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児童養護施設と発達障害について [人生・生き方・生活・人間関係]

児童養護施設・・・やはり親の虐待による要保護児童が増えていることから、少子化で児童人口は減少しているに関わらず、施設で暮らす子どもの数は横ばい、微増だという。

施設で暮らす子どもの数は約3万人。
親から虐待を受けた児童は54パーセント。

で、そのうち入所して問題を起こす児童は25パーセント。
問題を起こす・・・粗暴な言動、暴力、破壊行為、対人関係不調、多動、過度の甘え・愛着障害など。

そのうち発達障害児は虐待を受けやすいことから、わりと発達障害児がいるという。
精神的障害を抱えていることから、施設の職員や指導員ではなかなか対処が難しいことも多いようだ。

職員による入所児童虐待は、よくマスメディアで取り上げられて、問題にされるけど、多くは児童同士のいじめ、年上の子による年下の子への虐待や、児童による職員への暴力のほうがずっと多く、深刻だという。女性職員など恐怖を感じることもあるようだ。しかし正当防衛にせよ、職員が児童へ何かしらの暴力を振るえば、世間で大問題になる。

グループホームや小舎は、一人勤務が多く、職員への暴力が起きやすいらしい。常に2人以上職員がいるところでは、暴力件数が激減するという。

そして入所児童は、やはり学校でも問題を起こすことが多い。
教員も、こういった児童の指導に手を焼くらしく、一部の小中学校では「入所児童の受け入れは、1学年3人まで」「これ以上、子どもを入所させないでほしい」と入学制限をしているところもある。
(児童養護施設はその校区にある学校へ、入所児童を通学させることになる)

施設の児童が学校で問題を起こすと「登校をさせないで」「施設の職員がついてきてくれ」「ほかの施設に移して」と言われることもあるという。

学校側にしてみれば、ほかの生徒の安全が確保できない、ほかの生徒の権利が守られない、という理由もあるだろう。

入所児童にも権利はあるけれど、ほかの子どもにも権利があり、ほかの多くの子どもにガマンさせる、と言うのも難しい。
教師は、その問題児童にかかりっきりになり、ほかの多くの子どもに目が行き届かなくなったり、放っておかれることにもなる。

・・・・・・というような本を読んだ。
入所児童に、親から虐待された児童が多いことは予想していたけど、発達障害児がわりといる、というところに、少なからずショックを受けた。

けど、よくよく考えてみれば、「やはりそうか」と厳しすぎる現実を思う。

うちも近親者に「発達障害」がいることから、発達障害について、正直に忌憚なく思ったことを意見しあうことが多い。
そのことについて語ってみる。

以下、発達障害に対する差別発言では? 問題発言では? というようなことも書くが、しかし身近に発達障害を抱える者の意見や考えとして、また私自身も少なからずその気があるのだろう、ということでご容赦を。

医師など、ほか専門の人の意見を聞くと、発達障害はやはり「性質=遺伝的なもの」も大いに関係するらしい。

言われてみるに、親族に「もしや発達障害では」というようなものがちらほらいる。程度の差はあるにしても。
で、やはり「コミュニケーション能力」が、「ない」あるいは「低い」ように思う。空気を読む力もない。
なので、若い世代は、結婚できていない。仕事もできない。けど「本物の障害者」ではないので、公的支援がさほど受けられない。
精神障害になってから、本物の障害者として支援を受けられる。

もっと上の世代になると、結婚できている。が、それはお見合い結婚で、周りがさっさと決めてくれ、本人はさほど努力をしなくても結婚できていた時代だからである。

が、恋愛結婚が主流となった時代、コミュニケ-ション能力が劣っていれば、結婚までこぎつけるのは、かなり厳しいだろう。
でも、それでいいのだと思う。(私の親族も同じ意見だ)
つまり、発達障害の気があるのであれば、子孫を残さないほうがいい、発達障害の性質を引き継いでしまうのは、やっぱり不幸だからだ。

もちろん、発達障害といってもいろいろあるし、社会的に成功している者もいる。
作家でいえば市川拓司氏、漫画家でいえばさかもと未明氏など(それぞれ本人が「自分は発達障害だ」と告白している。私から見れば「う~ん・・・」であるが、ごくごく軽いのまで発達障害とするのであれば、そうなのだろう。定義を広げれば、2割から3割は発達障害だと思う。そして当然、私も発達障害に入ると思う)

