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太平洋戦争関連その1(戦犯、原爆、憲法9条、国歌国旗のことなど) [国家・日本近代歴史・戦争関連]

2011年8月7日
NHKでこのような番組があった。 http://enzai.9-11.jp/?p=5632

2ヶ月前から、日本の諜報部は「アメリカ軍の特殊攻撃」があることを予測できていたという。
特殊攻撃が【原爆投下】ということは分からなかったが、かなり危険で、今までの空襲と違うことを予測していたらしい。
当然。そのことは軍上層部=参謀本部にも伝えられていた。

8月6日未明、広島原爆投下前に、まず「気象偵察機」がきたことも分かっていた。
気象偵察機がきたということは、これから攻撃があるということで、これも分かっていたことだ。

そして、そのコールサインから、【特殊な攻撃】があることが予測できたにも関わらず、軍参謀本部は何も手を打たなかったのだ。

原爆を積んだB29が投下の「1時間前」に広島へ入った。
(・・・原爆を積んでいることは分からなかったにしても、特殊攻撃ということは予想付いたはず。ずっと前に、アメリカが原爆実験を成功させていたのをうすうす知っていたのだから)
諜報部は当然そのことを軍上層部に伝えていたのに、軍の参謀本部は、広島の司令部には何も伝えなかったという。

だから、空襲警報も出せなかった。

爆心地から700メートル離れた地下壕にいた女性は、今も生きている。
空襲警報が出され、せめて地下に避難していれば、多くの人が助かったのでは、とその女性は言っている。

原爆投下1時間前にB29が広島へ入ったことを軍上層部は知っていたのに、空襲警報さえ出されなかったのだ。
(それまで、原爆攻撃は、予測不能の奇襲だったとされていたが・・・)

広島がこのような目にあったにも関わらず・・・
長崎も・・・5時間も前に、またもや原爆投下(広島と同じコールサイン、同じ特殊電波を傍受していた)が予測でき、 B29が長崎に入り、おそらく原爆が落とされるだろうことを、事前に知りながら、軍上層部が何も手を打たなかったことにも驚いた。

長崎の北15キロ先には、まだ日本の戦闘機部隊があったのだ。
この戦闘機部隊に、長崎に入ったB29を追跡し、攻撃を仕掛けていれば、原爆投下を断念したかもしれないのに、出撃命令も出されなかったという。

もちろん、空襲警報も出されなかった。外にいた市民は、そのまま原爆の放射線を直に浴びることになる。

広島の件で、すでに長崎が広島と同じ目に合うことが想像できたのに、軍参謀本部は何もしなかった。
想像できたが、目をそむけていたのかも。

国の上層部が何もしない、思考停止状態・・・って、もしや今も?


特殊攻撃=原爆投下を事前に察知できていた諜報部は、すべての資料を焼くように命令が出され、諜報部は「なかったこと」にされていたという。


補足。

長崎の北15キロにあった日本戦闘機部隊は「海軍」なので、
陸軍の「参謀本部」が出撃命令が下せないのは仕方ないという意見があった。

陸軍と海軍はいがみあっていたので、横のつながりはないという。

しかし、国の一大事なのに、いがみあって、「国が破滅するかもしれない大事」を伝えないというのが、そもそもおかしいと思うのだけど。
陸軍が海軍に伝え、海軍が出撃命令を出せば良かっただけのことだ。
結局、面子が大事で、国民の命などどうでもいいという上層部の姿勢が表れたと捉えられても仕方ないと思うのだが。

せめて「空襲警報」くらいは鳴らせただろうに。
それすらしなかったのが解せない。

放射線α線は、紙一枚で防げるというから、プルトニウムから放出されるというアルファ線(たしかαだったと思う)は、防空壕にいれば、防げた人はたくさんいたかも・・・
実際、爆心地からそれほど離れていないのに、助かった人もいたのだから。

空襲警報を出さなかったことからも、軍上層部は国民を守ろうとは全く思わなかった、ということが伺えるかもしれない。

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2011年2月23日
国旗と国歌に敬意を持てないことについて。

