人は、異性とのお付き合いへの努力をするのも大変そうだ。その努力を苦痛に思うことさえあるだろう。
そういった努力を楽しいと思えない人は「恋愛向きではない」のかもしれない。

いろんな人がいるのだから、世間も「結婚適齢期(18歳~35歳)なのに、異性との交際をしていない未婚者が半数いること」に大騒ぎせず、多様な生き方を認めて欲しいものである。

社会は、少数派(未婚者)をマイナスに見て、その少数派が増えることを恐れているようにも思う。
もちろん、少子化になるといろいろ問題があるだろうが・・・子どもをむやみに増やしても、今の社会問題は解決しない気がする。若者が増えても、若者の失業率だけが高くなる気がする。

40代から、世間が良しをするオーソドックスな生き方に縛られない人、自由に考えている人が増えているのでは、と思う。30代20代になれば、もっとだろう。
でも、そうはいっても、まだ少数派だと思う。多くの人は世間が良しとする生き方を選択し、婚活や恋活に励み、家庭(子ども)を持つ人が大多数のようにも感じるのだが。


改めて発達障害について [人生・生き方・生活・人間関係]

私は、ミクシー日記と同じ内容の記事をここにも載せていたが・・・
その日記について、ミクシーで「気分が悪い」とのメッセージをもらった。

まず、その「気分が悪い」という怒りの感想をいただいた記事がこちらである。
http://kayashi.blog.so-net.ne.jp/2012-01-04
http://kayashi.blog.so-net.ne.jp/2012-01-11-1

その方は「私ハヤシが、発達障害についてマイナスに捉えて書いた事」について怒りを感じたようだ。

そこで、そのことついての、さらにミクシーで自分が書いた記事を、ここにも編集して転載しておく。(かなり以前の話題であるが・・・)

以下、ミクシーでの自分を発言を転載。

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不快な思いをされた方がいたかもしれないということで、お詫びいたします。

「発達障害者が生まれるかもしれないから、結婚しないほうがいい」と読み取ってしまう人もいらっしゃったかも、ということで。
(これは私の文章能力の至らなさが原因だと思います)


テーマはメディアの印象操作、生き方批判、指南についてです。

どう生きようが、プラス面とマイナス面があり、リスクがあり、「こう生きたほうがいい」とはいえない、ということが、この記事の主旨でした。

しかし「発達障害」を軽々しく話題にしたのは良くなかったかもしれません。

ちなみに、発達障害を話題にしたのは、うちの身内にいるからです。

発達障害などを問題を抱えた場合、子どもを責任持って育てる覚悟があって、結婚や子どもを産むことを望んでいるのか?ということで、発達障害を取り上げました。

日記で紹介した痛ましい事件(発達障害の子どもを持つ親が、そのことを苦に子どもを殺してしまった事件)のうちの1つでは・・・

追い詰められた母親は、離婚していたとの話を聞き(まだ他の人の日記の情報で、裏はとってません)、協力的な父親がいれば、このようなことにはならなかったのでは、と思ったり・・・

家族が協力的であるところもあれば、父親が逃げてしまうというケースも聞いたりし・・・ (もちろん、離婚の原因はそれぞれあり、別の原因で別れたのかもしれませんが。)

なので、とくに父親になる男性に「責任を持つ覚悟があるのか?」と思ってしまうのです。
「母親任せになってしまうこと」もよくあるそうだから。

私は自分の身近なことを例にし、
どんな生き方を選んでも、リスクはそれぞれある、ということを言いたかったのですが・・・

「厳しい現実もあるんだよ」ということを言いたくての「発達障害」を話題にしてしまっている感も否めません。

発達障害者を家族に持つことを「リスク」と捉えてしまっているところも正直あります。

しかし、安易に「それでも幸福である、良かった」とは言うことも出来ず、難しいところです。

そして、「不幸だ、産まなきゃ良かった」と思ってしまう母親は、「自分はなんて酷い人間なんだろう」と自分を責めてしまい、ますます追い込まれてしまうケースもあると聞きます。

