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善を強制してはいけない [人生・生き方・生活・人間関係]

イソップ童話の「アリとキリギリス」について書かれた古賀史健氏の『ノート』を読んで、違和感もった。
餓死してしまうキリギリスよりも、冷酷に捉えられてしまうアリに同情してしまった。

まずは、古賀史健氏の『ノート』より転載。

・・・・・・・・・・

春から夏のあたたかい季節、バイオリンを弾きながら歌をうたって遊んで暮らすキリギリス。計画性のかけらもないまま放蕩のかぎりをつくす、駄目な若者の象徴です。

一方のアリたちは、冬にそなえてせっせと食べものやら資材を集め、備蓄に励みます。まじめで堅実な働き者、といったところでしょう。

「いやいや精が出るねえ。こんなに気持ちのいい青空なんだ。きみたちも少しは歌ったらどうだい?」。キリギリスはからからと笑います。

そして寒い冬がやってきたとき。煌々としたあかりのともる自宅で暖炉を囲み、一家団らんするアリの前に、一匹のキリギリスが現れます。あんなにおしゃれだった服もぼろぼろになり、見違えるほどに痩せ細ったキリギリス。

冬になって食べものがとれなくなった彼は、アリに懇願するわけです。「おなかがすいて死にそうだ。なんでもいいから、食べものをわけてくれないか?」。

アリの返事は、こうでした。
「夏は歌っていたんだから、冬は踊ってみたらどうだい?」

自分の冗談にへへっと笑い、ドアを閉めるアリ。寒空のなか凍死するキリギリス。THE END。


犬にも劣るアリ畜生、とはこのことでしょう。
この童話からぼくが学んだ教訓といえば「計画性は大事だよね」でも「やっぱりコツコツ働かなきゃね」でもなく、ただただ「真面目であることと善人であることは、まったく別の資質だ」のひと言につきるような気がします。

いや、これって笑い話としてクローズするものでもなくって、真面目なひとって、いつのまにか自分に「善」をくっつけるじゃないですか。
あるいはまわりも、真面目なひとを見たら無意識のうちに「善」とセットで考えてしまう。

コツコツと真面目であることは、立派なことではあるけれど、決して「善」とは限らない。きょうみたいに肌寒い日になると思い出す、イソップの教えです。


・・・・・・・・・・
転載終わり。

これを読んだハヤシの個人的感想

まず古賀氏は「真面目=善とは限らない」ということを言いたかったのだろう。それには同意。

ただ・・・アリは「犬にも劣る畜生」なのか?
もちろん「善」でもないが。

キリギリスを助けないアリを犬畜生呼ばわりすることについて、違和感もった。
と言う私も「相当嫌なヤツ」「冷たいヤツ」だが。

基本的に、アリに、キリギリスを助ける義理はない。
だって、遊ばずに真面目にコツコツ働いてきたその対価を、働きもせず遊んできたキリギリスに分けろ、というのは、アリにとってみれば「何で自分が?」でだろう。ごく普通の反応だ。

アリは、冬も安心して暮らせるように、遊びもせず、コツコツと細く長く、そういう生き方をしたまで。安定を選んだだけのこと。
キリギリスは、自分の思うように、人生?を謳歌し、太く短く生きたまで。安定よりも自由気ままを選んだだけのこと。

それぞれ違う生き方をしただけ。

アリの働いてきた分け前を、働かなかったキリギリスに分けろ、というのは、アリにとっては不公平なことだろう、と。
(キリギリスが体が悪くて働けなかった、弱者、というわけではないのだ。)

そう、アリは夏の間も遊ぶことなく、コツコツと働かなくてはならない=あまり余裕がない暮らし、だったのだ。
余裕のない働き者が、やっと貯めたものを、関係のない他者に分け与えることなど、なかなかできない。

アリだって、遊びながら余裕で貯めたものであれば、分け与えたかもしれない。

アリとキリギリスは、価値観が違う、違う種族、と考えていい。
アリが助けたところで、キリギリスが『アリを見習って、冬を越すために働こう』と反省することはない気がする。夏になれば、また遊び暮らし、冬になったら「アリに助けてもらえばいいや」ということになる。

キリギリスに自由があったように、アリにも自由がある。助けない自由もあるのだ。
自由と責任はセットということで、アリは、キリギリスに「自己責任を求めた」だけのこと。

『自己責任』という言葉、ある人たちは「冷たい」と言い、助けるのが当たり前だ、というけれど。
一方的に『善人であること』を押し付けるのも、なんだかなあ。

もちろん、キリギリスの生き方も否定しているわけではなく、それぞれの生き方を認めればいいということだ。ただし認める=助ける、ではない。

助けることを強要すれば、真面目に生きる人がバカを見る=損をする、になってしまい、真面目なアリへの差別にもつながる。

助ける助けないはアリの自由。それを非難する権利は誰にもない。

ま、真面目を善と捉えがちな世の中に対して、「真面目=善じゃないよ」ということを、古賀史健氏は言いたかったのだろうけれど、「アリ=冷たい=犬畜生=悪」という図式が見えてしまったので、ちょっと違和感もったということで。

それに、「真面目=善」どころか「真面目=つまらない」と捉え、見下していた時代もあったのだ。(少なくとも私はそう感じていた)