いじめられっこのほとんども軽度を含め発達障害であることが多いのでは、と思う。

ごくごく軽度というのは、おとなしい、人見知りをする、人間関係を築くのが苦手、コミュニケーションをとるのが苦手、おしゃべりが苦手、反対におしゃべりだけど空気が読めないので、ひんしゅくを買うなど。

人とつきあうのが苦手なので、一人でいるほうがいい、よって、一人でコツコツ作業したり、考えたりすることが得意。大勢の人間の中にいることが苦手。
大勢の人間の中にいると、虐めの標的にされたり、あるいは仲間外れにされたりすることが多いので。
どこかのグループに入って、身を守らないといけなくなるし、大勢の中での独りぼっちは、なかなかキツイものがある。
なので、場合によっては「ひきこもり」になることも。

研究者、芸術家、作家、オタクなど、もしかしたら軽度発達障害(知能は普通)が多いかもしれない。
軽度発達障害は、いじめられることも多く、あるいは今のスクールカーストでは最下層に属し、劣等感は増幅され、ますます他人が苦手となるだろう。

さらに親からの虐待が加われば、精神的に問題が出てくるのは当たり前かもしれない。性格も歪むだろう。

親からすれば、軽度発達障害の子どもは、イライラするだろう。
私も子どもの時は『もたもたしている、鈍くさい子ども』であった。頭も悪かったと思う。もちろん、虐められっこだ^^;

小学校低学年では、パンツを脱がされたり、唾吐きかけられたり、と、まあ、そういうこともあった。
上の世代の親としてみれば、情けなく、「なぜやり返すことができないのだ?」「虐められる方も悪い」という思いが強かったらしく、虐められた上に、親からも叱られるという感じで、ま、子どもの時は「いかにして身を守るか」に汲々していたように思う。

なので、私はとてもずるく、嫌な人間でもあった。
他の子と比較され、けなされて育ったので(褒められたことなど皆無だ)、劣等感と自己嫌悪にまみれ、性格もひねくれ、歪んでいたと思う。(今は「なるほど、そういうことだったのか」と醒めた思いだ^^;・・・ちなみに大人になってから、多少、認められることがあっても、劣等感から抜け出すのはなかなか難しい。もちろん、他者から認められればうれしいが、素直にそれを表に出すことはなく、「いやいや、そのうちダメになるだろう」と予防線を張り、案の定、ダメになり「ほうら、やっぱりね」と、最初から自分に期待しないようにするのだ^^;)

私の近親者にいる発達障害者は、もっと劣等感が強い。なのでますます人から嫌われ、本人はますます被害妄想が強くなり、やがて精神がやられてしまうのだ。

親の立場からすれば、子どもの出来が悪い、のはイライラしたことだろう。

そして、そう育児というのは本当に大変だ。
子どもに夢を持つな、というほうが酷かもしれない。
で、努力でなんとかなる、と信じていた世代だ。

自身が、貧しく、勉強したくても、勉強をさせてもらえなかった世代、進学したくてもさせてもらえなかった世代になる。なので、自分ができなかったことを、子どもに託したくなるのは、人間として当然のことだ。

発達障害という概念もない時代だ。
知的障害でない限り、努力によって、望むものが勝ち取れる、と信じられていた世代でもある。

まあ、うちはイライラだけですんだが、中にはつい手がでてしまい、それが虐待にまで行ってしまうケースもあっただろう。

周囲からも「甘やかしているから、そうなるんだ」と言う者もいたりして、親はますます厳しくなるケースもあっただろう。

そう、発達障害児は親をイライラさせる。
発達障害の概念が知れ渡った今の時代だと、逆に親は落ち込むかもしれない。そして知的障害者ほどには手厚い支援を受けられないため、絶望感に陥る。
登校拒否、いじめ、ニート、就職できない、など、あらゆる問題を心配することになり、生き地獄を味わうことになる。(親族はそう言っている。私もそう思う)

親が子どもに対し、そういうことを思うのは、倫理的に許されない、だろうけど、親も人間である。
「産まなきゃよかった」と思うのも仕方ない。
子どもにしてみても、親からそういうふうに思われるのは悲惨だろう。

で、児童養護施設に、そういう発達障害児が多いと聞き、「ああ、やっぱりね」と暗い気分になってしまったのだ。

劣等感は皆、それぞれあると思うが、軽度発達障害、もしくは発達障害の要素をいくつか持っている人(たぶん、私はここに入ると思う)の劣等感は、かなりのものだと想像する。

で、脳のバランスが悪いらしい=偏っているので、精神病になるリスクも高いという。(医者の話)

