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生き方それぞれ [人生・生き方・生活・人間関係]

アクセス解析をすると「人生、生き方関連」のワード検索(自立、専業主婦、結婚、未婚など、そして「勝間和代さん関連記事」のほか、かなり昔の記事だというのに「西原理恵子さんの専業主婦批判についての関連記事」も閲覧数も多い)で、ここを訪れる人が比較的多いようなので、朝日新聞に載っていた記事をネタに、改めて考えてみた。

ただし、いろいろなテーマ・・・「人間関係」「コミュニケーション」「自立」「依存」「未婚」「専業主婦」をキーワードに考えを綴ってみたので、ちょいと、まとまりは悪くなったかもしれない。
最後は、西原理恵子さんや勝間和代さんの発言に対し、「千住文子さんの生き様」をぶつけてみたくなったので、それについて触れてみた。

いつにも増して、長文です。かなり長文です。
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さてさて・・・「人間関係」って、人生がうまくまわるか、楽しめるか、の鍵ともなり・・・
うまくいかないと落ち込み、自信を喪失したり、また面倒くさく、ストレスのもと、トラブルのもと、となり、いろいろ思い悩んだり、煩わしいことがあるけれど、かといって人間関係をおざなりにしていると、当然、相手からもおざなりにされ、段々相手にされなくなっていくので、たまに酷い孤独感に陥ってしまうこともあるかもしれない。

朝日新聞にて、上野千鶴子さんが「仕事と家族以外の人間関係をおざなりにしてしまう男性は多く、そのつけを老後、支払うことになる」というようなことを発言されていたのを見て・・・
(いや、それどころか、仕事関係だけを大切にしてしまい、家族関係もおざなりにしてしまう男性も意外と多いかもしれない)

いえ、男性だけとは限らず、どんな人も・・・ついつい面倒で、おざなりにしてしまうこと、あると思う。

そんな人間関係の中で、やっぱり仕事での人間関係は結びやすいように思う。
仕事上で結ばれる人間関係って、大変なところもあるけれど、見方を変えると、比較的「結ばれやすい人間関係」でもあるな、と。

「仕事上」ともなれば、誰もが「優先」してくれる。つまり、相手をしてくれる。話題探しにも困らない。
もちろん、あまりに「その仕事の能力」がなければ、その仕事から外され、誰にも相手にしてもらえなくなるだろうけれど。

これが「趣味でつながる関係」だとすると・・・その関係は、仕事や家族と違い、いつでも簡単に切れてしまえるものだから、おざなりにしていると簡単に切れてしまう。

仕事だけで精一杯、ほかにエネルギーまわす余裕もない、というのも確かで、ほかの人間関係をおざなりにする人(とくに男性が多いようだ)を責めるのは酷だとも思うが、仕事から離れたとき(定年退職後)に、何の人間関係を築いてこなかった場合、誰も相手をしてくれる人がいない、ということもありうるのかもしれない。

バランスをとるというのは、なかなか大変だけど、なんとかそういう努力をしておくことも考えておいたほうがいいかもしれない。

それに、これから、さらに単身世帯が多くなるらしいし・・・

・・・そう、朝日新聞では、生涯未婚の男性が、このままでは3割になり、また1990年生まれの女性の4人に1人(25パーセント)は結婚しない、という可能性が出てくるとの記事もあった。

世間では「寂しい孤独な老後を送る人が増える」と言うが、上野千鶴子さんはこうも発言されていた。「家族がいるからといって、老後も面倒を見てもらえるとは限らず、そういったリスク(寂しい孤独な老後)を減らせるとは限らない」と。

つまり、家族がいるからと安心しきり、そういったリスクも考えず、リスクを回避する努力もせず、気がついたら、孤独な老後を過ごすことになるかもしれない・・・結婚しようがしまいが、子どもを持とうが持つまいが、孤独になるかならないかは関係なく、その人次第であり・・・そういうことを踏まえたうえで、いろんな人間関係を築いておこう、ということなのだろう。

ただ「孤独との付き合い方」も大切かもしれない。

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同じ朝日新聞で書かれていたことで、近い将来、このままでは「男性の3割が生涯未婚者となる」ことについて。