このページの一番下で、国歌国旗について、以前、私は「否定するなど論外」「過去をなかったことになどせず、反省し過去を背負う意味でも替える必要はない」と書きましたが・・・
「論外」という言葉は強すぎたかも、ということで、思うところあり、追記します。


特攻隊をテーマに書かれた小説「鋼鉄の叫び」(鈴木光司)で、こんなセリフが印象に残る。
「日本人は敵(アメリカ)に殺されているのではない。友軍(自軍の無能なトップの無謀な作戦)によって殺されているのだ」
太平洋戦争当時、多くの若者が消耗品扱いをされ、国に殺されたのだな、と。
小説「永遠のゼロ」(百瀬尚樹)も同じく・・・そういった描写がある。これらの小説は実際にあった無謀な作戦も描写され、史実が織り交ぜられている。

「永遠のゼロ」「鋼鉄の叫び」によると・・・日本軍は、現場の指揮官は優秀だったが、現場をあんまりよく知らないさらに上のほうがダメだったんだとか・・・(なんだか現在と通じるものがあるような・・・)
特攻作戦や、他、無謀で無茶な作戦に現場の指揮官は皆、反対を唱えていたが、上が無能だったため、大勢の犠牲を出してしまう・・・このへんは「永遠のゼロ」にも書かれていたっけ。誰がどのような(無茶な)作戦を立てたかも書かれているが、これはフィクションではなく、史実だろう。

(ちなみに「永遠のゼロ」はおすすめだけど、「鋼鉄の叫び」はおすすめとは言えない。その理由は別記事「鋼鉄の叫び感想」http://kayashi.blog.so-net.ne.jp/2011-02-22にて)

特攻作戦はどう考えても、負け戦であり、勝てる見込みなどゼロの、ただ若者を死に追いやるだけの作戦だったと思う。自爆するために重い爆弾を抱えた飛行機は、速度も出ず、また戦争末期は飛行訓練がきちんとできていない若者が操縦しているのだから、敵のいい標的となり、途中で撃ち落され、敵艦に体当たりできる可能性はゼロに等しかったという。

そういう歴史もあるから、日の丸や君が代に嫌悪する国民がいるのも仕方ないとも思える。
ただ、開戦当時、国民だってマスメディアに煽られ、軍部に期待をし、戦争賛成したのだろうけれど・・・特攻で死に追いやられた若者は発言権もなく、決定権のある大人に教育され(洗脳され)、従わざるを得ない状況だったので、完全な被害者だと思う。

特攻作戦を「仕方なかった」「勝利の可能性があった作戦だった」と言える人はいるのだろうか?田母神さんも、小林よしのりさんも、特攻作戦はどう思っているのだろうか。

というわけで、なぜ、日の丸と君が代が、日本国民の一部の人に嫌悪されるのか、こういったところも考えないとならないのかもしれない。
これは、「日本は悪かった」という戦勝国側に洗脳されただけが理由ではないだろう、と思った。
負けを認めることが出来ず、若者を無駄死にさせる無茶な特攻作戦、その間に各都市が空襲され、あげくに原爆を落とされ、あまりに国民の犠牲が大きすぎたということなのかもしれない。

それにしても・・・トップの言うこと(国の方針)に従う、というのは、基本的なことだが、トップが無能、あるいは狂っている場合、逆らえず、従い続けると、大変なことになる・・・

このことを先の太平洋戦争で思い知ったからこそ、国に対し、不信感が拭いきれない人もいる、というのは理解できる気がする。

8月15日、日本が降伏後、トップの命令(武装解除命令)に従わず、押し寄せるソ連軍と戦いながら、内蒙古から邦人を脱出させた現場の指揮官・根本中将(・・・降伏しても、ソ連軍に攻撃されることを感じ取っていたという。反対に、満州にいた軍は、トップの命令に従い、武装解除し、早々に引き上げてしまったので、取り残された邦人はソ連軍に蹂躙された・・・)のことを思うと、国(トップ)の判断よりも、個人の判断のほうが正しい場合もあり、難しいものだと思った。