脳のバランスが悪い、うまくいけば、それは「天才」「突出した才能」につながり、ひとつことにこだわりをもち、それを追究し、脇目もふらずエネルギーを注ぐことができる=努力し続けることができる=それが苦にならない、むしろ、それをやらないと気が済まない、やらずにいられない、ということで、社会的に成功者になることもある。
(アスペルガーに似ているかも)

けど、そこまでいかない場合、ただの落ちこぼれとなることも、けっこうあるようだ。

最悪、犯罪者にもなる。脳のバランスが悪い=破滅型人生を辿ることもあるだろう。

私個人の感想だが、やはりバランスがいい方が生きやすいし、さほど劣等感を抱えずに済み、幸福になれる気がする。
発達障害は程度の差はあれ、悲劇を生むことが多いと思う。周囲を不幸にさせることも多い。
これが発達障害を身近に見てきた者の感想だ。優生思想、差別だ、と思う人もいるかもしれないが、それが現実だ。いや、たまに思う。冷たくて黒い現実があるなあ、と。とはいえ、そればかりでもない。発達障害という概念もなく、単に親のしつけが悪いと言われていた昔よりも、情報がいきわたり、ある程度正確に分析できるようになった今の方がずっとましで、良い時代になったと思う。

そういえば、テレビで「夫が軽度発達障害(軽度なので、仕事はできる、よって結婚もできたのだろう)で、妻が苦しんでいる」「どうしたらいいか」というテーマの番組を見たことがある。
ケースによっては、『接し方、やり方』でなんとかなる、うまくいく場合もあるようだ。
で、子どもも発達障害であるケースも、少なくないようだ。

とはいっても、発達障害もピンからキリまで。軽度を含めれば、かなりの数になるのだろう。
昔なら「変わり者」と言われていた人も「発達障害」に入るらしい。

そんなわけで、私は「バランスのいい人」にあこがれるが^^;

バランスのいい人というのは・・・過度な劣等感を抱いておらず(いわゆる自分の血を引いた子孫を残したいと素直に思える程度)、自己肯定もしているので、自信もある。(過度な自信家でもないので、人からも信頼されている)、いじめもいじめられもしない。そういったことに縁がない。性格が基本的にいいので、友だちも多い。彼氏彼女もできやすいだろう。話しやすい。親しみやすい。プライドも高すぎず低すぎず。基本的にポジティブ。明るく社交的。礼儀正しく、誠実。(不誠実だと結局、人は離れていく)

それらは「脳のつくり(ホルモン分泌も含め)のバランスがいい」ということでもあるのだろう。

脳のバランスが良ければ、おそらく外見上のバランスもいいのではとも思う。さすれば、外見において、過度なコンプレックスも抱いていない、と言える。

反対に過度なコンプレックスを抱いている人の中には、けっこう意地悪な人もいたりする。コンプレックスが他者への虐めへと誘うのだろう。もち、虐められる人も多いだろうけれど。

ただ発達障害の場合は、虐められるケースのほうが圧倒的に多い気はするが。
過度なコンプレックスを抱えながら生きていくというのは、やはりキツイだろう。

逆に、コンプレックスをバネに、エネルギーにできる人(=ポジティブに捉えられる人)というのは、バランスのいい人である・・・という気がする。
(コンプレックスを持ってない人間などいないだろう)

おっと発達障害について語ると長くなるので。とりあえずこのへんで。

児童養護施設に話をもどす。

もちろん施設には、発達障害ではなく、普通の子どもたちも大勢いる。

「普通の子どもたち」が施設でどのように暮らし、どのように巣立っていったか、という本も読むので、こちらを静也と理沙の物語の参考にすることになる。

ただ、発達障害の子は親の保護もなく、18歳で施設を追い出された後、どうするんだろうと思ってしまった。自立は難しい気がする。
何だかうすら寒いものを感じる。

けれど、どうしても育児が辛くて、虐待したり、まして心中を考えるよりは、児童養護施設に預けたほうがいいとは思っている。
「育児が辛ければ児童養護施設に」というのは語弊があるが、ハードルは低い方がいいとは思う。

下重暁子氏の「家族という病」ではないけれど、「結婚=子どもをもつ=幸せ」とは限らず、幸せになるのも、努力はもちろんだが、運も大きいとつくづく感じる。
運が悪ければ、地獄のような苦しみや不幸になることもあり得るので、結婚するなら・・・やはり「結婚しないと不幸になりそうだから」「周りが結婚しているから」「世間体」「親を安心させるため」という理由ではなく、「好きな人がいて一緒になりたいから」「どうしても家族がほしいから、子が障害者でもかまわない」という理由でするのが一番だなと思う。