私は「3割に達すれば、普通のこととして認められることになるので、良いことなのでは」と思った。
3割以下だと少数派ということで、やはり差別されたり、ヘンな目で見られたり、悪くすれば見下されることも多く、肩身の狭い思いをすることもあるだろうが、3割を超えれば、それは「普通のこと」として認められる気がする。

「1990年生まれの女性の25パーセントが生涯未婚になる」ということも同じく・・・「結婚しない生き方もごくごく普通のこと」「普通の生き方のうちのひとつ」として認められればいいと思う。
だって、「負け組、負け犬」という言葉もあり、結婚せず子どもを持たない人は「自分勝手、我慢が足りない、視野が狭い、人間的成長の機会がなく幼稚」などなど、人間的に劣っている、結婚して子どもを育ててこそ成長できる、と見られる風潮がまだまだあるようだからだ。(そして、そういう考えを助長するような発言をする著名人もいるようだ)

3割を超えれば、それらはなくなっていくと思う。3割超えた中には、「立派な人間性をもち、尊敬され、社会的に活躍し、貢献し、うらましがられる普通の人」も多くなり、世間の認知を得るだろうから。

そして、結婚していても子どもをもっていても、わがままで自分勝手で我慢が足りず、視野が狭く、幼稚な人も「同じ割合だけ」いるように思うのだが・・・
生涯未婚者が3割超えれば、「人間性に、結婚や子どもの有無はあまり関係ない」ということが分かるかもしれない。

もしも結婚し子どもを持つことで、人間として成長し、視野が広がり、忍耐力を得、優れた人間性を得られるのあれば、今、世間で取りざたされている「モンスターペアレント」は存在しないだろう。でも、世間にこれだけ話題になっているということは、視野が狭く自分勝手な「モンスターペアレント」が、わりと存在する、ということだ。
(「モンスターペアレント関連記事はこちら→http://kayashi.blog.so-net.ne.jp/2011-01-19

もちろん、結婚し子どもを持つことで人間的成長は得られることはあるだろうし、子どもを育てるというのは、ほんとうに大変だろう。
モンスターペアレントは「ごく一部」の親だろう。

ただ、それと同じように、「視野が狭く人間的成長のない自分勝手な独身者、子どもを持たない者」も「ごく一部」なのではないか、ということである。
そして、未婚で子どもを持たずとも、人間的成長とやらを得られることは他にいくらでもある、ということも言えるかもしれない。

ということで、多様性が認められる時代、生涯、独身でいることが普通のこととして認知されるのは当然のことであり、ある程度までは増えるのも当然かもしれない、とも思う。

そうすると、世間は少子化の問題を嘆くが・・・

結婚したカップルが持つ子どもの数が、圧倒的に「1~2人」が多い=つまり「1~2人が普通」というのも、考えてみれば、おかしな話かもしれない。
「3人以上もごくごく普通」となればいいのである。それには、社会的なシステムをいろいろ整えないとならないのだろう。
育てる側の、金銭的にも肉体的にも環境的にも「3人以上の子どもをもつことは大変」なのだろう。
その大変さを、社会ができるだけ肩代りするようになれば、「3人以上子どもを持つことも普通」となるのかもしれない。

皆が同じような生き方をする時代に戻せないのは確かだろうし、同じ生き方をしたほうがいいという空気になることのほうが恐ろしい気がする。

というわけで、単身者、独身者が多くなるということで、それを嘆くのではなく、またそういう人を批判したり、見下したり、マイナスに捉えるのではなく、そういう人も「普通の生き方なのだ」と認め、共存しようということで、どんな生き方をしても居心地良い社会を作っていくほうが良いのでは、と思った。

ま、とりあえず、自分と同じ生き方をしている人同士で、まず関係を作っていくのが簡単なのかもしれない。(いろんなところで共通の接点がもてるだろうから、共通の話題も見つけやすい)

