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自信がもてない人 [人生・生き方・生活・人間関係]

以前の記事「自信とコンプレックス」http://kayashi.blog.so-net.ne.jp/2010-05-05でも話題にしたことがあるが、基本的に自信がもてない性質の人、わりといるのではないかと思う。

私の場合は、元からの性格もあるだろうが、褒められるよりも否定されるほうが多かった育ち方をしたので、そういう性質を持ってしまったかもしれない。もちろん、否定されても仕方ない自分なのだから、当然なのかもしれないが。

そういう人間は、チャレンジしよう、と言われても、なかなか腰が上がらない。チャレンジしても勝算がうすいだろうし、どうせ私なんか・・・と思ってしまいがちだからだ。

けど、たまに「ぜひやってみたい」と思えるものが見つかることがある。
自信のない者=臆病な者=慎重な者ということでもあり、その慎重な自分が「これは、いけるかも・・・」「これは、やりたい」と思うものがあった場合、それはわりと勝算が高いことが多い・・・かもしれない。

もちろん、チャレンジしたことがすべてうまくいくわけではなく、でも、わりと惜しいところまで行く場合が多く、「全くダメ」というケースは少ないかもしれない。

自信がない者は、チャレンジの数は少ないが、勝算が高いものにチャレンジしている場合が多いかもしれない。
なので、「自信がない者」は、無理にチャレンジの数を増やさなくてもいい、と思うのだ。チャレンジの数が少ない分、成功数も少ないが、失敗数も少ないのである。

自信のない者が、失敗数を上げてしまうと、ますます自信をなくしてしまうことがあると思う。
ここが基本的に自信がある人との差、かもしれない。

自信のある人は、失敗を糧に、またチャレンジし、成功の階段を登っていくのだろう。

自信のない者だって、失敗数と成功数を重ねて、自分も自信がつけられればそれに越したことはないが・・・失敗したことに心を奪われ、ますます自信をなくし、ややもすると「どうせ自分はダメだから」と、すっかりあきらめモードになり、すべてが投げやりになってしまうこともあるだろう。

どうしても自信がもてない人は、「失敗を恐れない自信のある人のやり方」を無理して真似なくてもいいかもしれない。

臆病といわれようが、慎重に、勝算の高そうなものや、本当に欲しいものや、どうしてもやりたいことだけを絞って、チャレンジしたほうがいいかもしれない。

マイペースで、人と比較することなく、自分が本当に欲しいものを手に入れることだけを考えれば、案外、いい人生になるのではないか、と思うのだった。

自信のない者は、ついつい他者と較べがち(だからますます自信をなくす)・・・けど、較べないようにし(まあ、それができりゃ苦労しないけど・・・)、成功設定もかなり低めにし、うまくいったら御の字だと思うことにすれば、と。

自分にとっての御の字は、他者から見れば「それくらいで嬉しいのか?」という小さなことだろうが、幸福というのは、考え方次第だ。
成功設定を高め(普通)にしたがために、それに届かず不満に思うよりは、設定を低くし満足したほうがいい。

たとえば、人付き合いが苦手だった場合・・・人が挨拶してくれただけで、良しと思うのだ。
いや、挨拶するって普通だろ、と言われるかもしれないが、成功設定は低くしているのである。
無視されなかっただけでも御の字である、と。

「結婚の条件その4」http://kayashi.blog.so-net.ne.jp/2010-05-24にも書いたけど・・・

「誰もができて当たり前」のことなど基本的にない、と思ったほうがいいかもしれない。皆それぞれ、資質、才能、環境、運などが違うのだから。

「できなくて当たり前」「できれば儲けもの」なのだ。
まあ、自分が満足していても、世間様(周囲の人)は「それでいいのか」といろいろとケチをつけてきたり、見下したり、負け組扱いするので、「できないほうが普通だ」と思うのはなかなか難しいけれど。

「自信のない者」は基本的に高望みはしない、と思う。

そんな中で、もし「自信のない者」が何かを望み、人から見て「それは高望みだ」と思ったとしよう。
だが、その高望みは、自信のない者=慎重な者が、本当に欲するもの、求めるものなのである。

本当に欲するもの、求めるもの=夢中になれるものが見つかれば、かなり幸せだ。

「自分探し」というのは、たぶん、自分が好きなこと、求めるもの、目標を探していることをいうのかもしれない。
目標が見つからない、というのは、とくに若い頃はあせるかもしれない。人生を無為に過ごしている気分になるのだろう。

でも、そういうのを探せる余裕がある、というのも、恵まれていることかもしれない。
生活に追われていれば、そんなことを考える余裕さえないかもしれない。

そして、本当に欲するものや好きなこと、夢中になれるもの、目標が見つかったとき、自信があるかどうかなど気にならなくなるのだ・・・と思う。
「やっぱり無理」と思うのであれば、それは本当に自分が欲するものではないのだ。あきらめてもかまわないものなのだ。