女性であれば「自分の子どもをもちたい」というのと同等に「相手となる男性の性質を引き継いだ子どもを産みたい=それだけその男性が大好き」と思えるかどうか。
さすれば、たとえ障害を抱えた子が産まれても、耐えられるのでは、と。
(男性の方も、ね。中には子どもが障害だということで、家庭から逃げる人もけっこういるらしいから。けど本当に好きな人と結婚したのであれば、責任感も生まれ、なんとか助け合っていこうとするだろう。ならば、たとえ発達障害児が生まれても、なんとかなるのかもしれない)

普通の子どもが生まれても、育児は相当に大変である。

世間は「恋愛(=結婚)しない人が増えた」と嘆くが、いやいや、結婚は本当に好きな人ができて一緒になりたいと思った人(=その好きになった人との間にどんな子どもが生まれようが、責任もって最後まで面倒見る覚悟がある人)がするべきだと・・・と、この「児童養護施設に、親からの虐待(育児放棄も含める)によって入所してくる発達障害児」のことを知り、つくづく考えさせられたのだった。


「発達障害」関連相談↓・・・内容を読むと、現実の厳しさをヒシヒシと感じる。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10115568495;_ylt=A3xTwse525BVSlAAKXsbGvR7?pos=1&ccode=ofv(発達障害児の育児に疲れた)
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1454751744;_ylt=A3xTwsJc3JBVXwwAqReW.vN7?pos=2&ccode=ofv(夫が、発達障害だと知り、子に遺伝する確率が高いので離婚したい)
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1082143505;_ylt=A7dP5XOS3ZBVzlcAzwoY.vN7?pos=1&ccode=ofv(夫が自閉症きみ、娘が発達障害。もうひとり子どもを作るかどうか迷う。また発達障害だったら心配。障害のある娘を残すのも心配)※これについては・・・障害のある兄弟姉妹の面倒をみさせるために、新たに子どもを作る事に疑問を感じるが・・・

・・・・・・・・
余談その1 

子どもの障害、遺伝について。(科学誌ネイチャーに載ったという「アイスランドの研究チーム」による)

卵子の老化など女性は早く出産したほうがいいと言われ始めているが、男性の方も・・・比較的高齢の父親は、若い父親と比べると、新規の遺伝子変異を子どもにより多く伝えるとのことで、このため、自閉症、統合失調症、その他の病気の発症リスクが高まるという。


「最近になって自閉症が増えているとされる背景には、 父親の高齢化傾向が関係しているかもしれない」と指摘。
アイスランドに住む両親と子ども1人からなる家族78組のゲノムを詳しく分析。
子どもが持つ塩基配列の変異が両親のどちらから伝わったかを調べると、 父親からが母親からに比べ4倍多かった。父親が子どもをつくる年齢が上がると伝わる変異が増加。
36歳の父親は20歳の父親に比べ2倍、70歳の父親は8倍も多い変異を子に伝える計算という。
・・・http://blog.livedoor.jp/scien_/archives/15096494.html http://blogs.yahoo.co.jp/us23news/65516990.htmlより


ということで、家庭(子ども)を持ちたいのであれば、男女とも若い時の方が、リスクが少なくて済むのかもしれない。
昔は、女性のみ若さが求められたけど、男性も、ということに。

・・・・・・・・・・
余談その2。
世代による結婚観。

世代によって考え方違うよなあ。
上のほうの世代(60以上)は、男は仕事、家庭を顧みなくてもいい、それどころか「亭主元気で留守がいい」ということで、給料を全額渡してくれれば御の字。性格が合わないとか、何をわがまま言っている? 結婚は人生の修行、と捉えている感じ。

ま、ダンナさんが3万~5万くらいの小遣い制の場合、ダンナは浮気したくても、そうできないだろう。浮気相手とデートは割り勘っていうのは、まあ、少ないないだろう。
3万から5万程度のお金では、浮気もそう続かない。ほぼ不可能・・・ま、相手の女性が「デート代持ちます』って言うのでないかぎり。

仕事バリバリ、めちゃくちゃ稼ぎ、自身が自由に使えるお金がけっこうある場合に、浮気(不倫)は可能だろう。
家に入れてくれるお金が多ければ、多少の浮気は許すという女性も、上の世代になれば、けっこう多いかもしれない。
けど、浮気相手の女性が乗り込んで来たりというようなゴタゴタは勘弁だろう。