バブル時代、こういう考え、価値観を持つ人は多かった気がする。「真面目」であることをバカにする風潮があった。「真面目=つまらないヤツ」ということで、「真面目」と言う言葉はマイナスイメージに捉われていた。

バブル時代はキリギリスがもてはやされ、アリは見下されていた。

真面目と言われることは、褒め言葉ではなく、巧妙な「けなし言葉」だったのだ。
真面目と言われたくなかった人、劣等感持っていた人、けっこう多かったのでは、と推察する。(少なくとも私は「真面目」と言われたくなかった)

ま、真面目な人もそうでない人も、自分がコツコツとやっと貯めてきた分け前を、助ける義理もない遊び人にやりたくないと思うのが、普通の人間。

「いや、私は助ける、それが人間だ」と言う心優しい人もいるかもしれないが、他者にそれを押し付けた時点で(=善をおこなわない他者を批判した時点で)、それは「優しい人」ではなく「正義をふりまわす傲慢な人」になってしまうかも。

「善であることを押し付ける左派」にも不信感を持っている私としては、こういった「善を押し付け、それを拒否すると悪に仕立て上げること」にどうしても違和感を持ってしまう。
そう今まで、左派がやってきたことが、まさに「善であることを押し付け、拒否すると悪に仕立てること」だったから。

そういった善なる人に、悪に仕立て上げられる「遊ぶことなく働きづめ=余裕のない真面目なアリ」が、ちょっとかわいそうになったのだ。
でも、そう疑問を持つ私もきっと「犬にも劣る畜生」「冷血人間」「悪」なのかもしれないが。

と、毒を吐いてしまうのも、私もバブル時代、下に見られていた『真面目な人』だったからだろう^^;

・・・・・・・

さて、なぜこのような古賀氏の記事を見つけたか、というと「コルク」の佐渡島庸平氏のツイートにのっていたから、なのだけど、もうひとつ・・・ホリエモン(堀江貴文)の著書「ゼロ」に、構成としてこの古賀史健氏の名前がのっていて、興味持ったからチェックしてみた、という次第。
ちなみに、佐渡島さんも協力として、「ゼロ」に名前がのっている。

で、「ゼロ」については・・・おもしろく読み、頷かされるところ、刺激を受けたところが多々あり、ホリエモンの意外な一面を見た気がした。が、あまりにも今までのホリエモンのイメージと違い・・・ひょっとして、ゴーストライターが書いたのかな? とも思ってしまった。で、古賀氏はライターでもあるので、古賀氏が関わったかも、と邪推してしまったのだ^^;


↓その「ゼロ」を読んで、なるほどと思ったところ。
貯金がないと不安だと思う人は、自信のない人】
【自信がないから将来が不安になり、貯金で穴埋めしようとする】

私も貯金派だ^^;
で、投資をする才覚もないし、億劫だから、リスクが一番低そうな貯金にしておく。
ホリエモンが言うように、貯金は、何も考えないで済む。お金を銀行に預けておくだけでいいのだから、ラクだ。

そして、ホリエモンの言う【貯金するより、自分に投資しよう】・・・たしかにそのほうが、人生が充実し、楽しくワクワク暮らせるだろう。

けど、私の場合、自分をあまり信じていないので、自分に投資しようなどと思わない^^;
自分に投資しても、リターンが得られないと思うので、貯金する。

貯金はリターンは少ないが、目減りすることは、日本がつぶれない限りない。ま、円の価値が下がり、国際的に目減りすることはあるだろうけれど、私が生きている間は、何とか円の価値を保ってほしい、という他力本願で行っている^^;

いやいや、自分に投資して何も得られない可能性と、日本の円が暴落し価値がなくなる可能性、どっちが高いかと言えば、自分に投資してリターンが得られない可能性の方が圧倒的に高いだろう。

ま、それだけ自信がない=自分を信用していない、ということになるのだけど、こればかりは「心根の問題」なので仕方ない。私は基本、「生きていてごめんなさい」的な自分が認められないマイナス思考の人間なのだ。

生きていてゴメン、と思うものの、自殺することもできず、中途半端な人間。けど、割とそういう人、多いのでは、と思う。

とは言っても、死ぬのを待つだけでは退屈なので、自分に投資ではなく、自分が楽しく過ごせることには多少のお金をかける。
たとえば、このネットをするのに必要な費用、イラストを描くのに必要な費用(でも紙と色鉛筆とペン、消しゴムさえあればいいので、大した費用ではない)、それくらいかな。
インドア派なので、趣味にはほとんどお金はかからない。ま、他者から見たら、かなり「つまらない人間」だろうな^^;

上記に「真面目な人=つまらない人」と捉える人が多いと書いたが、「つまらない人=自信のない人」かもしれない

ああ、自信ないから、余裕がない、よって善人になれないのかも^^;

いや、善人を否定しているわけではなく、善人は偉いと思う。ただ、自分には真似できない、そういうことだ。

けど「ゼロ」はおもしろかった。おすすめ。私のような者でも元気を得られる。


私は善人ではないが、人様に迷惑をかけずに、ということは考える。

で、その上で、楽しく快適に生きられたら、と。せめて貯金し、それが実現できるよう、んで、できればラクに、ポックリと、この世とおさらばでいたらいいなと^^;(ただポックリは難しいのだろう。長患いすれば金がかかる…そのための貯金だ)


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