まあ、でも・・・自信がない人の気持ちも分かるが、今現在、自分が振り返ってみるに、もうちょっと積極的になってもよかったかもなーと反省もするのであった。

本当にやりたいことはやってみたが・・・
「手にいれてみたかったが、手に入れなくても我慢できそうなこと」にはチャレンジしなかった。

けど、今なら分かるのだ。自信がなくて、ついつい卑屈になり、あきらめたことに対し、卑屈にならずにもうちょっとだけ積極的に出てみれば、もっと違う結果が得られたかもしれない・・・もったいなかったかな、と。

ただ、それも今だから分かるんであって、昔は絶対無理と思っていた。努力を放棄したのだ。努力を放棄した分、ラクだったとも言える。ラクを選択しただけのことである。

チャレンジするのも良し、しないのも良し・・・

で、チャレンジしないからといって、その人を「臆病」「怠惰」「なさけない」「負け犬」と批判したり、バカにしてもいけないのだ。
チャレンジするしないを選択するのは、個人の自由である。


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公立の学校について(家計での教育費を抑えるために) [人生・生き方・生活・人間関係]

カテゴリーを「学校教育問題」にするか、「人生、生活」にするか迷ったが、前の記事「結婚の条件その4」(子供が進学する場合、教育費が高すぎるので、男性が結婚し子供をもつことを躊躇し、女性は高収入の男性を求めてしまう)http://kayashi.blog.so-net.ne.jp/2010-05-24に関わる問題でもあるので、この記事は、「結婚の条件」と同じ「人生、生活」カテゴリーに分類した。

ということで、この子供の教育費さえかからなければ、家計の経済的負担も軽くなり・・・
子供を進学させるのに経済的ハードルがちょっとでも低くなればいいと思い、考えてみた。

まず・・・私が子供の頃の話をしよう。

当時、塾に通っている子はごくわずかだった。中学に入ってからも、そんなにいなかった。(親の転勤であちこち廻り、東京ではなく地方の中学だったので、ひょっとしたら東京の子はすでに塾通いが当たり前になっていたかもしれない・・・)

私は全く塾には行かなかった。
音楽専門へ進む予定だったから、普通の勉強に力を入れなかったんだろう、というと、それはちょっと違う。
音楽高校に進むことに決めたのは中3になってからである。それまでは普通の公立高校に行くつもりだったのだ。

塾に行かずに、受験勉強ができたのか?というと、私の中学では、高校受験に向けて、先生達の授業がちゃんとしていたし、補習もあったし、塾に行く必要性を感じなかった。県で行われる県内共通テストで、自分が県の中でどれくらいの位置にいるのかも分かっていた。

とにかく先生達は県立トップの高校に何人合格者を出せるかに、とっても燃えていた^^;
塾の講師も、きっとあんな感じなのだろう、と思う^^;

そして、塾になど行かなくても、学校の授業だけで充分だったことは、県で行われる共通テストの結果が示していた。うちの中学で、塾に行っていた子はごくわずかだ。

その中学は、国立大付属であったが、そこは入るための試験はそんなに厳しくはなく、学力レベルは中レベルで充分受かった。あとは抽選で決まるので、運が大きい。
ただ、勉強が全くできないという子は、やはり受からないし、最初から受験してこない。

つまり、生徒の学力レベルがだいたいそろっているので、先生が授業をしやすかった、と思うのだ。塾のように、受験に向けて効率よく授業を進めることができたのだ。

そして、親の転勤で、中3の12月で違う県に引っ越すことになり、私は中学を変わった。今度は、普通の市立中学校である。(そのときには、もう音高受験は決まっていた)

その市立中学でびっくりした。
一部の生徒は授業中だというのに、走り回り、遊んでいる。多くの生徒は私語でうるさい。授業を聞いていない。
先生は、前の席にいる真面目そうな一部の生徒のみに授業を行っていた。前の席に真面目な生徒だけ集めていたという感じだ。
走り回っている生徒や私語をしている生徒は無視である。

そこで先生を責められない気もする。
走り回っている生徒や私語をしている生徒にかまい、授業が成り立たなければ、ほかの真面目な生徒がまともな授業を受けられないのだから。

ちなみに、走り回っている生徒も、授業を妨害しようとまではしなかった。勝手に遊んでいただけである。

前の国立大付属中学とのあまりの差に驚いた。
私は、付属中学で、私語をしない真面目な生徒たちの中で、塾に通わなくてもすむような先生達の効率の良い授業を受けられて良かったと思っている。

ここで、「ケッ、点取り虫が・・・勉強さえできればいいと思っているのか」という意見の人もいるかもしれない。

しかし、現実に、高校受験があるのである。まともな学力がなければ受からないのだ。
ほんとうに能力のある、しっかりした子であれば、どんな環境であろうと、勉強はできるだろう。でも、私は環境に左右されてしまう弱い人間なのだ。進学できなかったら、私のような人間はすぐに社会で脱落するだろう。
なので、勉強するしかないのである。

