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2010年社会ネタ集 [社会・ニュース]

2010年、社会ネタとして【今日のつぶやき】で語ったものを、まとめました。
やはり民主党への嘆き?が多いかも。

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幕末~明治以後の日本を描いたドラマについて [本・テレビ番組・ドラマ・映画・マンガ・アニメ]

追記
「龍馬伝」のオープニングテーマピアノアレンジ動画を紹介しよう。
http://www.youtube.com/watch?v=kbVn38O3tI8&feature=player_embedded

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11月25日

「龍馬伝」が今度、最終回、そして今度は「坂の上の雲第2部」が始まるようで・・・
実は・・・龍馬伝は段々・・・それほど面白くなくなり、「坂の上の雲」も第一回の話だけ面白かったが、その後はそれほど面白くなくなり・・・

それでも、あの時代の歴史を知りたいと思って見ていた。
もちろん「物語上のウソ」もたくさんあるだろうけれど、いちおう史実に基づいているところもあるだろうということで。

>物語上のウソ・・・たとえば、坂本龍馬よりも実は中岡慎太郎のほうが「大政奉還」へ深く関わっていたんだとか・・・坂本龍馬は言われているほどではないんだとか・・・ほか、芸者のお元さんも、本当は、龍馬に付き添い、交渉の場で長崎で活躍したらしく、あのようにすぐに船でイギリスに渡るなんてことはなかったようでもある・・・

幕末~明治時代から先、諸外国との駆け引きを考えないとならなくなり、日本はどのようにして生き延びてきたのか、日本の状態はどうだったのか、どういう戦略だったのか、それに対して敵対する諸外国はどうだったのか・・・それをおおまかにでも知っておきたいと思って、ドラマを見続けている。
真面目な歴史本を読むのは辛いが、テレビドラマならばそこそこ楽しく知ることができるから。

「坂の上の雲」も、故人の原作者・司馬遼太郎氏は映像化にずっと反対で・・・それは「戦争を美化することにつながるから」という理由だったらしい。今回のドラマ化は遺族に許可をとったらしい。

たしかに、日露戦争で活躍したのだろう主人公兄弟たちは、「カッコよく」うつるかもしれない。
けどそれが即、戦争美化につながるとは思わない。

それよりも、あの時代、日本がどういう状態で、どういうふうにして切り抜けたのか、それを多くの人が知るのは良いことである。
どんなにヒットしようと本の読者は限られるが、テレビドラマ化され、その視聴者の数はやはり比べ物にならないほど大きい。

で、ああいった先人たちの活躍があったからこそ、今の日本があるわけで、やはり感謝しないといけないな、とも思うのだ。

先人たちに感謝することが「戦争万歳」「戦争美化」になるわけでもない。

で、もちろん、そのずっと後は「太平洋戦争」で、日本は多大な犠牲を払った。

それでも、なんとか復興し、ほかの外国に較べれば、治安も良く、医療も水準以上のものが受けられ、飢えることもない、とりあえず「豊か」といえる社会になったのだから、やはりそれを享受できることを感謝しないといけないよな、と。

ドラマで手っ取り早く歴史を知ろうというのは邪道かもしれないが、知らないよりはいいだろう。

学校の授業では、日露戦争があったことは知っていても、日本と周辺の外国はどういう状況で、どういった戦略で、どういった経過をたどったのか、というのは習わない。

とにかく、命をかけて日本を導いた先人たち、戦ってくれた先人たちを知るのは良いことかもと思うのであった。
日本をちょっとでも知っておこうということで。

それにしても、「坂の上の雲」のエンディングで流れる音楽、いいよな~

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余談

そういえば、私はそういう日本のことはあんまり知らなかったくせに、「欧米人に比べ日本人は劣っている」「日本は欧米を見習わなくては」という空気の中で育ち(私の周りだけかもしれないが)、なんとなく日本はダメなのだと思わせられていた気がする。
「日本人離れしている」というのは褒め言葉であった。

昔はジャーナリストの故・千葉敦子さんを尊敬していたが、今は「ちょいと日本を悪く捉えすぎなのでは?アメリカがそんなに立派か?」とも思う。もち、千葉さんが活躍していた頃のアメリカは、現在のアメリカとは違うだろうけれど、それでも、アメリカが何をやってきたのかが、ちょっとずつ分かってくると、当時のアメリカが素晴らしいともあまり思えない。

