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結婚の条件その2 [人生・生き方・生活・人間関係]

前日記http://kayashi.blog.so-net.ne.jp/2010-05-15の続き。

結局、自分が思う結婚の条件は、「何かあったとき、ほかのことを捨てる覚悟で、家庭のことを最優先できるか否かだよなー」と思った。これはお互いにね。
当時は自分のやりたいことを我慢し、やりたいことが優先できず、家庭最優先なんてできそうにもなかった。義務として家庭のことは「優先しなくてはいけない」という感じで、「優先したい気持ち」はもてそうになかった。

なので、仕事に燃えている、または趣味に燃えている人、やりたいことがある人は、いまいち結婚に腰が引けてしまい、それほど熱心になれない場合もいるかもしれない。もちろん、そんな自分を理解してくれ、ついてきてくれる人、または協力してくれる人がいれば結婚したいだろうけど、まずそんな我がままを受け入れてくれる人はいない。

仕事にしろ何にしろ、やりたいことは目いっぱいやって、やりつくし、家庭のことを最優先できる覚悟ができたら結婚、というほうが後悔しないかもしれないが、やりたいことをやっていたら、歳を食ってしまい、若さを求められてしまいがちな女性の場合は男性よりも厳しいかもしれない。

自分は何を優先したいのか、やらなければ後悔するものは何か、あきらめてもいいものは何か、をよくよく考えたほうがいいのかもしれない。

まずは、やはり結婚することが最優先なのか?、子供はどうするのか?(持たなければ、自分のやりたいことはできるだろうし、両立は難しくはないだろう)・・・
とりあえず年齢的なことがあるので、結婚し子供を作り、子供が成長した後で自分のやりたいことをするか?・・・
でも、そのときには「やりたかったこと」は体力的または能力的に無理になっているかもしれないし、あるいは、子供が成長してもいろいろと問題を抱えることになり、自分がやりたかったことができる環境にないかもしれない、それでも後悔しないか?
家庭最優先の生き方がしたいのか、他はあきらめることになってもいいか?・・・
逆に、家庭を持たないままで後悔しないか?

人それぞれ優先順位は違うだろう。
しっかり優先順位を考え、選択していけばいいと思う。将来、その選択に後悔するかもしれないが、では、今よりも将来を優先するのか?ということになる。今を選ぶか、将来を選ぶか、どちらを優先するのか、それもまた選択である。

すべてやりたい、あきらめたくないっていう人は、とにかく、がんばるしかない。ただし、あれもこれもと欲張り、全て中途半端となり、失敗したり、疲れ果ててしまったりで、逆に「欲張らなきゃ良かった」と後悔することもあるかもしれない。
自分には、すべてをやりとおせる能力と体力、環境が備わっているのか、本当にできるのか、をよくよく考えたほうがいいかもしれない。

世間の価値観に惑わされず、本当に自分が欲しいものや、優先したいことを選ぶのは迷うし、難しい。
けど、「やりたいことがある」「欲しいものがある」って、それはそれで幸福なことかもしれない。
あるいは「やらなくてすむ」「やりたいことや欲しいものが特にない=とりあえず現状に満足している」ということも恵まれているのである。

世間は「それでいいのか?」「後悔するぞ」「不幸になるぞ」「○○するのが、人として当たり前」と脅したり、批判してくるが、本当に自分が欲しいもの、やりたいものを優先すればいいのである。あるいは、自分がそれほど欲しくないものに対しては、努力しなくてもいいのである。または、それを手に入れなくてもやっていけるのであれば、無理して手に入れることもない。

生き方指南本は、たいてい胡散臭く感じる自分だが、「良かった」と思える本を紹介しておこう。
あの叶恭子さんの本だ。中学生向けに書かれているが、成人にも大いに参考になると思う。


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さてさて、「結婚の条件」について分析された、わりと注目された本があったようで、遅まきながら私も読んでみた。男女ともにおすすめです。


以下、「結婚の条件」(小倉千加子)より・・・

【結婚の「適当な相手」を選ぶ時、自分の価格に応じた相手が購入できるが、自分に与えられた値段を見ることが難しい。なので第三者から見れば高望みしている場合が頻発している】