ラクなほうへ流されやすい私は、授業中に走り回って遊んでいる生徒や騒がしい生徒がいる中、先生が一部の真面目な生徒のみへ授業を行っているような中学では、まともに勉強できなかっただろう。

(ちなみに、小学校は・・・またそれぞれ別の地方の公立小学校を、3つほど経験したが、まだ、先生の権威というものがあり、生徒は先生に従うものとして、真面目に授業を聞いていた。授業内容を理解していたかどうかは別にして)

世間では、走り回っている生徒にこそ、先生は注意を向けて指導すべきだと言うだろうけど、そうすれば他の生徒のことはおざなりになる。

一人か二人の先生で、生徒全員に目を向け、平等に扱うなんてことは無理である。(当時は、40人程の生徒に先生は一人、であった)

結局、公立中学では、飲み込みが早い学力のある生徒に合わせた授業などできるはずがない。
その生徒は、改めて、自分のレベルに合った塾で勉強をしなければならない。

親が金持ちならば、自分の学力レベルに合った私立の小学校や中学校に行くかもしれない。
でも、親が金持ちでなければ、それはできないのだ。

塾に行くのだって経済的に大変な家の子供もいるだろう。

親の経済力で、学力に差がついてしまうなんて、それはそれで子供に対し、不公平ではないのか、とも思う。

なので、普通の公立小中学校で、学力別にクラス分けするのも、ありなのでは、と思う。
もちろん、学力別にしたら、下のクラスの子は傷つくということで、反対の人も大勢いるだろう。

しかし、公立学校に通う子供たちの学力は、あまりにも幅が広すぎるので、学年末に試験を行い、学力レベル別に、クラス分けし、各自その学力レベルに合った授業を受けられるほうが、先生も授業がしやすく、それぞれ学力が伸びるようになるのではないか、と思う。

走り回る子や遊んでしまう子や授業に全く興味ない子は、まず席について、私語を慎み、先生の授業を聞く、というのが目的となるだろう。

上のクラスは、トップクラスの公立学校の受験に向けて、効率よく勉強を進めることができるだろう。

子供を学力別にレベル分けするなんてけしからん、子供への差別だ、という意見は分かるけど、現実に高校受験で、学力レベル別に分けられてしまうのだ。
そして、私立の小中学校は試験があり、入学する生徒を選別しているのだ。

もちろん、子供を傷つけるようなレベル分けするような学校に行かせたくない、という親もいるだろうから、「学力別にクラス分けする公立小中学校」と、「そういったクラス分けをしない公立小中学校」と、どちらかを選べるようにしてはどうだろうか、と考えてみた。

先生の立場としては、学力に差がある子供たちに、授業を行うのは大変難しいと思う。どのレベルを基準にして、授業を進めていくのか・・・授業が全く理解できない生徒と、すでに理解していて退屈している生徒がいるかもしれない。
そして、悪くすれば、学級崩壊で授業そのものが成り立たないケースもあるだろう。
受験に向って、それぞれのレベルに合わせて授業を進めることができない。
受験したい子は、塾に通わなくてはならなくなる。

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結婚の条件その4(男性の視点) [人生・生き方・生活・人間関係]

以前、このブログでも「不良債権人間」http://kayashi.blog.so-net.ne.jp/2010-03-07というタイトルで記事を書いたことがあるけれど・・・

専業主婦が「不良債権」と言われていたのを、恥ずかしながら、今知りました。http://money.derica.jp/md/node/1010127424

どうやら過去に、森永卓郎氏が「人生の3大不良債権は、家のローン、子供、専業主婦」と発言していたらしい。http://www.shinchosha.co.jp/foresight/mook/sonshinai/book1.html

そういえば、昔、石原理沙さんの「ふざけるな専業主婦」でも・・・抜粋「専業主婦の生活が、家畜の生活に似ている、と私は思っているのです。自分の食いぶちも自分で稼ぐことをせず、家事に必要以上に時間をかけて、家事を趣味として楽しんでいる専業主婦」「夫という名の飼い主に、さらにいいエサをもらおうと、彼らが出世することだけが生きがいになっている専業主婦」 と、なんだか専業主婦はいろいろと批判されていたっけ。
西原理恵子さんの「専業主婦は物乞い」発言よりも過激であったが、石原理沙さんの発言は専業主婦への単なる悪口を並べただけという印象だった。

ところで「子供」まで不良債権に入るのか?と思ったが・・・あえて穿った見方をしてみよう。

そう、将来、その子供が不良債権になるか、優良債権になるかどうかは分からないが、たしかに不良債権になる可能性はあるだろう。

現に、今、不良債権と言われているらしい人たち(いい歳した未婚者、専業主婦、低所得者、ニート、ひきこもりなどなど)も、かつては子供だったわけだ。
それが負け組と世間で言われるようになり、不良債権となった。不良債権になる確率は高い。

森永さん自身は奥さんと子供がいらっしゃるだろう(たぶん)
もし、森永さんの奥さんが専業主婦だとしたら・・・森永さんにとって、奥さんと子供は不良債権なのだろうか?