ちょいと昔の村上龍も「日本嫌い」な感じがするエッセイをよく書いていた。(今の村上さんは変わってきている気もするが)

日本に誇りを持っている人もたくさんいただろうが・・・おおよそは「日本はカッコ悪い。欧米はカッコいい」と感じていたのが、私の世代のような気がする。
もち、欧米の良いところは見習ったほうがいいと思うけれど。

と、「坂の上の雲」からは脱線してしまったが・・・要するに「坂の上の雲」は見ておこうというお話でした。(いや、ドラマとしては、主要人物たちが、それぞれ離れたところで活躍し、そんなに接点がないので、ちょいと散漫で面白くないかもしれないけれど)



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いじめ問題 [学校・教育・いじめ・少年犯罪関連]

■自殺した小6の女子児童の件で。

女子児童は、皆が友達同士で給食を食べる中、ひとりぼっちだったとか・・・

それにしても「ひとり給食」は辛かっただろう。
私も学生時代、早く仲の良い友人をつくらないと、早くグループの中に入らないと、というプレッシャーがあった。
大勢の中で、ひとり孤立してしまうことを大変、恐れた。それは今の子どもも同じだろう。

ただ、この件では、クラスの生徒達は担任の言うことを聞かず、学級崩壊していたと聞いたけど・・・

マスメディアや親から叩かれがちな先生に「指導力」を期待するほうが間違っているかもしれない。

今は、先生と生徒は対等だ、ということで、教壇もなく、 卒業式に歌われていた「仰げば尊し」もおかしい、と言われ、歌われなくなり・・・
ほんのちょっとした体罰も禁止となり、一方、生徒からの暴力には耐えないとならない先生。 対等どころか、先生のほうが「下」になる場合もある。

なのに、なにかあれば「先生や学校のせい」にするというのも、なんだかな・・・と思った。
もし、先生と生徒が対等な立場だとするのであれば、いじめた生徒が責任をとるべきだろう。

先生に頼ってはいけないのである。
先生に守ってもらいたければ、「それなりの力」を学校と先生に与えないと、無理かもしれない。

もちろん、多々ある学校問題では、教師にも問題ありの場合もあるので、「生徒だけが悪い」とも言い切れないかもしれない。
ある「いじめ事件」では、担任の先生が率先していた、ということもあったようだから。

それでも、学校では「先生の言うことを聞くこと」をまず基本にしないと、クラスを運営していくのは難しい・・・それには先生は「立場上は生徒の上」であることを親や世間が認めたほうがいいように思う。

なのに、なにかあれば、まず校長と先生が責め立てられ、校長をはじめ、先生達が頭を下げまくる姿をみれば、子どもはますます「学校と先生を見下す」ようになるかもしれない。

責任をとるのは、まず「いじめた生徒とその保護者」にしないと、 「いじめても、責任は学校と先生にあり、学校と先生のせいとなる」と子どもは高をくくるかもしれない。子どもは責任をとらなくていい、と思ってしまうかもしれない。

子どもは「自由を制限されるべき存在」であるかもしれない。
自由は、必ず「責任」とセットだからだ。

私が小中学生だった頃は、給食は自分の席で、あるいは決められた班で食べさせられた。好きな友達と一緒に自由に、というのは許されなかった。

遠足などで一緒に行動するグループも、決められ、バスの席も決められ、自由はきかなかった。

そのかわり、あぶれる子もいない・・・
ひとり残されるという子もいなくなる。

少年法はじめ、子どもは保護されるべき存在で、子どもは責任を取らなくいい、とされる社会において、自由は制限されて当然・・・かもしれない。
責任はとらなくていいし、強制されず自由に振舞っていい、というのは、まかりとおらないと思うのだが・・・
そして、学級崩壊で、損をするのは、結局、生徒自身なのである。

