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理不尽な仕打ちを避けるためには・・・(漫画の話) [創作について]

http://ddnavi.com/news/234871/

↑によると、漫画家の数、1995年3000人が、2010年は6000人に倍増。
でも、漫画家の定義って何だろう? デビューできたら漫画家なのかな? ちょっとでも原稿料をもらったら漫画家? あるいはそれで生活している人が漫画家?

まあ、これ作家、物書きにも言えるけど・・・
プロという言葉を聞くと、やはり「それで生活している人」というイメージ。

そういえば、昔、ある人から「自称漫画家」と言われたっけ(汗)
漫画を描いたことあるとは言ったが、漫画家を名乗ったことはなかった。恐れ多くて。

いや、ほんとうは私ごとき『何もできない人』と名乗るのが一番気楽だ^^;
が、それやっちゃうと、だれも興味持ってくれない^^;

このブログでも、ピティナで「ショパン物語」描いていたので、宣伝のために、プロフィールに商業誌で漫画を描いていた頃の過去作品は並べたりはしていたことはある。

こういった宣伝行為も人様から見れば相当にうざいことは重々承知しつつ・・・
中には「宣伝するに値するようなもの、書いているのかよ?」と思っている人もいるだろうな、と。
けど自分が作った作品は自分くらいしか愛せないからなあ。親バカということで許してほしい。

んで、宣伝しないことには誰も読まない。宣伝しても読まない人の方がほとんどだ。興味を持ってくれる人はほんのわずか。それを期待して宣伝行為に励んでいるのだ。

「恥ずかしい、カッコ悪い、落ちた人」と思われそうだが、こういった創作活動やるのには、きっと「ずうずうしさ」も必要なのだろう。
創作系でがんばっている人は、皆、やっていることだ。

なので、このような批判も今では嬉しい↓
http://o.sentaku.org/anime/1000012561/vc/%e6%9e%97%e5%80%ab%e6%81%b5%e5%ad%90(%e9%9f%b3%e5%90%89%e3%81%8f%e3%82%93%e3%81%ae%e3%83%94%e3%82%a2%e3%83%8e%e7%89%a9%e8%aa%9e)

あの頃よりは多少、画はマシになったと思っている。まあ、前があまりに酷かったからな~。
otokiti31.jpg

そして今度は文章力アップを自分なりに目指す^^;

ブログも、「てをはに」間違えていること、けっこう多い。確認して投稿しているつもりでも、やはりミスがあちらこちらにある。見つけるたびに直してはいるのだけど。
こうもたくさん間違えるとは・・・ま、がんばるしかない。

さて、今回は漫画について語る。

やっぱ気になったのは、以前にも話題にしたが「境界のないセカイ」打ち切り問題だ。

まず作者の方の、この経緯について書かれたブログ記事を紹介。
http://ikuya.sblo.jp/article/115089330.html

人気があったにも関わらず、講談社側から「クレームがくるかもしれないから」という理由で、そのまま打ち切りとは・・・

それを理由に打ち切るとなると、担当編集者は編集者としての仕事をまるでしていなかったと言えてしまう。

作品に何か「クレームが来そうな問題表現がある」のであれば、編集者はOK出さず、作品が表に出る前に直させる。それが編集の仕事だ。
この作者の方のブログ記事が事実であれば、天下の講談社はそれをしなかった・・・ということになる。

編集者はあれだけ高い給与をもらいながら、基本的な仕事さえしなかったと・・・思われても仕方ない。
なのに、その責任は漫画家がかぶる。理不尽だ・・・

表現にOKを出し、表にしたのであれば、「クレームがくるかもしれないから」という理由で打ち切るのはどうかと思う。

けど天下の講談社だからなあ。「漫画家なんていくらでもいる」という思いが、そうさせるのだろうか。
上で紹介した漫画家の数、15年で倍増だもんな。

志望者を含めれば、さらにその何倍もいるだろう。

漫画家がこれであれば、作家(物書き)も、だろうなあ。
志望者は漫画家よりも多いだろう。

それでどういうことが起きるかと言うと、やっぱ「理不尽なことをされてしまう漫画家や作家」も増えているのではないだろうか、と。
出版社にとって、作家は掃いて捨てるほどいる。どんなに粗末に扱ってもかまわない。よほどの売れっ子以外は。・・・となる?

