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「今を生きよう」というホリエモンの生き方について [人生・生き方・生活・人間関係]

前回の続きと言えば続き。

イソップ童話の「アリとキリギリス」について。
日本で出回っている話は、遊び暮らして何の貯えもしていないキリギリスを、遊びもせずコツコツ働いて貯えをしていたアリが、助けてやって、めでたしめでたし・・・だけど。

原作は、アリは助けず、キリギリスは死んでしまう。

アリを冷酷と捉えるか、それとも「仕方ないよね」と捉えるか。

この物語が訴えたいことは何だったのか・・・

「将来に備えないと、キリギリスのようなことになるよ」
「アリのように世間は助けてくれない。冷たいよ」
「どんな生き方をしてもいい。けど自己責任で」

いろいろ考えられる。

まあ「自己責任」が一番スッキリする解釈かもしれない。キリギリス的生き方だって認められていい。けど、アリに助けてもらうことが前提となると、それは違う。アリに助けてもらうことが前提の自由は、やはり不公平だ。

そう言えば、アメリカのある州では、金持ち(高所得者、資産持ち)が集まり、自分たちで自分たちが納めた税金の使い方を決め、低所得者を排除する街がある。

が、高所得者の言い分も分かる。
「自分たちは、低所得者を養うために存在しているのではない。自分たちに還元がなく、ただただ自分の稼ぎをごっそり取られるだけ、これは不公平だ」と。

人間、聖人にはなれない。

共産主義が壊れたのは、あまりに「理想」を求めたからかもしれない。

日本の国民年金制度だって、生活保護制度に較べたら、あまりに不公平だ。
資産がない人は、年金など納めず、老後は生活保護に頼った方がずっといい。
資産がある場合、年金を納めず、資産を食いつぶし、生活保護に頼ればいい。

そういえば、生活保護を担当する職員がぼやいている日記を見た。

生活保護受給者は、そのまんまの額をもらえる。天引きがない。
そして、いろんな手当てがつき、医療費も無料、ほかNHK受信料、水道料金基本料も。
病院へ通うタクシー代も出る。

生活保護受給者に子どもがいる場合、完全にその職員の給料を上回る。
職員の給料は、税金や保険の天引きがあり、その差に愕然とするらしい。おまけに職員は普通に医療費を払うし、NHK受信料も水道料金も払う。

弱者っていいなあ(弱者の権利を獲得できた既得権益者って得だなあ)と思ってしまい、不平が出てしまう。

それが人間・・・かもしれない。

弱者を救うため、どれくらいのお金をかけるか、弱者ではない人からどれくらい負担させるのか。

おそらく、ほんとうのお金持ち(資産家)は、ありとあらゆる手段を使い、さほど税金を納めないですむようにしているかもしれない。税率の低い海外に逃げることもできる。

結局、ターゲットになるのは、中間層、普通の庶民だ。
コツコツ働くアリさんである。

イソップのアリは富豪ではない。
コツコツ働き、やっと生活している普通の庶民だ。

分け与えることのむずかしさ。
余裕があるわけでもない中、恵まれない他者に分け与えることが人はできる立派だ。
ただ、言えるのは、「それを強要することはできない。分け与えない者を非難し、悪人に仕立てるのはいけない」と。
(ま、国家・社会という枠組みの中で、税として徴収され、恵まれない人へ分配されるということで、全く分け与えない『イソップ原作のアリ的な生き方』をしている人はいない)


さてさて、これでは前回と同じことを話しているだけではないか・・・ということで、今回はちょっと視点を変えてみる^^

そう、アリ的生き方、つまり将来を安心して暮らすために、今はせっせと働く生き方が本当にいいのか? いや、その「コツコツ働くこと」が楽しく、充実しているのであればいいのだけど、もし「ガマンしてやっている」「仕方なくやっている」のだとしたら・・・将来のために今をガマンしている、今を犠牲にしているのだとしたら・・・

そんなの馬鹿げた生き方である、今を生きよう、将来のためにどんなに備えたところで、将来はどうなるか分からない、そんな不確かな将来のために今を犠牲にするなんてやめようよ、過去を振り返るのも時間の無駄だが、将来を不安がるのも時間の無駄、貯金より自分に投資、今を充実させよう、今を楽しく生きよう。

・・・というようなことが、ホリエモン(堀江貴文氏)の「ゼロ」に書かれてあった。
ほかのホリエモンのインタビュー記事の中でも、よく見かけるホリエモンの意見だ。

そんなわけで、今を楽しく、今を生きるということでは、キリギリス的生き方のほうが「ホリエモン的生き方」に近いかも。

ただしホリエモンは「自由に働きたい人」「自分の仕事がしたい人」である。
なので、ここでは「キリギリス的」は「遊んで暮らすというより、自分の思うがままに自由に生きる」という意味で使う。

もしもアリが「自分の思うがままに、好きなように仕事をし、稼いでいた」としたら、キリギリスを助けたかもしれない。
助ける、という行為は、余裕がないとできない。物質的(経済的)」にも精神的にも。

イソップのアリはあくまで「我慢して働いていた」「本当はしたくないけど、老後(冬)を安心して過ごしたいので、今(夏)を犠牲にし、仕方なく労働をした」のだろう。そうしてやっと貯めたものを、自由に自分の思うがままに生きた者に分け与える、ということはなかなかできない。

一方、キリギリスは将来のために備えることなく、死んでしまうけど、夏は自分の思うがままに生きたのだ。
アリ的生き方をしても、100パーセント安全安心というわけではない。将来のためにと貯めたものがなくなることもあるのだ。結局、キリギリスと同じ運命をたどることになるかもしれない。


まあ、全く将来を考えない生き方はできないが、将来のために今を犠牲にする、我慢する生き方はあまりしないようにしたい、と「ゼロ」を読んで思った。

そういえば、学校の勉強も大好きならばいいが、もし辛くて我慢して無理してやっているのだとしたら・・・今を犠牲にしているということになる。
学校の勉強は、将来、いい大学に入るため、であり、それは将来、いい会社(安定した職、高給職)に入るためであり、将来、(経済的に)豊かな老後を過ごすためだったとしたら・・・
いや、たしかに将来、経済的に豊かな老後を過ごせるか分からないよなあ。その前に死んでしまうかもしれないし。年金も社会保障もどうなるか分からないし。そもそもいい会社に入っても、その会社はつぶれるかもしれない。

今やりたいことを、めいっぱいやる。もち生活が成り立たないほど、はまってしまうのは問題だけど、かろうじて生活が成り立つのであれば、自分の思うがままに生きたほうがいいかもしれない。

と「イソップ童話」から、ひょっとして「キリギリスのほうが幸せかも」と思ってしまった。

ならば、我慢して生きてきた苦労したアリに、思う存分楽しく幸せに生きたキリギリスを救う道理などないよあ、とも。


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