さて、今の日本のトップは、どうなのだろう。


話のスケールは全く違うが、尖閣諸島動画流出問題のことをちらっと思う。ビデオ画像を表に出さないという国の方針に従わず、一公務員が表に流出させたことについて・・・公務員としてやってはいけないことだが、国民にとっては、画像を見ることが出来て良かったのでは、と。あれだけの証拠画像がありながら、中国に弱腰にならざるを得なかった日本を知ったのだから。
そして、証拠となるビデオ画像を表に出さないと決めた国は、正しかったのか?とも思う。


余談。
ちょっとテーマから外れるが、「上に従わなかった下の立場の個人について」もう少し語る。

私の中学時代は、スポーツをしているとき、水を飲んではいけない、という指導が一般的だった。
ある体育の授業で、炎天下、ランニングをさせられ、喉が渇いて、仕方なかった。私だけではなく、体育の授業を受けた生徒全員そうだった。

私の中学では、生徒は先生の言うことを聞き、反抗することなどなかった(そういう中学だった)
今とは違い、上の言うことは絶対に聞かなくてはならない、という空気がまだあったのだ。

しかし、この時だけは、生徒全員「水を飲んではいけない」という先生の言うことを聞けず(=命令に従えず)、あるひとりの生徒がとうとう水飲み場へ走った。すると、全員、水飲み場へ走った。
体が水を要求し、それを我慢することができなかったのだ。

この後、もちろん先生から怒られ、罰を受けた。
が、もしも、我慢して、トップ(先生)の言うこと(命令)を聞いていたら、脱水症状で倒れ、熱中症となり、悪くすれば死んだかもしれない。

今ならば考えられない、全く科学的でない無茶な指導がまかりとおっていたのである。

トップ(上)の言うことは必ずしも正しいとは限らない。
そして、上の言うことを聞かなかった下の者が、正しい場合もある。
この場合、子ども=中学生が正しかったということになる。

導く上の立場の者は科学的で合理的な判断ができる人であってほしいと思ってしまった。



「特攻」などについて考えさせられる記事
http://blog.goo.ne.jp/tokyodo-2005/e/b2154150a8ea839bc0c495d4521cf2b2

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2010年8月18日
「池上彰の戦争を考える」を見た。

いろいろと考えさせられたけど、一番驚いたのが・・・
アメリカのカーティス・ルメイ少尉が、日本への空襲を、民間人を虐殺する無差別空襲方式に切り替え、東京大空襲で10万人の民間人の命を奪い、その後、各地の空襲で多くの民間人が虐殺されることになるのだけど・・・
戦後、このアメリカの将軍は、日本の航空自衛隊の基礎をつくったとかで、日本(つまり天皇陛下の名前で)から勲章(勲一等らしい)をもらっていることだ。
日本国の民間人を空襲で大量に虐殺するよう指示を出した人物に、それにより多くの民間人が虐殺されたというのに、その後の功績で日本は勲章を与えている・・・とても割り切れない思いである。

(ただし、世界で初めて、民間人に対する無差別空襲を行ったのは、日本らしい。日本は中国を空襲し、民間人を大量に虐殺したのだ。)

やはり戦争は悲惨だ、とつくづく思うわけだけど・・・一方で、憲法第9条については、純粋に「平和憲法」とは思えず、変えたほうがいいのか、そのまま守ったほうがいいのか・・・分からない。
なんだか、中国が、日本の領海を侵し、挑発行為をしていたと聞いた。けど、日本はそれに対し、何も行うことはできない。中国も、日本が何もできないことを知っているので、そういったことを仕掛けてくるのだろう。もちろん、日本政府は中国に抗議をしたらしいけど、中国が抗議をきちんと受け入れ、こういうことを二度と行わなければ別にいいけれど。なめられていることは確かなようである。これが些細なことなのか、どうなのか・・・