また、ひとクラスの生徒の数をもっと減らせば、とも思う。
教師の仕事はかなり過酷で、授業だけではなく、いろんな書類作成にも時間がとられ、休みがほとんどないと聞く。
忙しい中、生徒ひとりひとりを見ていくには、あまりに時間がなさすぎ、余裕もなさすぎ・・・
せめて担任する生徒の数を減らせば、もう少し余裕ができるのでは、と。
過酷な勤務の中、40人もいる生徒に目を配るのは難しい。

20人が理想だと知人の教師は、言っていた。
民主党も子ども手当てでばらまくのではなく、学級の生徒数を減らし、教師の数を増やして欲しい・・・そういったところに税金を使って欲しいと思うが・・・


私の世代は・・・意味の無い校則=規則に縛られ、強制されることに反発し、対等であること、自由であることは素晴らしい、とついこの間まで思い込んでいた世代かもしれない。少なくとも私はそうであった。
けど、それはちょっとでも行き過ぎれば、無秩序となり、とても過ごしにくくなる。そして弱者が犠牲となり、多くの人間にとってマイナスとなる。

私は、中学生の頃、教師の力がものすごく強かった学校と、先生に力がなく、すでに校内暴力の芽というか学級崩壊しかかっていた学校を経験した。どちらが過ごしやすかったか、というと、校則に縛られていたが教師の力が強かった学校のほうである。

それでも・・・「自由」を歌う尾崎豊が流行り、自由は素晴らしい、と能天気に思っていた。
保護を受けている身であれば、自由は制限されて当然なのだ、ということに気づかないでいた。
そして保護してくれる人とは「対等関係」にはなりえない、ということにも。保護してくれる人から何かを強制されるのも当然なのだということにも。

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太平洋戦争、日本国、尖閣諸島問題について考えてみる [国家・日本近代歴史・戦争関連]

まずは「永遠のゼロ」(著・百田尚樹)で知ったこと、印象に残った記述などを書き綴ってみる。


【零戦について】
格闘性能がずば抜けていて、開戦当初は世界最高速度の飛行機で、非常に短い半径で旋回ができ、スピードがある上に小回りがきく戦闘機だった。
航続距離が桁外れで、3000キロを楽々と飛ぶ。
当時の、ほかの国の戦闘機の航続距離は数百キロだったので、零戦がいかにすごかったかが分かる。
そして、狭い空母の甲板で発着できる艦上機であった。

当時、欧米諸国に比べ、工業国として劣っていたとされる日本は、戦闘機だけは世界トップクラスを行っていた。

海の上での不時着は死を意味するものだったので、太平洋上で戦うことを要求された戦闘機ということで、3000キロを飛び続けることができることが必要でもあった。

しかし、3000キロ=8時間を飛べるということは・・・それだけ無茶な作戦がまかりとおる=操縦士(搭乗員)は8時間飛行機を操ることを要求されるということである。

零戦=3000キロが飛べる=8時間操ることができる戦闘機・・・8時間という長い間、搭乗員は一時も油断できず、集中力を持続させてなくてはならないということだ。

そう、民間機ではなく戦闘機なのである。いつ敵が襲ってくるかもわからない戦場(事実、待ち伏せされ、奇襲をされる場合がけっこうあったという)、ちょっとしたミスが命取りになる・・・そんな状態でも8時間の飛行は、生身の人間の能力、体力の限界を超えている。

本来、戦闘機に乗る人間の体力と集中力の限界は1時間半くらいだという。
零戦を作った人は、この飛行機に生身の人間が乗ることを想像できていなかったのではないか。

・・・というような「永遠のゼロ」の記述に「なるほど、たしかにそうだ」と思った。

人間のことを無視したものを作る・・・これがやがては「特攻作戦」につながり、そして人間魚雷「回天」、人間ロケット爆弾「桜花」を作り出したのかもしれない。

そして、前線に立たせた兵士をずっとそのまま前線に置いて戦わせ続け、まともな休息もあたえず、酷使した。そのため、零戦の多くのベテラン搭乗員が命を落とした。

日本はあまりにも自国民、兵士の命を軽視していた。そして「精神論と根性論」で、人間の能力の限界を超えた無茶をさせていた。
一方、アメリカは、兵士に休息をきちんを与え、無茶なことはさせなかったらしい。