【女性の夢は、結婚で勝つ(高収入の夫を得る)か仕事で勝つか(自分が高収入を得る)であり、どちらにも入らない谷間のような存在が、夫の稼ぎを補うために働かなければならない妻なのである】

【「高卒女性が求める結婚=生存=生きるための結婚」「短大卒の女性が求める結婚=依存=夫に稼いでもらい、専業主婦でいられる結婚」「大卒女性の求める結婚=自己保存=今の自分を変えずにすむ結婚」】

【女性が男性に求める最大の条件は「経済力」で、男性が女性に求める最大の条件は「美人であること」で、結婚とは「カネ」と「カオ」の交換であり、女性は自分の「カオ」を棚に上げて「カネ」を求め、男性は自分の「カネ」を棚に上げて「カオ」を求めている。】

【容姿や収入といった資源を持たない男女は、なかなか満足のいく出会いを得られず、問題は身の程知らずな欲望自体にあるのだ】

【女は「生活のための労働は、男にさせ、自分は貴族のように意義ある仕事を優雅にしていたい。今や単なる生活費稼ぎの労働は、男と親と老人だけがするものになりつつある。あらゆるつまらない労働、人間がしなければならない「当たり前」の労働から、若い女性たちが総撤退を始めている】

【「ラクしたい」「働きたくない」「苦労したくない」――これは若い女性だけが望んでいるのではなくて、若い男も同じことである】

【働いて家計費を稼がなければならない二等主婦の上に、働かなくても青山でお洋服を買って消費できる一等主婦がいる。さらにその上に、働くことでお金を消費することを許される特等専業主婦がいるのである】


・・・というようなことが、この本に書かれている。

「顔と金の交換」とは・・・男女お互い、求めるものはこんな単純なものなのか?とも思う。・・・けど、「情」がなければ、おそらく顔と金をうまく交換できても、長続きはしないかもしれない^^;

カオにしろ、カネにしろ、持たざる者は、世間から下されている「自分の評価、レベル」をよく知っている。だから自信のない者も多いのだ。
しかし、だからといって、「あまり欲しくないもの」を手に入れても仕方ない。ので、「運良く、欲しいものが手に入るのならば、もちろん手に入れたい」ということで、「できれば結婚したいね」ということになるのかもしれない。
けど「おそらくダメかも」というのを感じつつ・・・

つまり、自分を棚に上げずに、あきらめモードで、自分を棚に仕舞うのだ^^;

自分を棚から下げて、現実を見たところで、交換できるものがあまり欲しいものではない場合・・・結局、そこまでして欲しいのか(結婚したいのか)っていうことになる。

もちろん、自信のあるものは挑戦するのだろう。
自分を棚に上げようが、できるだけ自分を高く売りたい、買ってもらいたい、いいものを手に入れたい、だろう。
・・・と、人をモノ扱いし、人身売買みたいな感想を抱いてしまったが・・・
もちろん、カオとカネだけではなく、そのほかにいろいろと条件がついてくるのだろうが、小倉千賀子の「結婚の条件」によれば、まず「カオ」「カネ」であり、その上で相性とか性格とか、中身を見られ、ほかいろんな条件があるのだろう。そして、それぞれに【結婚価格】がつけられるのだろう。なんとも厳しい世界である。

ただ、女性の場合、カオのほか、若さ(年齢)も重要視されるだろう。
まず「カオ」と「年齢」を見られ、品定めされ、ふるいにかけられるのかもしれない。

そして・・・この本のアマゾンでのレビューにも書かれていたが・・・
カネ持ちカオ良し同士の結婚によって、仕事ができる=賢い遺伝子と美の遺伝子をもつ子供が生まれ、カネによって子供は質の高い教育も受けられ、そしてその子供は同じ勝ち組の子供と結婚し、強者はますます強者になる。一方、カネなしカオ悪同士だと、ま、そういう遺伝子の組み合わせの子供が生まれ、負け組再生産、となるようである・・・