それから、輪を広げ、違う生き方をしている人ともつながっていくと、おもしろいのかもしれない。

でも、やっぱ「余裕」=時間、経済、体力、気力・・・がないと、人間関係を広げる、作っていく、深める、というのは、なかなか難しいのかもしれない。
それにやっぱり最終的に「コミュニケーション能力」が問われてしまうだろう。

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コミュニケーションといえば、この前、NHKで40代夫婦のコミュニケーションについて、やっていたっけ。
子どものこと以外での、夫婦の会話がないとか。
まあ、それでも、うまく家庭がまわっていれば、別にいいとは思うけれど。

全くコミュニケーションがとれない、とる気がない、というか、疲れているので、そんなことにエネルギーをまわせないってことも、よくあるだろう。
面倒なことからはできるだけ逃げたい、仕事だけで精一杯、っていうのもあるかもしれない。
とくに男性は、仕事を優先していくと、そうなる可能性はでてくるのかも。

でも、やっぱり家庭運営していくのに、コミュニケーションが成立しないと困るだろうな、と思う。

コミュニケーションもあまりなく、空気のような存在であれば、まだしも・・・
いつも「お疲れオーラ満載」で、ギスギスして、イライラしていたりすると、しかも、それがお互いにだったりすると・・・これはかなりキツイだろうな、と思う。

逃げ場のない人間関係ってやつも厳しい。もちろん、家庭内別居や離婚という手段はあるけれど、そう簡単ではないだろう。

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ということで、生涯未婚の人が増えるのも、当然といえば当然なのかも。
最終的に離婚すれば逃げることは出来るが・・・やっぱり結婚は基本的に、その相手と「逃げ場のない人間関係」を築くことになる。

男女ともに、「一緒に生活する人を厳しい目で選んでいく」だろうから、合わないなと思った人と無理に結婚しようという人は少ないだろう。人生をちゃんと考えている人ほど、慎重になるだろう。一時の感情で突っ走れる人はそう多くはない気がする。

でも、それが「理想が高すぎ」ということではなく、自分がどれだけ相手に合わせられるか、譲ることができるか・・・自分の生活を大切にしている人ほど、今の自分の生活をどのくらい変えることが出来るかを考えてしまい、なかなか条件が合わないという場合があるだろう。

男性であれば、仕事に没頭したいため、結婚相手は専業主婦(または家庭に支障がでない程度のパート)を求めるか、あるいは仕事は程ほどにしたいので、一緒に稼いでくれる人を求めるか・・・その場合、男性も家庭生活に比重をおいて関わることになるから、子育て観、そして生活スタイル、金銭感覚、生活観も、あまりに相手と違うと困るだろう。家庭のことは妻に任せるというのではなければ、家庭生活にいろいろこだわりをもつ男性がいて当然だろう。料理や洗濯、掃除のやりかたも気になる人もいるだろう。

それは女性も同じである。
女性であれば、仕事を続けたいので転勤族は困る、とか、家庭に専念したいので専業主婦として生きたいので、ある程度の収入と安定を求める、とか・・・ま、いろいろあるだろう。
夫にも家事育児を分担してほしいが、その「やり方」が、自分と合わない、妥協点を見つけるのが難しい、ということもあるだろう。

で、お互い求められるのは最終的には「コミュニケーション能力」かもしれない。妥協点を見つけるにも、まずは「コミュニケーション」がうまくいかないと、見つからない。

コミュニケーションが成立しない相手(コミュニケーションが億劫、面倒と思う人、すぐに疲れてしまう人、イライラする人。逃げてひきこもってしまう人、当然、暴力は論外)と一緒に暮らすのはキツそうだ。
けど、疲れていると、話すのも面倒、早く休ませてくれ、となる。イライラもするだろう。

が、疲れてるのはお互い様だったりする。
仕事で物理的な時間がとれないってこともあるだろう。

というか、結婚以前に、おつきあいする時間がない。エネルギーがない。ほかに優先したいことがあるだろう。せっかくの休日を「おつきあい」に割けない。最優先してまでおつきあいしたい相手はいない、ということもあるだろう。