まあ、でも今の時代は、国と国の戦争よりも、テロが行われる可能性のほうがずっと高いので、戦争の危惧よりもテロを危惧するほうが現実的かもしれないけど。

そして、小林よしのりの本をいくつか読んだが・・・納得できる部分もあるが・・・やはり過激な部分も感じる。
「国(公)のために生きる」について。

公のために生きるって大事だけど(・・・そういう人がいなくなり、己の欲を求めるだけの人ばかりになったら、生活しづらい世の中になるだろう)、それが極端な方向へ行ってしまうと、悲惨な太平洋戦争みたいなことになってしまうのだろう・・・
なので、太平洋戦争のことを思うと、「国のために」という言葉にまだまだ危険な臭いを感じてしまう。ある程度の「国(公)のために」という生き方は大切だけど、行き過ぎると「個人が多大な犠牲を強いられてしまう」ので、未だ「愛国心」という言葉に警戒してしまう人もいるのだろう。

要はバランスなんだと思う。ある程度の「公のために生きる気持ち、愛国心」はあったほうがいいけれど、国が暴走し、個人を犠牲にしだすことがないよう、警戒心は必要なのかもしれない。
太平洋戦争の記憶が全く薄れてしまった、忘れられたとき、警戒する人がいなくなってしまうかもしれない。そんなことがないよう、過去を振り返り、いろいろ検証し、考えさせられるのは良いことかもしれない。

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NHKの原爆関連番組を見た。内容についてはこちらのブログに詳しく書かれている。
http://lowell.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-151d.html

原爆が投下され、その後、調査団が入り、被爆者は治療されることはなく、ただ検査され、観察され、死亡者は解剖され・・・原爆の効果を調べ上げ、それをアメリカに渡したという話。アメリカは要求はしておらず、日本軍自ら、アメリカの心証を良くしようと、アメリカに媚びを売ったという話。

もちろん、アメリカは大いに喜び、核戦略に大いに利用したという。
被爆者のために、その詳細データは使われることは無かった。

国にとって、国民の命などほんとうに軽かったのだな・・・それにしても、アメリカの心証を良くする・・・つまり戦犯になることを逃れるため、ということなのか。

さて、以下、A級戦犯についての記事です。日本軍を擁護するような印象を与えているかもしれませんが、擁護はしてません。

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「A級戦犯について」

さて、靖国というとA級戦犯も祀られているということで・・・それについて、いろいろ考えてみます。私もそれまでマスメディアに影響され、「A級戦犯も祀られているきな臭い場所」という色眼鏡で見ていましたが・・・よく考えてみると、A級戦犯っていうものが、「戦争を起こし、日本を壊滅状態に追いやった指導者」というあやふやな捉え方しかしていなくて、よく分かっていませんでした。

同じA級戦犯でも、死刑になった者もいれば、禁固7年で、後に政治家になった者もいるようです。http://allabout.co.jp/career/politicsabc/closeup/CU20050613A/index3.htm

公平性などなく、戦勝国の都合で決まったらしい戦犯・・・
当時、マスメディアだって「戦争路線」へ行くように、相当煽ったと聞きます。多くの国民も同調してしまったでしょう。
なので、国のトップ、指導者たちはそうせざるを得ない状況に追い込まれてしまった、というのもあったかもしれません。

「東京裁判」については、以前、NHKなどの関連番組を見て、戦勝国に都合の良い杜撰な裁判であったことは感じてました。
そういった番組で、一番印象に残ったのは、中国で捕虜の人体実験を行った日本の「731部隊」のことです。しかし、731部隊は戦犯に問われることはありませんでした。アメリカがその人体実験データを欲しがり、それと引き換えに見逃してもらったということです。
それについては当ブログで以前も触れました。http://hakkusyunn.blog76.fc2.com/blog-entry-256.html

A級戦犯で死刑になった東条英機氏、広田弘毅氏のこともNHKで取り上げられたことがあります。それを見る限り、それぞれ国のために懸命に働き、東条英機は当初は戦争回避のために首相となり、打開策を模索していたということですし、広田弘毅氏のことも戦犯とはとても思えませんでした。

東京裁判のインド代表の判事パール氏のこともNHKで取り上げられたことがありました。パール氏の言っていたことはもっともなことであり、正当性、公平性が感じられ、説得力がありました。そのパール氏は、A級戦犯たちを「全員無罪」の判決を下していました。