人間を「モノ」扱いし、カオとカネで勝ち負けを決めるなんて、なんだか殺伐としたものを感じるが、これが現実ってやつなのかもしれない。

結婚に対し、夢を抱いている人も多いだろうが、一方でとても覚めた人たちもいる。

とあるサイトで「頭も容姿も性格も悪い自分のダメ遺伝子は絶対に残したくない」という話題を目にしたが、負け組を再生産するよりも、自ら淘汰の道を選ぶというのもありかもしれない・・・結婚しない者は、ただ負け組を再生産しないだけのことかもしれない・・・

だから、世間様も未婚者をそう責めてはいけないのだ。
え?生物として子孫を残さないなんて、いかがなものかって?
しかし、世界規模で考えれば人間は増えすぎなので、産まない人間がいるってことは良いことなのかもしれない。

それに、負け組(安く使い捨てができる便利な労働力)は勝ち組の餌食となっているわけで、勝ち組のために、わざわざ負け組が大変な思いをして子孫を残すこともないだろう、という考えの人もいる。これも、よく分かる。

日本社会としては困るかもしれないが、少子化は仕方ないかもしれない。
ま、勝ち組の人たちでなんとかがんばってくれるよう願うしかない^^;

実際、高卒では、ほとんど仕事がなく、「適正」などと言ってられない状況のようである。
だとすると、子供はやはり「大学へ進学させたい」というか「させなければならない」と考えてしまうだろう。
しかし大学へ進学させても、就職は厳しく、どこでもいいから正社員になれれば御の字、ということらしい。
ならば、できるだけ就職に有利な大学に進学させたい、そのためには莫大な教育費もかかる・・・そういった子供の教育費を稼げるくらいの収入を、男性に求める女性がたくさんいることは仕方ない。

大学などに行かずとも、仕事を選ばなければ、何か仕事がある、選んでいるから仕事がないのだ、というのは簡単だが、自分に合わない最低条件の仕事を続けるのは難しいだろう。「甘えるな、甘えさせるな」という人もいるだろうが、過酷な状態を「乗り越えられる強い人間」などわずかである。
やはり、子供の教育費は必要だ、と考える人は多いだろう。
(もちろん、これは子供を持った場合の話であって、子供を持たなければ、相当、結婚観は違ってくるだろう)

・・・ということで、この本に書かれていることが真実ならば、心も殺伐してしまいそうな厳しい世界へあえて入らなくても、と思ってしまうかもしれない。条件を下げて、やっていく自信もないのに、我慢してそんな大変な思いをするよりは「負け犬」でいいや、と思う人がけっこういるかもしれない。

でも、この「結婚はカオとカネの交換だ」という小倉さんの結婚論に対し、そんな単純なもんじゃないよ、という感想もあるようだ^^;

ただ・・・女性側も、男性の容姿をまったく見ないかと言うと、そうでもないかもしれない。
子供のことを考えれば、あまりに容姿の劣る=世間が良しとする基準から大きく外れた容姿の者のDNAは敬遠したいかもしれない。

それは、女性は「容姿によって、人生がいかに損をするか、得をするか」がよく分かっているからだ。
もし子供に容姿の悪いのが遺伝してしまったら・・・そのために苛められたり、バカにされたりして、コンプレックスに苛まれ、自信もなくし、悪くすれば性格も歪んでしまい・・・その後の人生に大きく関わってくるかもしれない。

『人間は中身だ』というのは簡単だが、非情な社会で、いじめられたり、バカにされても、自信を持った強い人間であり続けるのは難しい。

とくに、容姿の劣った人は、自分の経験を振り返り、そう感じているだろう。
反対に、容姿に恵まれた人は、そこまでは考えないかもしれない。素直に「人間は中身だ」と思えるかもしれない。
結婚においては、容姿の劣った人のほうが、相手の容姿を重視するかもしれない。