そこで、すでにコミュニケーションがとれない状態になるわけで、そんな相手と結婚などできるわけがない。

昔の「写真だけで結婚を決めた」時代、「1,2回会っただけで結婚を決める」時代もあったわけだけど、
今は、ある程度の期間、ちゃんとつきあってから、ということになるだろう。けど、「よぼど結婚したい」と思わない限り、結婚へはなかなか進めない気がする。

世間では、男性側が稼げなくなったから、経済的理由から未婚者が急増している、と見ているが、そのほかに、仕事で手一杯で、「婚活」もままならない人も多いのでは、と思う。
時間がない、余裕がない中、そこまでして結婚に情熱を注げない・・・そういう人が、3割いても不思議ではない気もする。

それに、やっぱり「子ども」をちゃんと育てられるか・・・自信ない人、わりと多いのでは、とも思う。
これだけ若者が少ないのに、若者の就職が難しいのは、世界との競争になっているんだとかで・・・
海外の若者を採用する企業が増え、今の若者は海外の若者と競争し、職を得ないとならないようで・・・とにかく大変そうだ。

「発達障害」という言葉もよく聞かれるようになった。(先日、先のことで絶望し、発達障害の子どもを殺してしまった母親がニュースになった)

健常者と障害者の線引きは難しい。広いグレーゾーンがあるようで・・・このグレーゾーンにいる人が、わりといるようだ。でも、「障害者」とは認められないので、公の援助や保護は受けられない。自力でなんとかしないといけないのだけど、競争社会の中できちんと仕事をすることが困難なので、仕事が得られず、社会から落伍してしまう。
努力が足りないからではなく、障害があるためで、これは仕方ないのだが、公には「障害者」と認められないので、保護がなく、このグレーゾーンにいる「発達障害者」は一番キツイ人生を送ることになる。
親が絶望してしまうのは当然かもしれない。

自分の子どもが「公の保護を受けられない程度の軽い障害」を持ってしまうかもしれない、と考える人も出てくるだろう。この「発達障害」はわりと高い確率で生まれてくるようだ。(朝日新聞によると、6・3パーセントだとか・・・20人に一人以上は発達障害を抱える子どもが生まれる計算だ。もちろん、これは「発達障害」のみのパーセンテージであり、ほかのさまざまな障害を合わせれば、もっと数字は上ということだ)

子どもを持つということは、そういったリスクがある。

なので「子どもは持たなくてもいい」「責任をもって育てる自信がない」「ほかにやりたいことがあって、それらを捨てて、子育てを最優先できない」という人だって、わりといるだろう。
そのことを「わがまま」「自分勝手」と言うのは酷だとも思う。

何を優先するのか、は人それぞれだろう。
仕事なのか、家庭(子育て)か、趣味か、社会奉仕か・・・
リスクを考え、それでも、それをやりたいのか、優先したいのか・・・良い悪いはなく、どういう道を行っても、プラス面とマイナス面があるのだろう。もちろん、全部選んでも、プラス面とマイナス面がある。
「こういう生き方をおすすめする」なんてことは誰にも言えないのである。
言えるのは、こういったプラス面とマイナス面がありますよ、ってことなのかもしれない。

生き方を選べるというのは、豊かな社会になった証拠でもある。
反対に「こういう生き方が良いのだ」と押し付け、皆と同じ生き方をさせようとする社会は、あるいは皆と同じ生き方をしないと生きづらい社会は、まだまだ貧しいということかもしれない。

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特にやりたいこともなく、好きなこともなく、どんな生き方を選べばいいのか分からない、という場合もあるだろう。

その場合は、とりあえず大多数の人が選ぶ生き方を選ぶのが無難かもしれない。
やっぱり世の中ってやつは「大多数の人に合わせている」から・・・社会システムは多数の人が得するように整えられているように思う。

となると・・・やはり、結婚し子どもを持つことが、まだまだ多数派の生き方である。

女性の場合・・・
とりあえず、これから(民主党が言うには・・・)専業主婦の扶養控除は、配偶者(夫)の収入で、受けられるか受けられないかが決まるようだけど、政権が替われば、またどうなるのか分からないみたいだ。