非人道行為を問うならば、アメリカは原子爆弾投下や原爆投下後も一般市民へ空襲を行い、大量殺戮をし、ソ連は日本との中立条約を破り参戦し国際法違反を犯し、日本敗戦後も邦人を虐殺し、捕虜を拉致しシベリアに抑留し、数万人も死亡させた非道な行為も問われなければおかしいのですが、そんな国が、日本を「平和を乱した侵略国」として裁く立場にあったのだから、それだけでも「東京裁判」は不公正な裁判だと言えるでしょう。東条英機らは、そんな戦勝国の都合で「戦犯」にされたのかもしれません。

そういうことが詳しく描かれているのが、小林よしのり氏の「いわゆるA級戦犯」です。

アメリカやソ連はこの後も、いろんなところで戦争に加担してました。一般市民含め、多くの人を虐殺した一番の国はアメリカでしょう。戦争を金儲けの道具にしているのでは、というような戦争も行いました。

けれど、当時の日本は戦争をせざるを得ない状況に追い込まれていったようです。
小林氏だけでなく、NHKでも「ハルノート」を取り上げてました。日本を追い込み、戦争をせざるを得ない状況にあえて陥れたと思われても仕方ないことをアメリカはしていたようです。
(もちろん、そんなアメリカにしてやられた日本国の失政が、戦争を招いてしまったとも言えるのでしょうが・・・)

ちなみに、「平和に対する罪を問われるA級戦犯」とは・・・【宣戦をせず、侵略戦争を仕掛け、国際法、条約、協定、誓約に違反し、そういった戦争の計画、準備、開始、遂行、それらの共同謀議ヘ参加】を「平和に対する罪」という定義づけがされているようです。

ただし、小林よしのり氏の「いわゆるA級戦犯」を読めば、東京裁判のずさんさ、正当性のなさ、戦勝国のご都合主義さが見えてきます。
小林氏は右翼だから偏っているんだ、という人もいるかと思いますが、「東京裁判関連」については、同じような内容をNHKでもやってました。「東京裁判関連」において、小林氏が「偏った都合の良い情報」を鵜呑みにしているということはないと感じてます。

「戦犯」ということではなく・・・敗戦し、国益を損なったという理由で、国の一番のトップに責任を問うのであれば、東条英機氏よりも、昭和天皇が問われないとおかしいのでは、と個人的に思います。政治に直に関わっていなかったとしても、日本国のトップの地位にいたのは昭和天皇です。トップの地位にある者は、自分が直に関わっていなくても、あるいは知らなかったとしても、責任を問われるものだと考えます。

ただし、国が行った戦争行為を、個人の責任に問うことができるのか?正当に公正に問うことができるのか?というと疑問です。
小林氏は「戦争を起こしたことを個人の責任に問うことはできない。敗戦国は国家として代償を払うが、個人に対し責任追及することはできない」というようなことを言っています。

靖国に一緒に祀られているという「A級戦犯」は・・・正当性も公平性も無く、戦勝国の都合によって「悪者=戦犯」にでっち上げられたのかもしれません。

ただ、昭和天皇がA級戦犯合祀の靖国に不快感を表したっていう件も気になるところです。
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/tennnoumemo.htm
昭和天皇がA級戦犯合祀に不快感を持っていたことを、小林氏はどう考えるのだろうか・・・

とにかく、A級戦犯及び靖国を毛嫌いする人も、興味ないっていう人も、一度はちゃんと考えたほうがいいかもしれません。


もちろん、一番上に書いたように・・・原爆を投下された後、日本軍は被爆者をモルモット扱いをし、終戦後は、アメリカに調査資料を自ら渡し、媚を売ったことなど・・・日本軍は自国民に対し、人間扱いしていなかったのは事実でしょう。ほか、特攻隊のこと、そして、これだけ各都市に空襲を受け、一般市民が大量虐殺されたにも関わらず、天皇制を守りたいがため、降伏するのが遅れ、ついに原爆を投下されてしまったのは、トップが国民の命をあまりにも軽く見ていたからだろうと思います。

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「なるほど」と思わされた他の人の意見を紹介します。
以下、アマゾンのレビューより抜粋。

【対外的な戦争責任とは別に、当時の為政者達の「内政的責任」については無視できないのでは。
すなわち、いわゆるハルノートとしてつきつけられた譲歩要求以上のものを、日本国は太平洋戦争で失うことになりました。 領土も、資源も、もちろん多くの国民の命も。そして日本人の美学も失われたわけです。