いや、恋愛においてでも、自分にないものを求めてしまうということで、男女ともに、容姿が劣った者ほど相手の容姿を重視するかもしれない。

それを「身のほど知らず」と笑ってはいけないのである。


さて、もうひとつ、【結婚に求めるものが「保存」】という点について。

まさに、これが当時の私に当てはまる。【今の自分が結婚によって変わることを恐れている。今の生活を変わらず「保存」したい】・・・なので、さほど収入は求めなかった。

そして【結婚に求めるものが「依存」「生存」】というのも分かる気がする。で、「不幸な結婚ほど恐ろしい」というのも、分かる。これを「打算的だ」と批判するのは簡単だろうけど、人生を真剣に考えれば、当然の気持ちだろう。
著者の小倉さんも、批判しているわけではなく、分析しているに過ぎず、「こういった状況は仕方ないのではないか」という感じである。

近頃は、家事育児を分担するから共働きを望む男性も多いと聞くが、女性のほうは「専業主婦志向」で稼ぎに働きにでなくてもすむように、収入の多い男性を希望しているらしい。
おそらく、この状況を憂えて、西原理恵子さんや勝間和代さんは「ダンナに依存しないで自立して稼ごう」「稼ぐことを放棄した専業主婦業はリスキーだ」と言って、専業主婦志向の若い女性に『働こう』と訴えているのだろう。

が、実際、「子供をもつこと」を考えた場合、本当に家事育児を男性が半分担うことが可能なのか、疑問である。仕事だって、子供が熱出したからって、男性は休みにくいだろう。夜遅く帰ってきて、家事を自らすすんでやる男性はあまりいないのでは、と思う。
結局、女性がメインで家事育児を担うことになる可能性が高い。すると、女性はフルタイムで働き、なおかつ家事育児をこなし、働きづめとなるだろう。
子供が病気のたびに仕事を休むことになり、結局、仕事をやめるか、家計が苦しければ、仕事をパートに切り替えることになる。
稼ぎはぐっと落ち、その分、家事育児をメインでやるのが当たり前となる。

そんな生活できない、自信がない、自分には無理、嫌だ、という女性はたくさんいるだろう。
余裕を持って育児したいだろうし、余裕がなければ子供に当たることもあるだろう。
母親だから我慢しろ、とは言えない。人間はそんなに強くない。自分の能力(体力)を超えて、無理すれば、どこかで破綻する。子供が一番被害を受けるかもしれない。
そういう事態を避けたい、と思うのは当然かもしれない。

「甘えるな」とか「がんばれ」「やるのが当然だ」と言うのは簡単だが・・・「できない」「無理だ」「自信がない」と言っている者に「無理やりやれ」とは言えないのである。

じゃあ、男性は【金づる】になるしかないのか?というと、そうではなく、自分が稼いだお金は自分が管理すればいいのである。
男性は稼いだお金を、妻に全額渡さず、「これくらいが適当だろう」という生活費だけ渡せば、「金づる」にならなくてすむ。

「渡された生活費が足りない」と妻に言われたら、家計簿などをチェックしてみればいい。ほんとうに足りなければ、その分、足せばいいし、無駄遣いがあると思えば、それを指摘し、妻の言いなりにならなければいいのだ。
子供の教育費も、妻任せにせず、管理すればいい。そうすれば、育児にも否応なしに関わることになる。

男性が稼いだお金を全額、妻に渡さなくなれば、それが当然の世の中になれば、もしかしたら「専業主婦志向」の女性は少なくなるかもしれない。
妻は、生活費以外は、夫の許可なしに自由にお金を使えないのだ。妻が自分のためにお金を使いたい場合、夫にお願いしないとならない。それならば「自分で稼ごうか」と思う女性も出てくるだろう。

それでも「やっぱり専業主婦がいい」「自分には専業主婦以外の生き方は無理」という女性は、そのまま専業主婦を目指せばいいのである。

なので、もし勝間さんや西原さんが「専業主婦志向の女性にも働くことをすすめたい」と思っているのであれば、まずは男性側に「稼いだお金を自分で管理するよう」に言ったほうがいいかもしれない。