まず、森永さんは勝ち組で、とっても稼いでいるから、ちょっとくらいの不良債権をかかえても、どうってことないのだろう。
そして、稼いでいる森永さんは、余裕を持って、子供に教育費をかけられる。子供は優良債権になる確率が高くなる。森永さんのDNAを受け継ぎ、きっと頭も良いのかもしれない。
なので、森永さんの子供は「優良債権」なのかもしれない。

森永さんが言いたいのは、余裕がない負け組の人は無理せずに、人生の不良債権となる「子供、配偶者、家のローン」を持つな、ということなのだろう。
負け組の子供は、やはり負け組になる確率が高いだろうから、不良債権になる確率が高い、ということなのだろう。いわゆる負け組再生産だ。

そんな負け組は、また負け組不良債権をつくるよりは、最初から持たないほうがいい・・・せっかく無理して教育費をかけたのに、結局は不良債権になるかもしれない、骨折り損のくたびれもうけになるから、やめておいたほうが得だ、と森永さんは言っているのかもしれない。

別に負け組と言われるほどではない平均的な収入でも、子供の教育費は痛い出費だろう。
勝ち組と言われる高収入でないと、子供に教育費をかけ、優良債権にするのは難しいのかもしれない。

低収入の男性はもちろん、平均的収入の男性にとっても「子供、専業主婦、ローン」は背負わないほうがいい不良債権なのだ、ということなのだろう。

ちなみに、専業主婦ではなく、パートなどの低収入主婦も、森永さんに言わせれば、「不良債権」なのかもしれない。
男性と同等の稼ぎを得られる妻になってこそ、夫の不良債権にはならないのかもしれない。

やっぱり、まずはお金を稼げるかどうかなのか・・・稼げない人は不良債権なのか・・・なかなか厳しい。

世間様と勝ち組の人たちは、「負け組」と言うだけでは足りず、ついには「不良債権」という言葉を使い始め、「社会にとって正しい生き方をしていない人間」「お荷物になりそうな人間」「社会にとって損になりそうな人間」に、その言葉を投げつけるようになったのかもしれない。(さすがにこの森永さんの発言は批判されたらしいが)

ということで、「専業主婦は不良債権」と言った森永卓郎氏だが・・・
その森永さんの著書「非婚のすすめ」には、こんな世の中、結婚して苦労するよりも、独身で気楽に生きたほうが楽しく、これからの時代は、独身のほうが色んな面で得だ、と書かれているらしい。

森永さんは「もう負け組になるのは当たり前。ならば、いかに身軽にシンプルに生きるか」を説いているのだという。

なるほど「負け組になるのは当たり前」と言われると、ちょっとラクになる。
身軽にシンプルに生きる、というのは、無理せず結婚しないで身軽に生きろ、ということだろう。

とくに収入があまりない男性にとっては、結婚しないほうがお得かもしれない?→http://blog.goo.ne.jp/tomo7hiro4649/e/fc05ee0d9c0e05c250a8255251a7d6bf

「男の人生三大不良債権=家族で住める家のローン、子供、専業主婦の妻」ということで・・・
たしかに、平均的な男性の稼ぎでは、よほど我慢しないと結婚生活は破綻してしまうかも。男性の立場であれば、こういうことを考えると、結婚したくない、と思ってしまうのだろう。

http://www11.atwiki.jp/menzlib/pages/151.htmlも「結婚が不良債権」と説いている^^;

昔、「結婚は人生の墓場」という言葉があったが、これを言うのは男性であった。
なので、昔から、「結婚したくない」「できるだけ先へ引き伸ばしたい」と潜在的に思っている男性がけっこういたのだろう。
でも、昔は社会的信用を得るために仕方なく結婚したが、今は昔ほどの重圧はない。
結婚したくなければ、しなくても、それほどの損はない。結婚のメリットも昔ほどはないだろう。

ちょっと前までは、仕事人間で、たくさん稼ぐけど、家庭を省みない男性は批判されていた。もっと家庭を顧みよう、と言われていた。

では不況の今は・・・稼げないけど、その分時間があるので、家庭を顧みれるようになったとしよう・・・
すると「もっと稼げ」と言われ、稼ぐことを望まれているようで、たしかにこれでは男性が「いい加減しろ」と思うのは無理もない。

仕事で稼ぎ、なおかつ家庭を顧みる余裕のある人が、理想なのだろう。
でも、そのような男性は少ないだろう・・・仕事で稼ぎ、かつ家事育児を両立させるスーパーな女性が少ないように。

自分の自由になる時間やお金が少なくなり、煩わさが増える・・・だから「人生の墓場」ということになるのか。

家庭を顧みようと思って、せっかくの休日は家族サービス・・・でも「サービス」と思う時点で、家庭をもつことは考えたほうがいいかもしれない。
女性は「サービスではなく当たり前のこと」と思っているし、たしかに家庭をもったら、休日くらい、家族と付き合うのは当然のことかもしれない。けど男性にしてみれば「休みたいのに、つきあってあげている」のかもしれない。
そういった意識の差が、夫婦の溝を生むのかもしれない。