物量的に勝てる戦争ではなかったのは明白でした。だとすればときの政府はどう優先順位をつけて何から守るべきだったか?・・・そういう国益を守るための戦略が全く欠けていたし、多数の臣民の命すら失われてしまいました。

米国は「いかに日本に手を出させるか」を考え通牒を出したとされます。とすれば「まんまと挑発に乗った」当時の政府の行いは国辱的失政そのものです。東京裁判という私刑とは別の次元で、失政の責任はとるべきでした。
国益を損なった失政の責任という意味において、私自身は、靖国神社という国を守ってくれた御霊の場に「当時の首脳陣」(A級戦犯という外からの区分ではなく)を祀るのがふさわしいのか、議論すべきと考えます】

抜粋終わり。

・・・たしかに、戦犯としてではなく「国を壊滅的状況に追い込んでしまった失政の責任を問うべき国の指導者」と、それら指導者の命令により「国のために命を捧げた兵士の御霊」を一緒に祀るのはいかがなものか、という意見には考えさせられます。

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小林よしのり氏のほかの著書について。

「戦争論」というのが非常に物議を醸しだしたようで・・・残念ながら、まだ未読。
「個と公論」を読み、「戦争論」はかなり売れたと同時に、いろいろと批判もされたようです。
「戦争論」を読んでいないので、なんとも言えないが・・・批判記事http://www.geocities.co.jp/wallstreet/6930/Senso_Ron.htm(冷静に書かれたきちんとした批判記事だと思います。なのでリンクしました)を読む限り、ちょいと過激な内容なのかなと想像します。
「いわゆるA級戦犯」は偏っているという印象はなかったのですが・・・
とりあえず「戦争論」は後で読んでみたいと思います。

ちなみに、上でリンクした小林氏への批判記事サイトですが、ほかの記事も参考になりました。これと合わせて、小林氏のほかの著書も読んでみたいと思います。
http://www.geocities.co.jp/wallstreet/6930/index.html

でも・・・私も「日本はとにかく悪かった」という刷り込みされたのも確かであり、今は、少なくとも「日本だけが悪かったわけじゃないだろう」とは思います。
もちろん、だからといって日本がやったことを全て肯定しろ、とは考えません。ましてや賛美もしません。全て否定するのもいかがなものか、ということです。

ただし、「日本がやったこと」を本当に知っているのか?というと、それは教科書はじめ、マスメディアの報道や番組、こういった著書からしか、うかがい知ることができないわけです。それが100パーセント正しい資料に基づくものなのかどうかも分からないわけです。

「日本はとにかく悪かった」という偏りから、その反動で、こういった小林氏のような本がわりと受け入れられ、取り上げられるようになったのでは、と思います。

物事はいろんな視点から見ることができ、善悪も簡単に判断できないということで、いろんな角度から「太平洋戦争について検証し」「いろんな考えや意見が発表されること」は、基本的には良いことなのではないでしょうか。

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「この命、義に捧ぐ」(門田隆将)という本が評判のようだ。
太平洋戦争終了後、根元博陸軍中将は、武装解除命令を拒否し、ソ連軍と戦い、在留邦人4万人を脱出させ、救ったという。この時、邦人の帰国を助けてくれた蒋介石への恩義を返すため、台湾のために動く・・・というような話らしい。(実話だ)


もちろん・・・【職業軍人としては立派な功績であり台湾から感謝されることも理解できるが、 日本人軍事顧問が戦闘を指揮したことにより日本が相手国より敵国と見做される 危険性もあり、義に生きた偉人として単純に評価することは難しい】(アマゾンのレビューhttp://www.amazon.co.jp/product-reviews/4087805417/ref=cm_cr_dp_hist_3?ie=UTF8&showViewpoints=0&filterBy=addThreeStarより抜粋)という評価もあり・・・いろんな見方があるのだろう。