下の世代ほど男性も女性も家庭的な人が結婚し、家庭的であることを志向しない人は結婚にも消極的。けど、それが正しい姿かもしれない、とふと思った。
家庭生活に向かない者まで、ほとんどの人が結婚し、子どもを持つ社会よりも、たとえ少子化が進んでも結婚に向く人が結婚し、子どもを育てるほうが、歪みが少ない社会になる気がする。
児童養護施設に発達障害児(親から見放された、虐待を受けた)が意外と多いということで・・・そんなことを考えてしまった。

・・・・・・・・・・・・
余談その3
いじめについて。
漫画家の西原理恵子氏のメッセージが話題になった。
http://withnews.jp/article/f0150613001qq000000000000000G0010601qq000012048A

以下転載。
・・・・・・・・・・
《いじめられている君へ》上手にうそをついて

 うそをついてください。

 まず仮病(けびょう)を使おう。そして学校に行かない勇気を持とう。親に「頭が痛い」とでも言って欠席すればいい。うそは、あなたを守る大事な魔法(まほう)。人を傷つけたり盗んだりするのでなければ、うそって大事よ。これからも、上手(じょうず)にうそついて生きていけばいいんだよ。

 亡くなった夫は、戦場(せんじょう)カメラマンでした。戦場で銃(じゅう)を突きつけられたことが何度もあったけど、一番怖(こわ)かったのは、少年兵だって。

 大人は残酷(ざんこく)な兵士にもなるけど、家に帰ったらやさしいお父さんにもなる。愛することや大事なものを知ってるから。でも、少年兵は物事の重大さが分からず、簡単(かんたん)に人を殺しちゃうんだって。生前(せいぜん)にそう言っていました。子どもってそういう生き物。「子どもなのになぜ?」って思うかもしれないけど、戦場の理屈(りくつ)だと、そうなんだって。

 いくら紛争地帯(ふんそうちたい)でも、年間3万人も死ぬことはそんなにありません。でも、日本ではそれくらいの人々が自殺しています。そう、この国は形を変えた戦場なんです。戦場では子どもも人を殺します。しかも、時には大人より残酷になる。

 学校は、いじめられてつらい思いをしてまで行くようなところじゃない。長い夏休みだと思って、欠席してください。そして、16歳まで生き延びてください。

 高校生になれば、通信制(つうしんせい)高校やフリースクール、いわゆる大検(だいけん)など選択肢(せんたくし)が広がります。何よりもアルバイトができる。お金をもらいながら、社会人にふさわしい訓練(くんれん)を受けられます。お金を稼(かせ)ぐということは自由を手に入れるということ。その先に「ああ、生きててよかった」と思える社会が必ず待っています。(さいばら・りえこ=漫画家)

・・・・・・・・・
転載終わり。

発達障害児は親に「上手いウソ」なんてつけないだろうな。

概ね、西原さんに賛成だけど・・・16歳になれば「選択肢が広がる」というのは、ちょっと厳しいかも。つまり、学校を休むということは、中学の授業を受けられないということで、、自力で勉強できる子が、どれくらいいるだろうか?

しかも、親にウソをつくということは、親の助けを借りない、ということになる。
親の助けもなく、自力で中学の勉強をし、学力を身に着けるのは厳しいだろう。

やはり、親の助けは必要だ。
つまり、親に向けてメッセージを発するべきだとも思う。

16歳になり、アルバイト生活・・・でも、その先は? 中卒でどういった仕事につけるだろうか? 通信制で高卒の資格を得ても、就職できるだろうか? 並々ならぬ努力が必要だ、ということもメッセージするべきでは、とも思った。

なによりも、なぜ被害者が学校を休むハメにならないといけないのだろう。割りを食わないといけないのだろう、とも思う。

加害者を隔離するほうが先では、と思ったものの・・・

ただ、児童養護施設問題では・・・施設の子どもが、学校でいろいろと問題を起こし、普通の生徒たちが被害に遭い、学校側が「登校させないでくれ」と言ってくるケースを「是」とするのか・・・この場合、施設の子どもは加害者である。隔離する方がいいのか、だ。でも、教師も施設の子だけに関わっているわけにはいかず、とりあえず隔離は仕方ないのかも。普通の生徒たちも安心して学校生活を送る権利がある。だから、学校側では「施設の子は1学年3人まで。それ以上は面倒見きれない」となるのだろう。施設の子が全員、問題を起こすわけではないのだけど。

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