あるブログに・・・「結婚は男にとっては負債。女にとっては財産」とあったっけ。

ほかでも・・・↓「結婚したくない男性側の視点」で書かれたブログを紹介しよう。
http://kekkonhantai.seesaa.net/article/19220131.html
http://kekkonhantai.seesaa.net/article/19220108.html
http://kekkonhantai.seesaa.net/article/19219994.html
http://kekkonhantai.seesaa.net/article/24383441.html
http://kekkonhantai.seesaa.net/article/19219858.html
http://kekkonhantai.seesaa.net/article/19219681.html

http://kekkonhantai.seesaa.net/article/19219776.htmlhttp://kekkonhantai.seesaa.net/article/19219760.html

ムシのいい女性の本音?↓
http://kekkonhantai.seesaa.net/article/19219828.html

ということで・・・男性から見れば、結婚はある意味、損かもしれない・・・
そして、森永さんは「子供も不良債権」だというのだから、よほど高収入でない限り、「教育費にお金のかかる子供」は持たないほうがいいのかもしれない・・・

だから「結婚は人生の墓場」と昔から言われていたのかもしれない。

こういった損得で考えることを「自己中心的」「冷たい」と批判する人もいるけれど、人間は余裕というものがないと、ついついシビアに損得を考えてしまうのかもしれない。

とくに、世間から(勝ち組から)、いろいろと見下されたり、バカにされたりすれば、蔑まされれば、「社会のために」「周りの人のために」などと思えるはずがない。人に対し、あたたかい気持ちになどなれるはずがない。自分を守るために、自分の損得だけを考えるようになるのは仕方ないのかもしれない。

森永さんの言うとおり、余裕のない負け組が無理して結婚し、子供をもてば、破綻してしまうかもしれない。ますます不幸になってしまうのかもしれない。
森永さんは見下しているつもりは全くなく、負け組に「できるだけ損をしない生き方、無理しない生き方、できるだけラクな生き方」をアドバイスをしてくれているのかもしれない。

いろいろと他の人たちの考えを見聞きすると、私も「余裕がない者は非婚のほうがいいかも」と思ってしまう。
男性が非婚化すれば、女性もその分、余ることになるが、男性はもう妻という不良債権を抱えることはできないのだろう。(もちろん、稼げる妻は別である。稼げない妻=女性は男性にとっての不良債権ということなのだろう)

稼げない女性は結婚できず、稼げるけど家庭と育児の両立に自信がない女性は結婚せず・・・これから、ますます非婚が増えるのかもしれないが・・・
勝ち犬(高収入の夫をもつ専業主婦、家庭と両立している稼げる妻)は、ごく一部で、大半が「負け犬」となれば、かえって気楽だ。

結婚して子供を持つのは、ごく一部の裕福な勝ち組のみに許される贅沢なこと、となっていくのかもしれない。

勝ち組の子供はもともと賢い性質を親から受け継ぎ、親の経済力で質の良い教育も受けることができ、日本社会にとってもよい人材となるのだろう。

世間で言うところの負け組の男女にとっては、「結婚して子供をもつことが当然」と言われるよりも、「結婚しなくてもいい、結婚しないほうがいい、無理しなくていい」と言われたほうがラクかもしれない。

森永さんの「不良債権発言」に、もちろん専業主婦の人は傷ついたかもしれないが、低収入および平均的収入の未婚男性にとっては、目からウロコ、だったかもしれない。
「男のくせになさけない」と言われるよりも、「無理することはない、そこまでして結婚することはない、結婚は損になることがある、不幸になることもある、結婚は人生の不良債権となる」というのに頷く男性も多かったかもしれない。

森永さんの発言は、男性たちを救う言葉だったのかもしれない。そして、結婚できない女性たちも。


逆に・・・こういうのを読むとちょっと違和感もってしまう。
http://mainichi.jp/select/biz/katsuma/k-info/2009/02/post-14.html
少子化をなんとかしよう、というのは分かるけど、「結婚して子供をもつべき」という押し付け的な感じと、そもそも個人が自由に選び、私的に行動すればいいことを、公が「婚活支援」「出会いのサポート事業」「コミュニケーション教育」など世話をやこうというのは、なんだか違和感もってしまう。
また、識者の発言の中で【アメリカのような『カップル文化』では、パートナーがいないことが恥ずかしいので、とりあえずつき合い始める、ということがある】というのがあったが、だとしたらカップル文化は息苦しそうだ。

「○○しないと恥ずかしい」という価値観で、本来、自由でいいはずの人の生き方を縛ろうという社会は気持ち悪い。
常に彼氏彼女がいないと恥ずかしいだなんて・・・もし、そこまでして恋愛させたい結婚させたい社会があるとしたら、ちょっとヘンだ^^;