けどネットのおかげで、作家側が声を上げることができ、どういったことをされたのか、表に訴えることができ、こうやって皆が知ることができる。それが抑止力になればいいけれど。

ま、それでも大手の力はすごいし、大手出版社で仕事ができるというのは作家にとっても大きいだろうから、こういったことがまかり通ってしまうのかもしれないな、と。作家は表では「先生」と呼ばれているけど、よほどの売れっ子でない限り、かなり下に見られているような気がする。

でなければ「境界のないセカイ」のような仕打ちはしないだろう。

そのうえ、漫画にしろ小説にしろ、今はもうプロの作家の作品もネットで無料で読める時代になり・・・「作品を作って、それで食っていく」というのはかなり大変そう。
趣味で公開していても、誰も読んでくれない、というのはあるかもしれないけど、いろいろ考えさせられた記事であった。

物書きの場合、兼業の人もわりといる。もちろん、物書きだけで食えないからなんだろうけれど・・・
もうひとつ仕事をもつということは、編集から理不尽なことをされても生活に困らない、強く出られるカードとなるのかもしれない。
全ての時間を創作に充てたいだろうけど、あまりにリスクが高いので、兼業でがんばっている人も多いのかもしれない。

となると、水嶋ヒロさんも、兼業で頑張ればよかったのに、と思ってしまった^^
イケメン俳優というだけで、それはもう売りになるのだし。

http://www.cyzowoman.com/2015/04/post_15632.html
『第5回ポプラ社小説大賞を受賞し次作が期待されたものの、いまだ発表はありません』とのこと。
デビューできても、次が書けるとは限らないのだな。

厳しい世界だなあ。

自分では面白いと思っても、他者はそうは思わない場合、多いだろうし・・・

たぶん自分がやろうとしていることに価値はないかもしれないけど、創作活動という漫画に近いところに、もうしばらく居させてもらおう^^;
その間、このブログも続くと思う、たぶん。

・・・・・・・
余談。

【自分が納得する『芸術』と人を楽しませる『芸能』】

あるところで見かけた言葉。なるほどと思ってしまった。

となると・・・『人を楽しませる』方が難しいと私は思う。だから芸術>芸能じゃないんだよな。

とりあえず「自分が納得すること」を目指して、物語「プライオリティ」を作っていこうと思った^^
多くの人を楽しませることはできずとも、自分を楽しませることと納得させることはできそうだから^^;

けど、「自分が納得」って自己満足だよなあ。「芸術」ってそういうもの? いや、芸術は「人を納得させて何ぼ」じゃないのかな、とも思う。結局「人=第三者」の存在があってこそ、人を楽しませるのも、人を納得させることも、どっちも難しいけど、できたら「面白い」ものなのかもしれない。

小説では、「芸術」が文学にあたるのかな。
だから文学>大衆小説みたいな印象があるけど、そういう境界線も今はあやふやになってきているのかもしれない。

そして、人を楽しませるのは難しい。文学>大衆小説とは限らないのだ。

んで、ライトノベルを「漫画的な小説」と定義づけるのであれば、一般の文芸小説とライトノベルの境界線もあやふやになり、より自由な物語がたくさん生まれるような気がする。

けど、ライトノベルをいろいろ見ていると、なんだかあらゆる要素(設定、ジャンル、キャラなどなど)で自由がなさそう・・・んで、一般の人からは「小説>ライトノベル」「ライトノベルはみんな似たり寄ったり、同じようなお話、内容、キャラクター」と思われ、「ライトノベル読むくらいなら漫画を読む」という人も多そうだ。

本当は、上下はなく、芸術=芸能、文学=大衆小説=ライトノベル・・・というか、その境界線もあやふやなのかもしれない。

自分の場合、漫画的な小説を目指している。
でも、面白いか、面白くないか、んで、それは自分には分からない。

ちなみに、このブログ、以前の政治や社会問題、左派への突っ込み、中韓問題を扱っていた頃に較べ、アクセス数が落ちている^^;
こういった話はつまらないのかもしれないな・・・

しかし、自分の作品宣伝のためにブログをやっていると、漫画や小説、創作活動、創作について、語ることが多くなってしまうのだ。

不特定多数の興味をひくことの難しさよ・・・
なので「自分納得=自己満足」を目指すくらいしかできそうにない^^;


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