また、一方で蒋介石は・・・小林氏の「いわゆるA級戦犯」によると、1937年、上海を爆撃し、上海租界の日本人や、欧米の民間人など1700人以上を死亡させたらしいようです。
なので、蒋介石はあくまで自分の国のために動いたのであって・・・邦人を助けるために動いたのではなく、結果としてそうなっただけのことかもしれません。もちろん、蒋介石が自分の国のために動くのは当然のことです。

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以下、以前のつぶやき記事にあった内容に、加筆、編集したものを記しておきます。

「憲法第9条について」

最近、「龍馬伝」といい、「坂の上の雲」といい、この頃【異国の侵略から守るために日本のために生きた人】の話が印象に残る。

さて、そこで憲法第9条の話だ。
日本はアメリカにいいように利用されるおそれがあるので、私個人はまだ9条改正には慎重派である。

ただ、こういう考えを聞いて、なるほどと思った。
市民を守るために警察がある。なのに、国を守るための軍隊があって、なぜ、いけないのだ?
警察があるのと一緒で、軍があるのは当然のことだ、と。

「自立することが大切だ」なんてよく言われるが、国として自立するには軍が必要・・・なのかもしれない。まあ、でも、憲法9条を盾にし、アメリカに守ってもらいながら適当にやっていく(・・・視点を変えれば、アメリカに守ってもらう=アメリカを利用するとも捉えることができる)という手もあるだろう。そのほうが国益にかなうのならば、それはそれでいいと思うけれど。

「自立は自由に生きるための手段に過ぎない。自立することを目的にしてはいけない」と上野千鶴子氏が言っている。(これは、憲法9条のことでなく、人の生き方指南としての発言だが・・・)

国益のための、手段としての憲法9条をどうするか、ということなのかもしれない・・・
軍があったほうが海外になめられずに、外交がうまくいくのか、それとも戦争好きなアメリカに利用されてしまうだけとなるのか、あるいは、今のままだと自立してない国として国際的に軽く見られてしまいマイナスとなるのか、そこはちょいと難しすぎて、私にはよく分からない。

とりあえず、小林よしのりの「いわゆるA級戦犯」に書かれていた文も、一緒に記しておきます。
以下、「いわゆるA級戦犯」より抜粋、編集。

【自分は平和主義だったかのようにふるまい、同胞を虐殺した戦勝国・占領者に媚び、それで自らの利益を得ようとした】
【日本は60年以上も前の戦勝国に未だに媚びて、「国益」のために追従せよ、と言い出す者までいる・・・そんな戦後日本人の誰が「A級戦犯」を非難できると言うのだろうか】

・・・抜粋終わり。

ということで「同胞を虐殺したアメリカに媚びてまで(=利用してまで)、自分たちの利益=国益を得ようとするのは、いかがなものか」という考えも確かにあります。
少なくとも「戦犯を非難はできない」という言葉には納得です。

ところで、日本は憲法9条があるため、兵器を他国に売るということはしなかったが、アメリカと共同で開発した兵器を他国に売るように、アメリカ様から言われているとか・・・アメリカとしては、せひともそれでお金儲けしたいのでしょう。
アメリカだけではありません、日本の戦犯を裁いた第二次世界大戦の戦勝国の皆々様は、現在も、戦争ビジネスで稼ぎ、兵器を他国に売ったりして、お金儲けしているようです・・・平和憲法9条を背負う日本だけど、こういった国々の中で、これからどうなることやら・・・

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「日本の国旗国歌について」

私は「過去をなかったことなどできない」「過去を忘れてはいけない」ということで、このまま国旗は「日の丸」、国歌は「君が代」でいいと思ってます。
替えるほうが過去の過ちに対して不誠実であり・・・お金もかかるし、今さら・・・です。
過去を背負い、反省する意味でも、国旗国歌を替えてはいけないと思ってます。

学校の卒業式などでよく問題になるが・・・
日本を誇りに思うように、これからの日本を背負う子供を教育するところが学校であり、国の象徴(国旗国歌)を否定するなど論外ではないでしょうか。

過去をなかったことにしてはいけないのだし、過ちを反省し、これから日本人としてどうすればいいのかを考えさせるのが教育であり、国歌国旗に敬意をはらえるような国にしていこうということでいいのでは、と思います。


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