勝ち組の人たちが押し付けてくる「あるひとつの生き方」(ここで言えば恋愛し結婚し子供を育てる)を良しとし、他の生き方を恥ずかしい(恋愛、結婚をしない、子供を産まない)という価値観を刷り込む。
「恥=(劣っている、負けている、自分勝手、我がまま、怠惰、不幸、かわいそう、などなど)」を刷り込み、多くの人間に洗脳できれば、人の生き方をも社会が操れる。でも、それはなんだか怖い。

なので、森永さんの「べつに独身のままでいいじゃない」という考えのほうに共感できてしまう。
そう、香山リカさんの「べつに今のままでいいじゃない。がんばらなくてもいいじゃない」というのと一緒かもしれないけれど。

もちろん・・・森永さんの言う「3大不良債権(家のローン、専業主婦、子供)」は、自分にとってはなくてはならない大切なものであり、「不良債権ではない」という男性の意見もある。こういう意見を聞くと、ホッとするのも確かだ。
きっと、この方は本当に幸福なのだろう。

ただ、森永さんが言いたいのは、誰もが幸福になれるわけではなく、結婚して専業主婦(または低収入の妻)と子供をもっても幸福になれるとは限らない、ってことなのだろう。中には不幸になる人もいるのだろう。さらに「結婚して子供をもって不幸だ」「子供は不良債権だ」という親をもった子供はもっと不幸だろう。

なので、世間が押し付けてくる幸福観に惑わされず、自分は結婚に合うのか、合わないのか、よくよく考えたほうがいいのかもしれない。また相手にも左右されるので、やはり相手を厳しく選ぶのも仕方ないだろう。
でなければ、子供が一番被害を受け、不幸になるかもしれない。

やはり、結婚に踏み切るのならば、自分にも相手にも「余裕のあること」(経済的、精神的、体力、気力などなど)が大切なのかもしれない。
子供を持つのならば、相当の覚悟が必要なのだろう。子供を「不良債権」と思ってしまうような余裕のなさであれば、子供はもたないほうがいいだろう。

自分に余裕があれば、自分が恵まれていれば、相手のことも思いやることができるし、相手に協力もできるし、相手の希望に沿うこともできるだろう。
反対に余裕もなく、環境で恵まれてないならば、自分のことで精一杯で、相手のことを思いやれず、それどころか相手が邪魔に思えたり、自分の思うとおりに協力してくれない相手に不満を感じたりして、溝ができ、やがて関係は破綻するかもしれない。

夫婦それぞれに余裕がない限り、環境が恵まれてない限り、森永さんの言うとおり、結婚は「人生の不良債権になる可能性」が高くなるのかもしれない。

なので結婚は皆がするものではなく、選び選ばれた人がするもので、誰でもしたほうがいいというものでもないのだろう。「結婚に合わない者」が結婚したら、自分も不幸だが、周囲をも不幸にするかもしれない。

ということで、森永さんの言葉に頷く男性がいるのは仕方ないのかもしれない、と思ってしまった。

逆に、森永さんの言葉に全く頷けなかった男性は、結婚に向いているかもしれない。

それにしても・・・女性の立場から言えば、妊娠、出産だって、本当に大変だろうに・・・
もちろん、これも個人差があり、軽くすむ人もいれば、ツワリで苦しんだり、出産までにいろいろトラブルかかえたりする人もいるだろう・・・妊娠中は薬も使えないから、風邪もひけない・・・よほど体力に恵まれないと、ずっと仕事を続けるというのは厳しいかもしれない。
けど、仕事を一旦やめてしまったら、復帰は難しく、パートやアルバイトしか見つからないだろう。
低収入では、夫に家事育児を分担してもらうのも気が引け、夫も妻がやるのが当然と思うだろう。

それならば、最初から高収入の結婚相手をみつけ、専業主婦でいたい、という女性がたくさんいるのは、これも仕方ないと思う。

高収入の結婚相手が見つからなければ・・・自分も働くことにして、共働きを求める男性を結婚相手とするか、
共働きする自信がなく、あくまでも専業主婦希望で、適当な相手が見つからなければ結婚できなくてもいいとするか・・・

これは他者が口をはさむことではなく、本人が勝手に決めればいいことである。自分がその道を選んだ責任をとることになるのだから。


とまあ、気になったこととして、長々と書いてきたが・・・(もちろん、皮肉も織り交ぜている)
自分の生き方に迷っている人がいたら、まず「○○して当然」という言葉に疑問をもったほうがいいかもしれない。

他の人には「できて当然のこと」でも、自分は違うかもしれない、無理かもしれない。 そして、「皆がやって当然のことができない自分」を責めることもないのだ。 体力を含めた人の能力、資質、体質、周りの環境はそれぞれ違うのである。「皆ができて当然」のことなど基本的にないのだ。

ということで・・・
男性側の意見として、結婚相手の女性には「自分の同じだけ稼いで、はじめて家事育児を半分分担する」「専業主婦は不良債権であり、結婚パートナーとしては論外」「まず男と同じだけ稼いでからモノを言え」というのがあった。
それはもっともだろうけれど・・・男性と同じだけ稼げる女性は少ないだろうな、と思った。