男性側も、自分の稼ぎを「妻に全額渡すのが当然」とは思わずに、自分で管理し、生活費のみを妻に渡すようにすればいいのだ。ただし「生活費をどれくらいにするか」は話し合いで決めなくてはならないだろう。男性が勝手に決めてしまうのは、一緒に生活する女性に対し、失礼である。折り合いがつかなければ、結婚しなきゃいいのである。
そして、もちろん女性も稼ぐとなれば、男性も家事育児を分担しないとならないだろう。

稼ぎを全額渡さないことについて、女性は「ケチ」と言うかもしれないが、自分で稼いだお金を自分で管理するのは当然のことだと反論できる。それでも「ケチ」と言う女性であれば、男性を「金づる」としか見ていない証拠である。結婚はやめたほうがいいかもしれない。

ただし、それでは「家事育児労働はタダなのか?」「それでは専業主婦業はあまりに報われない」となるが・・・現実的には家庭の中の仕事はお金が発生せず、したがって、稼いだことにはならないので、タダということになる。だから稼ぎのない妻は税制上、子と同じく扶養控除されるのだろう。社会は「家事育児労働はお金は発生しない」「タダ働き」と見ているのである。
だから、タダ働きとなる家事育児は夫婦で分担するほうがいいということになるのだろう。

男性が稼ぎを全額渡さず、話し合いで決めた生活費のみ渡すことがスタンダードになれば、結婚しても働き続ける女性は多くなるような気がする。
妻が自由に使えるお金をなくせば、お昼は外でランチ、趣味や美容やおしゃれにお金使いまくりという優雅な専業主婦は少なくなるだろう、たぶん。

ま、でも・・・そんな優雅な専業主婦になれる人は今だってごくごくわずかだろう。ほとんどは、自分の自由になるお金などなく、家族のタメに何とかやりくりしている女性がほとんどなのでは、と思う。

なので、優雅な専業主婦になれないのならば、結婚したくないって女性も別にいていいとも思う。

それに・・・世間の批判の的になっている「優雅な専業主婦を希望する女性」は、それなりの大学を出ているのだろう。子供のとき、『将来のために』ということで、受験勉強をがんばったのかもしれない。おそらく、家も裕福だろう。
将来のためにがんばった自分が「今以上の生活」「少なくとも今と同等の生活」を望んで何が悪い?と考えているかもしれない。で、家庭と両立しながら働くのはあまりに過酷なので、専業主婦を希望するのだろう。

どういう生き方をしようと、その選択は本人の自由である。

【「ラクしたい」「働きたくない」「苦労したくない」】と、これは誰もが望むことであり、ラクができて、苦労を回避できる方法があるのであれば、それに飛びつくのは当然かもしれない。

ただ、家事と育児って、そんなに「ラクなこと」なのか?とも思う。世間一般で言う【働く】【仕事をする】の中に、家事と育児は入らないようである。
私は、家事育児は大変な仕事だと思うのだけど、世間ではそうは見ていないようである。

まあ、手抜きしている人と、きちんとやっている人との差が大きく、子育ても、人によって大変だったり、そうでもなかったり、差があるだろう・・・

それでも・・・皆それなりに大変な思いや苦労や我慢をしているような気もするのだけど・・・

ま、こうやって専業主婦が批判されるけど、子供を持ったら働きたくても働けない、保育園や学童保育は待機児童でいっぱいでなかなか入れない、というケースもたくさんあるようだから、少子化がもっと進めば、全国の待機児童がゼロになり、もう少し働きやすい環境にはなっているかもしれない。

なので、このまま晩婚化と未婚化で少子化が進み、子供を持っても働きたい女性が心置きなく保育園を利用できるようになればいいと思うのだった。

さらに、病気の子供を預かってくれるところが完備されるか、男性も子供のために仕事を休むことが当たり前にできるようになって、はじめて世間は「女性も、結婚しても働き続けよう」と言えるのではないか、と思うのだけど。


※「結婚の条件」(小倉千加子)についての参考サイト
http://ueshin.blog60.fc2.com/blog-entry-124.html
http://www.eqg.org/library/book5_3.html

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