国民年金は、サラリーマンを夫に持つ専業主婦および年収の少ないパート主婦は払わなくていい。(もちろん、その夫はどんなに高収入でも、妻の分の年金を払わなくていい)・・・この年金システムはあまりに不公平だと言いたいくらい、専業主婦及び低収入の妻をもった世帯にとってはお得である。

一方、保育園は首都圏は待機児童でいっぱいらしいので、女性が子どもをもっても仕事ができるような社会システムはまだ整えられていない。

よって、専業主婦か、またはパートなど、家庭のことや子育てに支障をきたさない程度の仕事をもつ生き方・・・今現在では、これが、おそらく多数派の女性の生き方のような気がする。(もちろん時代と共に変わっていくだろう)

専業主婦バッシングがあるというけれど・・・よーく考えてみれば、子どもを預かっていただくその費用は、莫大であり・・・つまり、子どもの面倒をみるっていうのは、それくらいお金がかかることであり、子育て中の専業主婦は多額の税金で運営される保育園に預けずに、自分で面倒を見ているのだから、批判されるいわれはないかもしれない。

月~金まで毎日8~10時間フルタイムで外で仕事をしながら(・・・家の中でできる「稼げる仕事」はかなり特殊である。また週に1日か2日、あるいは短時間で稼げる人も特殊だろう)、保育園にも頼らず、実家にも頼らず、自分の手で子育てできた人であれば、専業主婦を批判する資格が多少はあるかもしれない・・・けど、そんな人は、いないだろう。

もちろん、専業主婦という生き方は、離婚になった場合、夫が仕事ができない状態になった場合、稼げなくなった場合のリスクはあるが。

どんな生き方をしたところで、それぞれマイナス面、リスクはあるのだから、そのリスクを分かっていれば、どういう生き方をしてもいいだろう。

てなわけで、未婚も、プラス面、マイナス面もあり、リスクもあるが、その生き方が良くないというわけではなく、さまざまある生き方のひとつに過ぎないのである。


ということで、話を元に戻すが・・・
成熟した社会の中で、未婚を選んだ人、選ばざるを得なかった人が、3割になる、というのは、異常事態ではなく、普通のことのように思う。

そして、専業主婦(主夫)という家庭中心の生き方も批判されるいわれもなく、ごく普通のまっとうな立派な生き方である、と思う。

もちろん、フルタイムで働きながら、稼ぎ、家庭と両立し、子育てをしている人も、ほんとうにすごいことで、立派だと思う。
ただ、他の人の生き方をマイナスに捉え、あれこれ言うのはおかしいかもしれない。

稼ぎがなく、子育てや家庭中心に生きる専業主婦をマイナスにしか捉えられないというのであれば、千住文子さんの著書を読んで欲しいと思う。
千住文子さんは、あのヴァイオリニスト千住真理子さんの母親である。画家の千住博さん、作曲家の千住明さんの母でもある。

専業主婦を「自立してない」と言い、マイナスに捉えることが、いかに失礼かが分かると思う。
ましてや、専業主婦に対し、西原理恵子さんのように「物乞い」と言ったり、勝間和代さんのように「時給1万円以上の価値があるなら自立しているとみなして良い」と言ったりしていることが恥ずかしくなるのではないか、と。

もちろん、千住文子さんの場合・・・専業主婦として、子どもを育て上げ、その子ども達が各分野で活躍するようになった後は、著書を執筆したり、講演会を行ったりして、かなり稼ぐようになっただろう。しかし、だから千住文子さんは専業主婦だったけど「時給1万円以上の価値がある」「自立しているとみなす」というのは、大変失礼なことかもしれない。

また会社で働いている方に対しても「会社に依存している」と言い、「会社人間も自立しているとは言えない」「会社を離れても、稼げる人を自立しているとみなす」というのも、失礼な話かもしれない。

「自立」という言葉で、人の生き方をマイナスに捉えたりして、批判している世間さまや著名人には、ちょっと辟易してしまう。
自立することがそんなに偉いのか?と思ってしまった。


・・・とまあ、「人間関係」「コミュニケーション」「自立」「未婚」「専業主婦」をキーワードに考えを綴ってみました。


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