男性でさえなかなか仕事がない時代に、雇う側は「妊娠出産育児で仕事を一旦休むことになるだろう女性」を積極的に雇うことはないだろう。よほど、その女性が優秀でない限り・・・まず男性を優先するのでは、と思う。安定したフルタイムの仕事を得るのも、女性は不利かもしれない。

実際、仕事を得ても、妊娠してツワリで苦しみ、あるいは流産しかかって、仕事どころじゃなくなり、退職・・・
または出産、育児でも休んだら、復帰が難しく、子供が病気の度に休むことになり、退職に追い込まれる・・・ということもあるだろう。
仕事を一度やめ、やっと子育てが落ち着き、仕事を探すも、結局、低収入のパートしか見つからない。

子供を持つ場合、よほど恵まれた女性でないと、男性と同等の仕事を続けることができず、夫に食わせてもらうことになる確率はとても高い・・・かもしれない。

「俺と同じくらい稼いでみろ、そしたら家事育児分担してやる」「専業主婦は気楽なただ飯食らい」「稼げない妻は不良債権」と思う男性と結婚すれば、あたたかい家庭を築くのはまず無理なので、はじめから「専業主婦を求めている高収入の男性」を女性たちが求めるのは仕方ないかもしれない。

どんなに女性が働く環境が整っても、妊娠~出産は個人差があり、体質なので、働き続けることができない女性も出てくるだろう。

稼ぐことが第一であるならば、子供は最初からあきらめたほうがいいということになる。働き続けることを優先するならば、子供をもつことは大変リスキーだ。

森永さんの発言に共感するところもあったが、やはり「不良債権」という言葉にはぞっとする。
専業主婦が不良債権というのならば、たぶん、妊娠、出産、育児を軽く見ているのだろう。

「専業主婦でもいいよ」と言ってくれるような高収入の男性を求める専業主婦志向の女性が増えるのは、当然かもしれないな、と思った。

世間は「身のほど知らず」「男性に依存しないで、自分で稼げ」と言うけれど、専業主婦志向の女性のことは、別にそのまま放っておけばいいのでは、と思う。
専業主婦でいられるような結婚など、そうできないだろう。高収入の男性は少ないのだから。

専業主婦も怠けていないで働け、と声高に叫んでも、結婚相手となる男性が「専業主婦でいい。家庭のことをしっかりやって欲しい」というのならば、それでいいのである。その夫が、妻が専業主婦でいることを許しているのならば、専業主婦でいることを望んでいるのならば、周囲がとやかく言うのはおかしい。

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共通テーマ:恋愛・結婚

結婚の条件その3(他の人たちの意見、考え) [人生・生き方・生活・人間関係]

前日記「結婚の条件その2」http://kayashi.blog.so-net.ne.jp/2010-05-15-1で話題にした小倉千加子氏の「結婚の条件」では、男性は女性に対し「容姿」を求め、女性は男性に対し「お金」を求め、すなわち「結婚とはカオとカネの交換」ということであったが・・・


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結婚の条件その2 [人生・生き方・生活・人間関係]

前日記http://kayashi.blog.so-net.ne.jp/2010-05-15の続き。

結局、自分が思う結婚の条件は、「何かあったとき、ほかのことを捨てる覚悟で、家庭のことを最優先できるか否かだよなー」と思った。これはお互いにね。
当時は自分のやりたいことを我慢し、やりたいことが優先できず、家庭最優先なんてできそうにもなかった。義務として家庭のことは「優先しなくてはいけない」という感じで、「優先したい気持ち」はもてそうになかった。

なので、仕事に燃えている、または趣味に燃えている人、やりたいことがある人は、いまいち結婚に腰が引けてしまい、それほど熱心になれない場合もいるかもしれない。もちろん、そんな自分を理解してくれ、ついてきてくれる人、または協力してくれる人がいれば結婚したいだろうけど、まずそんな我がままを受け入れてくれる人はいない。

仕事にしろ何にしろ、やりたいことは目いっぱいやって、やりつくし、家庭のことを最優先できる覚悟ができたら結婚、というほうが後悔しないかもしれないが、やりたいことをやっていたら、歳を食ってしまい、若さを求められてしまいがちな女性の場合は男性よりも厳しいかもしれない。

自分は何を優先したいのか、やらなければ後悔するものは何か、あきらめてもいいものは何か、をよくよく考えたほうがいいのかもしれない。

まずは、やはり結婚することが最優先なのか?、子供はどうするのか?(持たなければ、自分のやりたいことはできるだろうし、両立は難しくはないだろう)・・・
とりあえず年齢的なことがあるので、結婚し子供を作り、子供が成長した後で自分のやりたいことをするか?・・・
でも、そのときには「やりたかったこと」は体力的または能力的に無理になっているかもしれないし、あるいは、子供が成長してもいろいろと問題を抱えることになり、自分がやりたかったことができる環境にないかもしれない、それでも後悔しないか?
家庭最優先の生き方がしたいのか、他はあきらめることになってもいいか?・・・
逆に、家庭を持たないままで後悔しないか?