自分の正直な気持ちが、公にしてはいけない気持ち、だったりします。
同じ障害を持つ人を傷つけるようなことを思ってしまうのです。

「親より早く死んで欲しい」とも思うそうです。
テレビで見た番組でも、障害を抱えた親御さんの、同じ言葉を聞きました。
そして「子どもの死を早く願ってしまうなんて、そう思ってしまうなんて、最大の不幸だ」と。

しかし、そう思ってしまうのも仕方ないと認めたほうが、救われるのではないか、とも思います。

逆に、そう思うことを責めるほうが酷です。

人間、そう強くないので。
やはり、キレイ事では生きていけないところもあります。

なので、これも非常に難しい問題です。

障害について、厳しい現実を書けば、このようなことが出てきます。

しかし、障害者のお子さんをもった親御さんから見たら、やはり傷つけてしまう内容になっていたかも、ということで・・・

「発達障害」については、またいろいろと思うところあり、といったところです。

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以下、自分が追記として書いたものをミクシーより転載。

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常々思っていたことを追記。
(ま、書き方が冷たい印象を与えるかもしれませんが、うちも身内が障害者ということでお許しを)

障害について、健常者の方が語るとき、たいていの人は遠慮がちに、かなり気遣って発言します。ちょっとしたことが差別発言と捉えられたり、傷つけたりするから、でしょう。

私も「触らぬ神に祟りなし」と思うことがあります。

健常者側が、障害のことを【マイナス】【ネガティブ】に捉えると、障害者側は「傷ついた」といい、過剰攻撃してくることがあります。まるで攻撃する権利があるかのように。

でも、障害者側は基本、支援を受ける側、求める側であり、一方、義務は免除される側です。
支援を受ける側、求める側も、やはり健常者の方へ、それなりに気遣わなければいけないのでは、と思ったりします。

もちろん、誰でもいつか支援されるほうになり得る(不慮の事故、老後、病気など)ので、お互い助け合いということで、支援は求めて当然といえど・・・

他者からマイナスに捉えられるのは否定された気分になり、傷つくといえど・・・

それでも、健常者の方に、理解を求めるべきであって、攻撃してはいけないと。
攻撃すれば、相手は黙ります。でも、おそらく相手は「関わらないでおこう」「触れないでおこう」と思うだけです。

障害はやはり、ある程度「マイナス」「ネガティブ」に捉えられて仕方のないものだ、と私は思います。

それは一般人よりも社会的支援を多く必要とし、社会的義務を免除されていることも多く、社会に何らかの形で助けられているからです。
それは、そういった支援がなければ、苦労があまりに多く、大変でやっていけない、ということでもあります。

苦労が多くて大変なことは、マイナス、ネガティブに捉えられても仕方ありません。

ハヤシさんは「ある生き方だけをマイナスに捉えたりネガティブに捉えたりするな」と言っておきながら、障害をマイナスにネガティブに捉えているのは、どういうことか?リスクとして捉えているのは、どうしてか?・・・というと、そういうことです。

どんな生き方をしようと、ほとんどの人は社会的義務(税金、保険料などの納付)を果たし、社会的に特別な支援は受けていないということで、
それは、つまり【障害者(と面倒をみる家族)ほど大変ではないから、特別な支援を必要としない】ということです。

障害をマイナスに、ネガティブに受け取られても仕方ない・・・そこを受け入れてからでないと、本当の理解は得られないのではと思います。

「普通の一般の人と同じだというのであれば、一般の人よりも大変でないのであれば、すでに幸せであれば、支援は必要ないだろう」と言われてしまいます。

ただ、発達障害への支援は少ないようだし、うちは発達障害者としての支援は受けたことはないけれど・・・(精神障害者として支援を受けています。)
なので発達障害については、支援の方法を社会全体で考えていければ、と思ったりします。
6・2パーセントという高率で生まれてくるというのだから、社会全体の問題として捉えてもいいだろうと思います。

誰でも「弱者」「支援が必要な側」になりうるので、基本的には、支援することには理解してくれるだろうし、

支援が本当に充実すれば、安心が得られ、苦労が少なくなり、障害を持つということが、今ほどマイナスにネガティブに捉えられることも少なくなるかも、とも思ってます