太平洋戦争において、日本の物質的な貧しさと稚拙な作戦のほか、そのことも大敗した原因かもしれない、と思った。
気力と根性でなんとかなる・・・と考えていたとしたら、当時の軍部のトップは「馬鹿」と呼ばれても仕方ないのかもしれない。

当時の日本は、そのような「馬鹿」に国を牛耳られてしまったということでもある・・・かもしれない。

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さて、ちょいと話は変わる、でも今まで語ったことととつながる問題かもしれない。

昔、「さらば宇宙戦艦ヤマト」というアニメ映画があった。実は私もはまっていた。

主人公は、最後、ヤマトを敵に体当たりさせ(いわば特攻と同じ?)、自ら犠牲となり、地球を守るのであるが・・・
当時、これに涙を流したファンも多かったと思う。

それに対し、「あのシーンは特攻であり、特攻賛美につながる」と危惧を示した評論もあった。
あの時代は、まだまだ「愛国心=恐ろしい思想」といった空気があり、「戦前の日本は悪だった」みたいな考えに支配されていたように思う。

もちろん、特攻作戦そのものは「馬鹿げた非人間的な恐ろしい作戦」である。
しかし、国や家族を守るために戦い、死んでいった兵士に涙すると「戦争賛美につながる」と批判される空気が、あの頃でさえあった。

ましてや、戦後間もない頃は、アメリカに擦り寄ったマスメディアにより、世間は手のひらを返したように、特攻で死んだ人は「戦犯扱い」され、その遺族は村八分にあったらしい。

恐ろしいのは、「馬鹿」に国を牛耳られることと、「洗脳マスメディア」かもしれない。

もちろん、「私も馬鹿」なので、多くの人の考えや意見に耳を傾け、少しでも「馬鹿から脱却」できればいいのだけど。

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というわけで領土問題。

北方四島は、いまやすっかりロシア化されているようで・・・ロシアが実行支配し、このままではなし崩しにロシアのものになってしまうかもしれない。
尖閣諸島問題で、日本が見せた弱腰外交を見て、ロシアも動き出したらしい・・・と聞く。

日本はアメリカを頼るしかない。結局「強い国」に頼るしかないのである。

中国漁船にあきらかな非があるあの「証拠映像」がありながら、なぜか日本政府は映像を公開せず、中国相手に弱腰になるしかなかった・・・それほど日本は弱い国なのだ、外交的に攻めるなら今である、と他の国から思われているのかもしれない。

ロシアは「強い国になること」を謳っているようだ。
日本も見習わないと・・・と言うと、「宇宙戦艦ヤマト」の件で語ったように、ちょっと昔であれば「恐ろしい考えだ」と思われていただろう。

ただ、今回の尖閣諸島問題で、いろいろと考えさせられた日本人も多いようで・・・私も考えさせられた。

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尖閣諸島問題の映像流出、ネット公開について。
自分なりに考えてみた。

【今回の件でわが国の国益は損なわれたか】

・・・いや、その前からの中国に対する弱腰外交で、国益はすでに損なわれていたような気がする。そして、今回のロシア大統領北方領土訪問にもつながってしまったようだから。
けど、この件で、日本国民は領土問題を意識し出し、目が覚めたのではないだろうか。
あれが機密情報だったかどうかは置いておいて、簡単に流出してしまった管理の甘さも露呈してしまった。
なので、もしかしたら映像流出ネット公開は意味があることだったかもしれない、と個人的に思う。


【これ(映像)を機密とするのであれば、時の政府が自身の都合の悪いことはすべて機密にしてしまえば、何をやっても許されるのではないだろうか】

・・・たしかに、その通りかもしれない、とも思った。
もちろん、公開したために、国益が損なわれるということも多々あるだろうから、国家の機密情報をすべて公開しろとは思わないが。

そう、この証拠映像をもって、中国と裏で取引し、映像を公開しない代わりに中国を譲歩させ、日本の国益にかなう外交をするつもりだった、というのであれば、流出させるべきではなかったと思うが、どうなのだろう?

今回の「尖閣諸島問題から始まった領土問題から始まる国対国のさまざまな問題」で、政府が「日本を破滅に向わせる恐ろしい馬鹿」であるかどうか見極めなくてはいけない・・・のかもしれない。

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