人それぞれ優先順位は違うだろう。
しっかり優先順位を考え、選択していけばいいと思う。将来、その選択に後悔するかもしれないが、では、今よりも将来を優先するのか?ということになる。今を選ぶか、将来を選ぶか、どちらを優先するのか、それもまた選択である。

すべてやりたい、あきらめたくないっていう人は、とにかく、がんばるしかない。ただし、あれもこれもと欲張り、全て中途半端となり、失敗したり、疲れ果ててしまったりで、逆に「欲張らなきゃ良かった」と後悔することもあるかもしれない。
自分には、すべてをやりとおせる能力と体力、環境が備わっているのか、本当にできるのか、をよくよく考えたほうがいいかもしれない。

世間の価値観に惑わされず、本当に自分が欲しいものや、優先したいことを選ぶのは迷うし、難しい。
けど、「やりたいことがある」「欲しいものがある」って、それはそれで幸福なことかもしれない。
あるいは「やらなくてすむ」「やりたいことや欲しいものが特にない=とりあえず現状に満足している」ということも恵まれているのである。

世間は「それでいいのか?」「後悔するぞ」「不幸になるぞ」「○○するのが、人として当たり前」と脅したり、批判してくるが、本当に自分が欲しいもの、やりたいものを優先すればいいのである。あるいは、自分がそれほど欲しくないものに対しては、努力しなくてもいいのである。または、それを手に入れなくてもやっていけるのであれば、無理して手に入れることもない。

生き方指南本は、たいてい胡散臭く感じる自分だが、「良かった」と思える本を紹介しておこう。
あの叶恭子さんの本だ。中学生向けに書かれているが、成人にも大いに参考になると思う。


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さてさて、「結婚の条件」について分析された、わりと注目された本があったようで、遅まきながら私も読んでみた。男女ともにおすすめです。


以下、「結婚の条件」(小倉千加子)より・・・

【結婚の「適当な相手」を選ぶ時、自分の価格に応じた相手が購入できるが、自分に与えられた値段を見ることが難しい。なので第三者から見れば高望みしている場合が頻発している】

【女性の夢は、結婚で勝つ(高収入の夫を得る)か仕事で勝つか(自分が高収入を得る)であり、どちらにも入らない谷間のような存在が、夫の稼ぎを補うために働かなければならない妻なのである】

【「高卒女性が求める結婚=生存=生きるための結婚」「短大卒の女性が求める結婚=依存=夫に稼いでもらい、専業主婦でいられる結婚」「大卒女性の求める結婚=自己保存=今の自分を変えずにすむ結婚」】

【女性が男性に求める最大の条件は「経済力」で、男性が女性に求める最大の条件は「美人であること」で、結婚とは「カネ」と「カオ」の交換であり、女性は自分の「カオ」を棚に上げて「カネ」を求め、男性は自分の「カネ」を棚に上げて「カオ」を求めている。】

【容姿や収入といった資源を持たない男女は、なかなか満足のいく出会いを得られず、問題は身の程知らずな欲望自体にあるのだ】

【女は「生活のための労働は、男にさせ、自分は貴族のように意義ある仕事を優雅にしていたい。今や単なる生活費稼ぎの労働は、男と親と老人だけがするものになりつつある。あらゆるつまらない労働、人間がしなければならない「当たり前」の労働から、若い女性たちが総撤退を始めている】

【「ラクしたい」「働きたくない」「苦労したくない」――これは若い女性だけが望んでいるのではなくて、若い男も同じことである】

【働いて家計費を稼がなければならない二等主婦の上に、働かなくても青山でお洋服を買って消費できる一等主婦がいる。さらにその上に、働くことでお金を消費することを許される特等専業主婦がいるのである】


・・・というようなことが、この本に書かれている。

「顔と金の交換」とは・・・男女お互い、求めるものはこんな単純なものなのか?とも思う。・・・けど、「情」がなければ、おそらく顔と金をうまく交換できても、長続きはしないかもしれない^^;

カオにしろ、カネにしろ、持たざる者は、世間から下されている「自分の評価、レベル」をよく知っている。だから自信のない者も多いのだ。
しかし、だからといって、「あまり欲しくないもの」を手に入れても仕方ない。ので、「運良く、欲しいものが手に入るのならば、もちろん手に入れたい」ということで、「できれば結婚したいね」ということになるのかもしれない。
けど「おそらくダメかも」というのを感じつつ・・・

つまり、自分を棚に上げずに、あきらめモードで、自分を棚に仕舞うのだ^^;

自分を棚から下げて、現実を見たところで、交換できるものがあまり欲しいものではない場合・・・結局、そこまでして欲しいのか(結婚したいのか)っていうことになる。

もちろん、自信のあるものは挑戦するのだろう。
自分を棚に上げようが、できるだけ自分を高く売りたい、買ってもらいたい、いいものを手に入れたい、だろう。

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